第15話「背水の陣」

 アルウィンにとっての邪魔者は消えた。そして、白虎邦には新たな軍師が降臨する。

「まもなく兵を挙げる。仮面卿には、大いに軍略を支えてもらいたい。兵を預けることもあるかもしれんが、それ以上に、貴殿には戦術の補佐をしてもらいたい」

「御心のままに……」

 言うが、しかし、仮面卿はクシャナ投獄を止められなかったことをまだ悔いていた。

 仮面卿の狙いは、白虎邦の乗っ取り……ではない。当然である。彼の目標は、あくまで白雲邦壊滅とクロトの打倒、そして最終的にはアイリーンをものにすることにある。

 つまり、白虎邦に忠臣クシャナが健在だったとしても、全く構わないのだ。

 また、仮面卿はクシャナの実力を正しく把握している。いくら士官学校首席とはいえ、彼は若造の自分がクシャナを凌駕する、などとは思っていない。彼はそこまで身の程知らずではない。彼の従者である仮面の女性ですら、兵略という限られた分野においても、きっとクシャナには簡単には勝てないだろう。

 今回の計略は痛手である。おそらくクロトが主導したのだろう。アイリーンや、最近帰国したというデミアンには、この領域の発想はできまい。諜報馬鹿……もとい諜報専門官のミーナはいうまでもない。情報を握ることはできても、彼女にはその先ができない。

 またクロトである。感情を抜きにすれば、彼の「軍神」という異名も、あながちただのお世辞ではない。かの領邦には、かつてゲーエンという智将がいたらしいが、彼はその代わりを十二分に務められることだろう。

 だが、そんなことを言っていてもやむをえぬこと。クシャナ無しで、クロトに戦を挑む。それはもはや決まったことだ。

 そもそも、士官学校での成績は仮面卿のほうが上である。山賊団の一件では不覚を取ったが、勝ち目がないとは思えない。

 仮にクロトのほうが軍師の適性をより強く有していたとしても、彼我にそれほど差はないはず。大きな差があったら、たとえ座学の成績といえども、クロトが首席を取っていたはずである。そうでないということは、謙虚に見積もっても、勝ち目は十分にある。

 それに、こちらにはもう一人の仮面がいる。彼女は士官学校での戦術学の科目に限っては、仮面卿やクロトをも超えている。

 いけるはずだ。全力で事に当たろう。

 仮面卿は雪辱を望む。


 かくして、一番の用兵家を欠いた白虎軍は出陣。白雲軍は野戦にてこれを迎撃せんとする。

 戦場の中央には、その南北を分かつ川が、西から東へと流れている。深さはそれほどでもなく、渡ろうと思えば、多少時間をかけて渡れる程度である。流れも速くはない。

 白虎軍は北、白雲軍は南に、川を挟んで布陣。白雲はまたしても、平原邦や大河邦からの援軍を断ったらしい。

 理由は、今回においては仮面卿にも想像がつく。安易に借りを作っては、何かと後々の外交に響くのだろう。――もっとも、援軍無しで勝てると踏まれたのは、いささか腹立たしくもあるが。

 ひるがえって。

「この戦況をどう見る」

 アルウィンは仮面卿と仮面従者に問う。

「我らは攻め手。この川をどうにかして渡らねば攻め入れません。しかし、渡っている間に敵が矢と銃弾を散々に浴びせてくるのは、容易に読めます。特にクロトは防戦に才があるようで、それはやつの初陣からも分かります」

 ディビシティ山賊団との戦いで、峡谷の出口に防備を普請したのは、まだ人々の記憶に新しい。

「ふむ。どうやって川を渡る?」

「渡るのではございません。相手に渡らせます」

「ほう」

 アルウィンは目を見張る。

「間者を用いて『白虎軍は、白雲軍に川を渡られ、背水の陣を取られるのを何より恐れている』との流言を放ちます。『白虎軍は損耗を恐れているため、背水の陣で腹をくくった敵軍に切り込まれるのに弱い』、『川を渡られたら寝返りが出るに違いない』などと吹聴するのがよろしいでしょう」

