●終章4話……都市国家連合

 都市国家連合の本部、ベネンシア市。

「さすがおひざ元、活気のある都市だな」

 カルナスがつぶやく。

 往来をせわしなく人が行き交う。物売りは屋台や露店で元気よく声を上げ、運送者はガラガラと各々の車を走らせる。

 王都や銀鏡邦も、このような商業的な賑わいでは、一歩かなわないだろう。

「活気ですか」

「どうした、リ……従者よ」

「主様。主様は、このような騒々しい都市よりも、もっと風情と趣のある場所こそが居場所にふさわしい。そうは思いませんか」

 彼女なりになぐさめてくれているのだろうか?

 彼は若干困惑しながらも答える。

「まあまあ、騒々しいなどとは言ってくれるな。俺たちはこの都市の長に面会をするんだからな」

「しかし……」

「従者よ、お前は真っ直ぐでよいが、あまり真っ直ぐすぎても案配が良くない。ほどほどにしてくれるとありがたい」

 仮面の下で、リアナが複雑な表情をした……気がした。

「承知しました。今後気をつけます」

「よろしい。公館前まで馬車で乗り付けるぞ」

 彼はそう言うと、仮面をかぶり直した。

 世を忍ぶ唯一の線引を、彼は手でなぞった。


 都市国家連合の代表。ベネンシア市の統領。「燕雀の商会」会長。

 いくつも肩書きを持ったその女は、しかしごく普通の人に見えた。

「ようこそおいでくださいました、仮面卿」

 彼女、シェリーは微笑む。普通の微笑である。

 ……いや、普通と言うには語弊がある。

 容姿は良く整っており、そのスタイルも優れたほうであろう。その声はよどみなく、そこそこに澄んでおり、商売をするのに不自由はなさそうだ。

 だが、いわゆるカリスマ性とか凄味といった、なにか尋常ならざる威風のようなものは、感じられない。先ほど言及した風貌も、上のレベルではあるが、妖艶であるとか鋭さを感じるとか、あるいは逆に肩書きを否応にも意識させるほどに穏やかである、といったものではない。

 そういった意味で「普通」なのだ。

 とはいえ、影武者だとも思えない。大王国の使者に会って交渉をするのに、影武者を使うことはないだろう。身代わりの者が政治的判断をすることになってしまう。

 カルナスは仮面の下で困惑するが、しかしだからといって何かを仕掛けることもできない。

 とりあえずあいさつを済ませ、交渉に入る。

「ご用件は先に書簡でうかがいました。タートベッシュ王国……その白雲地方に攻め入るため、援軍を出してほしいと」

「左様でございます」

 カルナスはうなずいた。

「かつて貴国……いや貴連合は……」

「『貴国』で構いませんよ。連合の実体が国であることは明らかですから」

 言われて、カルナスは恐縮する。

「は、では……貴国は、失礼ながら、かつて白雲のゲーエンに苦汁をなめさせられた経験がおありとうかがっており」

「ああ、あの『暗黒の冬事件』ですね」

「然り。某国の依頼で、白雲邦に流通の妨害を仕掛けたところ、ゲーエンの策略で逆に血も涙もないほどの、むごい物流の破壊を返された、と」

 各地に残る、超人的軍師ゲーエンの爪跡。

 彼が今はこの世にいないことを利用するとともに、その暴虐なまでの知略戦の痕をも、反撃の手がかりにする。させてもらう。

 カルナスとしては、無論、ゲーエン個人に恨みなどない。その暴虐の賢者が育てたのはあくまでも「魔王」の友人デミアンであって、魔王自身が本格的に教えを受けたのは士官学校の教官たちからである。また、カルナスはデミアンには思うところなど特にない。敵ならば倒すが、デミアンは魔王ではない。

 されど、ゲーエンに敬意を表して、その爪跡を放置するなどありえない。カルナスはそこまでお人好しでも、信心深くも、ゲーエンと関係性を築いてもいない。

 閑話休題。

 カルナスが遠慮がちに問うと、シェリーは静かにうなずいた。

「そんなこともあったようですね。先代の代表……アルビオン市の首長が頭を悩ませていたのを覚えています」

「では……」

 しかし、彼女は。

「ですが、それはもう過去のことにすぎません」

 仮面の裏で、カルナスはわずかに目を見開く。

「過去……しかれど、あの事件で貴国は大きな被害を」

「それでも、過去は過去です」

 シェリーは静かに語る。

「過ぎたことをいつまでも気にしていては、商売も国家の経略も成り立ちません。国々とは、苦悩の果てには決まって禍根を忘れ、離合集散を繰り返すもの。それは国民を生かすためであり、国益を図るためであり、そして困難に立ち向かうため」

 彼女はふわりと笑む。

「政治とは節操のないものなのかもしれません。ですが、それは目の前の国を生き長らえさせるための、そう、最も現実を直視した聡明さでもあるのです」

 カルナスは一瞬押し黙ったが、なおも説得を試みる。

「しかし……しかし、現在と未来を見ていらっしゃるなら、なおさら大王国や私たちと手を組むべきです」

「ほう……?」

 彼女はそこで初めて、強い興味を覚えたような顔をする。

「現在と未来を見るとは、すなわち変化を巻き起こし、その渦中へと身を投じること。硬直した未来とは、つまりは世界の死滅……停滞の魔王の望むそれと同じ」

「どういうことです?」

「過去は過去。それは聡明な価値観です。しかし同時に、世界の未来のため、そして貴国の繁栄のため、さらには利益のため、白雲の魔王を打ち倒すのも賢明といえるのではないでしょうか」

 シェリーは小首をかしげる。

「どうもふわっとした弁論は苦手です」

「つまり」

 カルナスは畳み掛ける。

「白雲の魔王を倒せば、一つには魔王による侵略の脅威が消え失せます。魔王は必ずしも好戦的ではないとされますが、停滞を求めて、または周辺の何かへ邪智を実行するため、あるいは領邦の経略上の障害を取り除くため、あの奸智に長けた男が仕掛けてくるおそれがあります。そして万一そうなれば、あの男は甚大な脅威となることでしょう。それはやつの黒い功績からも明らかです」

「なるほど」

「もう一つには、魔王を討ち滅ぼせば、称賛と名誉が集まることでしょう――」

「称賛も名誉も、糊口をしのぐものではありませんし、商いの資本にもなりません」

「ご冗談を。本当はご存知なのでしょう?」

 カルナスは一歩も退かない。

「称賛や名誉は銘柄への信用を呼び寄せ、権威を集め、つまり顧客や資金源をつかむ大きな道具となるでしょう」

 言うと、シェリーは口の端を上げた。

「なるほど。そういうお考えもありますね」

 あくまでも知らなかった風を装うつもりだ。

 しかし指摘をした、できた以上、畳み掛けるしかない。

「ご理解くださるのであれば、こたびの『事業』に投資するほかないのではないでしょうか」

 一拍置いて。

「そうですね。……その事業とやらに投資してみましょう」

「おお……それは」

「ただし、条件があります。タダではできませんよ」

 彼女は再び笑う。

「条件?」

 金をせびるのか。御用商人の座をせがむのか。

 いや、どちらでもないだろう。大王国から引き出せる金など、都市国家連合の資産に比べれば微々たるものであるし、御用商人については、大王国の既存の商業主体――いわゆる既得権益の勢力と戦う羽目になる。

 ならば何か?

「それは、いかなる」

「現地へご案内しますよ。その旅の道中でお話しします」

「現地?」

「フローレンス、例の土地へ行きますよ。準備をしなさい」

 全く見当がつかないカルナスらとともに、彼女は外出の準備をした。


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