第17話「口説き落とし」

 仮面卿より早く、白雲邦は白虎邦の暴挙を王都に報告していた。

 アルウィンは、籠城の準備をする前に戦闘で討ち取られ、白虎邦はひとまず取り潰しの仮執行をされた。空いた領土がどこへ属するか、遺産や遺臣、生き長らえたわずかな兵力がどうなるかは、中央の判断を待つこととなった。

 そこでクロトは提案した。

「クシャナ殿を我らのほうへ引き入れるべきです」

 大罪人とされるクシャナ。一種の政治的犯罪で服役中の彼女は、タートベッシュ王国の国法上「遺臣」の範囲には含まれない。つまり彼女の処遇について、中央の判断を仰ぐ必要はない。そのことは白雲邦の法務官に確認済みである。

「兵法に明るく武勇抜群の彼女を、我ら白雲邦の家臣にできれば、この先の災難も乗り越えやすくなるでしょう」

 クロトは語る。

「特に近頃は、不審なほどの頻度で、僕たちは各勢力から軍事行動を仕掛けられています。これが何に駆り立てられているか、それを探る必要もありますが、ともかく用兵に長けた人材は多いほうが良いでしょう」

 デミアンもうなずく。

「その通りだ。その通りだがしかし……離間の計を仕掛けたのは、俺たち白雲だ。投獄を差し向けた当事者に、クシャナ殿は下るだろうか」

「それはもっともな懸念だよ。だけど、それは説得するしかない。僕たちは生き残るために離間の計を放ったんだからね」

 白雲討伐の軍を差し向けたのは、ほかならぬ白虎側である。これに対してクロトらは、策謀を含め全力で対処した。それを誰が責められようか。

 理不尽な攻撃から、領土と家臣と民を守るため、時に暗き謀略に手を染めることを、どうして悪だといえようか。

 また、クロトの計略がきっかけとはいえ、それにまんまとはまったのは、白虎邦の最終責任者アルウィンである。恨むなら、より直接的に投獄を決断した、自らの主であろう。それが筋というもの。

「ううん、しかしな……人間の情というのは、そう簡単に割り切れるものじゃあ……」

「それは僕も分かっている。でも試してみる価値はあるんじゃないかな。……どうでしょうか、伯爵様」

 言うと、白雲伯マリウスも同意した。

「まさにその通り。試す価値はあるだろう。うまくいけば、確実に今後のためになる。クシャナの説得をクロトに命じる」

「謹んで拝命いたします」

 鶴の一声で、かかる繊細な方策は実行に移される。


 もっとも、クシャナの内心は、クロトやデミアンの予想とは全く異なっていた。

 彼女は、クロトが来ることを告げられてから、猛烈にソワソワしていた。

 ――クロトくんが来る!

 想い人が、わざわざ自分に会いに来る。しかもある意味口説きに。

 クロトがなんの用事で来るかは、看守からは直接告げられていなかった。しかし彼女はそれが引き抜きのためであることを予期していた。

 気分がやたら浮いているとはいえ、彼女は白虎邦で一番の用兵家である。そのあたりはおおよそ予測できた。

 やがて、コツコツと靴の音がした。

「クロト殿がいらした。非礼のないように」

 言うと、看守は退出する。


 そして、待ち焦がれた次席の君が姿を現した。


 少年の面影を残す顔の輪郭。長いまつげ。やや物憂げな眉の様相。それでいて知性を感じさせる眼の光。

 あのクロトだった。全く変わっていない。

「お久しぶりです、クシャナ先生」

「クロトく……クロト殿」

 ふにゃりとゆるみそうになる顔を引き締め、あくまで他国の女武将という体で臨む。

「獄中での生活、大変でしたでしょう。色々ままならなかったことと思います」

「いいえ、これもひとえに私の至らなさゆえ。……もっとも、そう仕向けたのは、白雲の誰かさんでしょうけども」

 ――クロトくん、多少の嫌味は許して。

 クシャナの心など初めから決まっていた。だが、体裁として、この点を突かずに降るのは格好がつかない。

「……ええ、そうです。離間の計を放ったのは、僕です。このような苦しい生活を強いてしまったこと、本当に申し訳なく思っております」

 彼は眉を八の字に下ろす。

 彼女はあわてて言葉を継ぐ。

「いいえ、クロトく……殿は何も悪くありませぬ。先の戦では、白雲と白虎は敵味方。策略で敵をかき乱すのは、なんら恥ずべきところではありません。むしろ士官学校で学んだことが役に立ったようで、それは良いことです」

