●終章3話……兄弟の結末と姫の幻像
その後、モルゲウスは王太子に更なる和解の証として、鹿狩りの招待状を出した。
彼には、まともに鹿を狩るつもりなどない。
まともに「鹿」を狩るつもりなどない。
「俺は物にはこだわらないタチだが、しかしはらわたの煮えくり返るものだな、やつのために宝物を手放すなど」
側近とカルナスらの策謀の会議で、彼は語る。
そこへカルナスが。
「おや、殿下、失礼ながら」
何気ない風に問う。
「物にこだわらないならば、なぜ、許嫁様の形見を大事にされていたのですか?」
場の空気が一変する。息をするのも辛いほどの重圧が、カルナスとモルゲウス以外を圧し潰す。
そして。
「ハハ、これは一本取られたな。なに、貴殿がどこぞのお姫様にこだわるのと一緒だ」
仮面の下の顔が、一瞬激しく歪み、すぐに立て直す。
「お姫様……とは、全く存じません、なんのことですかな」
「ハハ、まあ知らないなら良い。こんな言い合いをしているほど無駄な時間はないからな」
場を仕切り直す。
「しかし、実際、貴殿には感謝している。宝物を献上することには、まあ、ためらいも無いではなかったが、仕方のないことだな、狩るべきものを狩るには」
「然り。ご英断でした」
今度は慎重にカルナスが返す。
「兵略はつまるところ詐術。敵の心を誘い込み、間隙に一撃を浴びせる。殿下には改めて申し上げるまでもないでしょう」
「うむ。それを形にしての献策、まことに大儀であった。あとは……」
「はい。ぜひ抜かりなく実行し、狩るべきものを狩りましょう」
「ハハ、分かっている男だな、頼もしい!」
「まずは当日の動きの確認をいたしましょう。ここに配置する一番備は――」
カルナスは図を使って説明を始めた。
語るまでもないことだ。
王太子は鹿狩りの最中、カルナスの手によって討ち取られた。
「王太子を討ち取ったぞ! 与する者は直ちに投降せよ!」
モルゲウス自身やその一派ではなく、外部者である仮面卿――カルナスに討ち取らせたというのは、彼にとって業腹ではあるが、しかしそのような細かいことを言っても仕方がない。
ひるがえって王太子組には、武器を捨てる者もいれば、逃げ散ろうとする者もいた。
「逃がすな、なで斬りにせよ!」
カルナスの一喝に、周囲の「狩人」は動く。
「積年の恨み!」
「貴様を逃がすわけには!」
ふと、彼は周囲を見て気づいた。
「勝負しろアーダン、尻尾を巻いて逃げるか!」
「この粘着質が、まだ根に持っているのか!」
モルゲウス一派は、王太子組に遺恨を持っている者が多いようだ。
まあ事情を考えれば当然である。指導者モルゲウスからして、王太子を憎み、無数のいさかいを起こしていたというのだから、その家臣たちに軋轢がないはずがない。
つまり、はじめから和解など、遠い彼方の幻想に過ぎなかったということだ。
そう、和解など幻想。
――魔王との和解も、また同じ。できるはずがない。同じ天の下、彼と並んで地に立っていることなどありえない。「姫」が彼に心奪われている限り。
姫が正気に返り、カルナスの腕の中に収まるのなら、和解も一向に構わない。しかし、現実的にその可能性は無い。ありえない仮定など、する意味すらない。
「魔王め……!」
憎々しげに、しかし小さな声でなされたつぶやきを、密かに拾った女従者がいた。
モルゲウスの下剋上は果たされたが、カルナスの挑戦はまだ始まってすらいない。
下ごしらえすら未だその途中でしかない。
そして。
「ひとまず兄とその一味は討ち、実権も握ったが、ここで終わりではないな。白雲邦の攻略もまだ着手しておらんしな。我らの大王国の栄光のため、これからもたゆまぬ努力を続けねばなるまい」
モルゲウスも終幕を迎えた気分などさらさらないようであるが、しかし、その主眼はカルナスとは異なるようだ。