「おお」

「そこで川を渡ってきたところを、一気に討ち、敵兵どもを水底に叩き込むのがよろしいかと」

 背水の陣。古典にある由緒正しい兵略だが、実際のところ、かなり工夫しないと失敗する。渡河中に崩されたり、士気が上がらず、かえって退路のない死地で壊滅したりと、実際の失敗例も多い。

 そこにつけ込む。あえて一見不利な噂を流し、されど実のところ敵を自分の掌中で踊らせる。操られた敵ほどやりやすいものはない。

「敵を制御するのだな」

「左様。川にさえ引きずり込めば、勝利は見えましょう」

 仮面卿と仮面従者は、満足げにうなずいた。


 それからほどなくして、昼食の場で白雲軍の雑兵たちが話す。

「結局、うちの大将はどうすんのだろうね」

「揉めてるって聞いたが」

 訳知り顔で、小太りの兵士が言う。

「クロト様、デミアン様、アイリーン御前が背水戦法を強く主張しているらしい。でもマリウス伯爵や古参の武官の面々が反対してるようだぞ」

「面白い割れ方だなあ」

「面白いわけないだろ。白雲のこれからがかかっているんだぞ。アルウィン侯爵が取って代わるのは、まっぴらごめんだね」

「いやまあ、そりゃそうだけど」

 長身の兵士は、ニヤニヤしながら返す。

「背水戦法を主張しているのは、いずれも若い英才たちだ。で、反対しているのは古参や年長組」

「むむ」

「特に『軍神』クロト様が背水戦法を推しているのは、こう、なんか面白いぞ」

 長身の兵士は、そう言って堅いパンをかじる。

「まあ……どれが正しいか、甲乙つけがたいな、俺たちには」

「精通者ですら意見が割れるんだからね」

「俺たち兵士の間でも、互角の倍率で賭博されているな」

 薄いスープを飲む。粗末な食事だが、話に華が咲く。

「一応、急な攻勢があるかもしれないって言われてるけど、まあ、まず当分は決まらないだろうね」

「そうだな、俺もそう聞いた。一応用意はするが、まあ、な。もちろん勝手に家に帰るわけにはいかんが」

 結論は、兵士だけでなく、士官の間でも、容易には出ない――ともっぱらの噂。

 白雲の旗は、バタバタとはためく。


 仮面卿は、どこかもどかしい思いだった。

 クロトとデミアンとアイリーン、つまり敵方の用兵の中心人物がまとめて術中にはまっているのに、他の人間が抑制をかけている。

 おそらく、反対者は策謀を正確に先読みしているわけではないだろう。渡河中にギタギタにやられることまで、むしろあの三人以外に計算できるとは思えない。

 腰の重さ。軽率に軍を動かすべきではない、という理屈を盾にして、自分たちの過度の慎重傾向を押し通す。兵は拙速をこそ尊ぶというのに。敵将ゲーエンが生きていたら、きっとしかりつけたに違いない。

 そこまで考えて、ふと彼は疑問を抱いた。

 あの三人が術中にはまり、他の人間が止めている?

 普通は逆だろう。ゲーエンのいない敵陣において、まんまと策に乗せられるのはマリウスと頼りない譜代の武官であり、それを読んで止めるのがあの三人であるべきではないか。

 いや、譜代らしい度の過ぎた慎重さと、若者らしくエサに飛びつく三人。それで一応の説明はできる。

 しかし、それで説明して、理屈をつけて、本当に良いのだろうか。あまりに型にはまった状況ではないか。それで済ませていいのか、否か。

 そこまで考えて、しかし彼は深呼吸した。

 実際に白雲軍は動いていない。また、このような内情は、誰もが噂している風聞であり、どこかの誰かが勝手な憶測を立てたとは考え難い。

 戦場は理屈通りではない。ならば、逆に紋切り型の事態もきっと起きるのだろう。

 白雲軍が川に沈む風景を、彼は思い描いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る