第16話「王都へ」
その日の夜、状況は動いた。
「伝令、敵襲です!」
物見台からの報告に、陣は揺れ動いた。
「なんだと……!」
本陣で睡眠をとっていたアルウィンは、寝起きにもかかわらず目を見開く。
「白雲は意見が割れているのではなかったのか!」
「は、しかし敵は……」
陣の外で、アルウィンは目にした。
白雲軍の将兵が、戦列を成して怒涛のごとく向かってくる。夜の闇をものともせずに。渡河の危険などどこかに投げ捨てたかのように。
「まずい、川を渡ってくる……!」
「侯爵様、ご命令を!」
伝令が言うと、いつの間にか起きてきたらしい仮面卿と仮面従者が、陣に入ってきた。
「迎撃は間に合いません。準備が整うころには、やつらは川を渡り終えていますゆえ。ここは殿軍を設けて、退却すべきかと」
仮面で表情は分からないが、声の端に苦々しさが透けて見える。
「むむ、それしかないのか」
「それとて安全という確たる証はございません。しかし他に方策もありません。ご決断を」
アルウィンは表情をゆがめる。
「くっ、退却、退却だ!」
仮面卿はアルウィンの退却命令を聞く中、全てを理解した。
――またクロトの策略か。
陣内で意見が割れていたのではない。実際は紛糾に見せかけて、最初から奇襲的に川を渡り、生死の境界を素早く乗り越える気でいたのだろう。
本当は、諸将の意見など初めから一つだったのだ。隙を作るために、あらかじめ裏で意を通じ、紛糾を偽装していた。間者をも欺くために。
策略を逆手に取られた。効いたという手応えは、相手がそのように工作していただけだった。
クソが。
仮面卿は仮面の裏で、かすかにひとりごちた。
領主と仮面一派の失策のツケを払うのは、理不尽にも現場の将兵である。
「き、来たぞ!」
「迎え撃つぞ、うおぉおぉ!」
眠っていた兵士たちは、突然の襲撃にもやむをえず立ち向かう。
しかし、もちろん態勢は整っていない。隊列も固めていなければ、敵の位置も渡河中のものではない。
想定はすべて崩れ去っている。
「うわあぁ、死にたくない!」
兵士の一部が逃げ出す。総大将アルウィンに人望があれば、逃亡兵はもっと少なかったかもしれないが、現実はそうではなかった。
「待て、逃げるな!」
「隙あり!」
白雲兵の槍がひらめく。
「ぐわっ!」
分隊長と思しき武官は、その槍に倒れた。
「進め、進め!」
「敵は浮き足立っているぞ!」
闇夜を切り裂き、白雲軍は陣を押し流す。
逃亡の途で、ホプリは仮面卿に問う。
「で、とりあえず逃げてはきたが、どこへ逃げるんだ?」
「アルウィンの本拠でないことだけは確実です」
仮面卿は言い切る。
「白虎軍はもうおしまいですし、仮にある程度の戦力が残ったとしても、アルウィンでは籠城戦で追い払うことなどできないでしょう」
「クシャナを呼び戻すのでは?」
「彼女が召集に応じるとは思えません。一度、裏切りの濡れ衣を着せたのですから」
仮面卿は冷徹に見通しを語る。
「それに、アルウィンもそれを是としないでしょう。せっかく邪魔なクシャナを隔離したのに、これ以上戦功を立てられては、地位が危うくなります」
「クシャナが謀反を、本当に……?」
「いえ、本人に謀反の意思がなくとも、間違いなく勢力内は割れます。アルウィンの周囲とはそういう者たちです」
「ふむ」
うなずくホプリ。だが、結局のところ最初の疑問は晴れていない。
「で、どこへ?」
「王都にでも行こうかと」
「王都、で、何を?」
いぶかるホプリに、仮面卿は返す。
「最近の白雲は『あまりに野心的』ですからね。頻繁に領邦軍を動かしたり、周囲と同盟をしたり」
「ほう。主に私たちのせいだがな」
「それは伏せましょう。その『野心の熱さ』は『憂慮を覚える』ほどでしょう。事情を知らない者から見ればですが」
「なるほどなるほど。とすると、私の手勢はまた一時解散だな」
「左様。よろしくお願い申し上げます」
ホプリは力強くうなずいた。
「分かった」
「申し訳なくは思いますが、いまひとたびの辛抱です」
正直なところ、度重なる白雲への軍事行動の失敗すら、半ばは仮面卿の計算の範囲だった。
できれば軍事行動の中でクロトを始末したい、というのはもちろん仮面卿も考えていた。しかし、それらがことごとく失敗したときの策もまた、彼の腹の内にはあったのだ。
相手はあのクロト。策動が始まった時点でも、士官学校の次席であり、あのディビシティ山賊団相手に圧勝を実現した男。簡単に息の根を止められるとは、初めから思っていない。
苦難は予定のうち。
仮面卿は馬上で、遠き道を思った。
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