当然である。この第二王子も国の指導者としての自覚は持っているように見える。権力の奪取は自己満足の目的ではなく手段に過ぎず、白雲邦の壊滅も結局は己の個人的執着であることをきちんと弁えている。
しかれど仮面の謀将はそうではない。彼の悲願であり目的であるのは――
「然り。特に白雲邦の討伐は、固く誓った約束でございます」
これに尽きる。
厳密には、彼が無意識に恋慕する姫の奪取である。しかし実際には、それが魔王打倒、ひいては白雲邦討滅と等しいということは、すでに何度も述べている通り。
もっとも、モルゲウスも白雲邦を放置するつもりは全くないようだ。
「うむ、無論、弁えている。それにその戦いは、貴殿だけの戦いではない。むしろ俺の戦いというべきだろう」
誰かのために会戦するわけではない、第一には自分自身の意志で行う、ということだ。
何より力強い言葉。
「だが、俺は俺の力だけで戦うわけではない。それとこれは別だ。仮面卿にも、これからの策について意見をうかがいたい。大王国だけで、タートベッシュ王国を相手にするには、少々分が悪い。……どうせ貴殿のことだから、王国分断の策はすでに進めているんだろうがな、きっとそれだけではあるまい」
王国分断の策はすでに進めている。
まさにその通りだった。もっとも、援軍封じの根回しなどは主として銀鏡公ライラ――カルナスの母が遂行しており、領邦を遠く離れている彼自身は、むしろあまり関知していないのだが。
ともあれ、彼は見解を述べる。
「まったくもって仰せのとおりでございます。まずは……」
翌日、彼と彼女はまた馬車の中にいた。
といっても、別に大王国から追放されたわけではない。むしろその特命を果たすべく、使者として別の国へ向かっているのだ。
「都市国家連合、でしたよね、次の行き先は」
「ああ。少しばかり政体が特殊な国……というか勢力、だな」
リアナの確認に、カルナスがうなずく。
都市国家連合。全体の意思決定は、旗下にある各都市の代表者たちの多数決で行われる。そして各都市の代表者の選定は、それぞれの都市に本拠を構える豪商や大規模な工匠集団たちの会議で行われる。
……ということになっているが、各都市の代表者については、実際は世襲に近い。豪商、または強勢の工匠親方は、世代を経るにつれ加速度的に力を増す。「この時代の」経済の世界では、強者は時間とともにさらに強くなっていき、弱者の下剋上はまずもって困難なのだ。
カルテル等の不正な競争が取り締まられればまた別だが、この時代はまだ、そこまで経済に関する法がまだ発達していない。
もっとも、それはカルナスには関係のないことだ。彼がすべきことは、都市国家連合と大王国の同盟を取りなし、もって「魔王の軍勢」を撃砕すること、ただそれだけである。
そもそも、どの国も、どの君主も、ひいては万人が、どこかに歪みを抱えている。それをいちいちあげつらっていてはキリがない。重要なのは完全無欠を追い求めることではなく、敵となるもの、味方となるものをきちんと見分け、的確に自陣営を増強することであるはずだ。
カルナスのこのような気質は、奇しくも「魔王」とされる人物と同じ様相を呈していた。
「歪みか。どいつもこいつも歪んでいるよな」
そのつぶやきは、自嘲さえも含んでいるのか。それとも、己だけは正義に恥じることなどないと固く信じているのか。
「歪み? どうなさったのです?」
リアナの問いに、ふと我に返る。
「いや、なんでもない。少々気が鈍っているようだ」
「おや。少しお休みになっては?」
言って、彼女は彼のそばに座る。
「私のひざを枕にしていただければ、少しは馬車の揺れも気にならなくなるかと」
「ああ、すまない」
彼は彼女の提案通り、横になった。
――このひざ枕が、「姫」のものだったら。
その考えは、一瞬だけ幻像を結び、そしてすぐに空へと消えた。
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