 クロトの暗い表情は、可愛いがあまり見たくない。それに想い人の成長は、むしろ喜ばしいことでもある。

 ――クロトくんは立派になりましたね。

 彼女は彼の頭をなでてやりたかった。

「……全くもって、クシャナ先生のおっしゃる通りです。ただ、必要なこととはいえ、ひどい仕打ちをしてしまいました」

 クロトは一瞬「物分かりがずいぶんと良いな……?」と思ったのだが、それをクシャナがこの場で知ることはなかった。

「……そこで、僕から一つ提案があります」

 来た。クシャナは期待に胸を躍らせつつも、何も分からないふりをした。外面だけは武人の仏頂面を保つ。

「クシャナ先生。僕たちの領邦……白雲邦に加わりませんか」

 彼女のほほに、わずかに赤みが差す。

「僕たちの主君、白雲伯マリウスは、あなたが仕えてくださることを望んでいます。その卓越した兵略を、白雲伯の下で活かしてくださいませんか」

 ついに、夢にまで見た光景に達した。

 いつでもクロトのそばにいられる。

「つまり、主を替えよと?」

 クシャナは表面上、渋ってみせる。

「左様。クシャナ先生はアルウィン殿のもとでは、大変な苦労をされました。それは僕たちも承知しています」

 大変な苦労。まさに言葉通り、クシャナはアルウィンにひたすら疎まれた。

 それでも領邦への忠義を曲げず、今までひたすらに軍略を上申してきた。

「白雲伯は、そのようなことなどさせません。僕の主は、配下の才を腐らせる人間では決してありません」

「むむ」

「現に、まだ若年ではありますが、デミアンやアイリーン嬢を評定の場に出席させています。実際、僕もあの二人には何度も助けられました」

 マリウス自身の才覚は、広く世に響くほどではない。しかしむしろそれゆえに、アルウィンと違って配下を疎んじる気質ではない。

「先生の白虎邦への忠義は、僕も重々承知しています。しかし、もうそれは果たした、その時を終えたといっていいのではないでしょうか」

「むむ」

「長年あなたを疎んじてきた主君は討たれ、領邦は取り潰しになり、先生はその経緯を牢獄で見守るしかなかった。もう苦役は十分でしょう。先生の才を活かす、新たな主君に仕えても、もはや誰も責めません」

 言われずとも、クシャナの心は一つだった。

「一つ条件があります」

「なんでしょう」

「私はマリウス伯爵より、あなたの直臣でありたいのです」

 クロトは目を丸くした。

 そしてクシャナの瞳は、どこか熱を帯びている。

「こたびの戦、どう見ても、私が負けたのは伯爵様に対してではなくあなた、クロト殿です。クロト殿がいなければ、あるいは勝っていたかもしれませぬ」

 合戦に「たられば」は無い。しかしそうだとしても、クシャナを封じ込め、仮面の連中の兵法を打ち破ったのは、主としてクロトの功績に帰すべき。それは明白である。

 ゆえにクシャナが仕えるべきは、ただ決定しかしなかったマリウスではなく、術策を主導したクロトである。

 ……という建前で、彼女はもっと彼の側にいたいことを正当化した。

 そしてクロトも、彼女の内心を悟ったかどうかはともかく、納得をしたようだ。

「……分かりました。クシャナ先生、僕の配下になってください」

「はい、喜んで……」

 どうせクロトは嫡子、次代の白雲伯である。クシャナがマリウスではなくクロトを主に選んだとしても、実際の運用はそう変わらないだろう。

 ……とクロトは思ったに違いない。

「末永く、よろしくお願いいたしまする」

 彼女はほほを染めて、頭を垂れた。

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