第14話「計略の行方」

 それからしばらくして、白虎邦に一つの噂が流れた。

「なんでも、クシャナ様に反逆の意思があるとか」

 酒場で男が話す。

「ほう」

「あのクシャナ様がか。とうとう侯爵様を見限られるのかな」

 口々に勝手なことをしゃべる。

「白雲邦に密通していると、もっぱらの話だ」

「白雲邦、というとあれか」

「今度戦をする白雲か。あの軍神の」

 クロトの風評は、どうやらこの国にも届いているようだ。

「そのクロトとかいう若造、過大評価されている節があるな。ちょっとうまくいっている程度で」

「少なくとも神はないわな。クシャナ様のほうが実績は大きい」

「クロトの話はともかくとして」

 酔漢の一人が話を戻す。

「あの最後の忠臣が寝返りか、もしくは謀反か……」

「あの美人が逆心とは、なかなかに趣があるな」

「おい、あまりめったなことを言うな。俺たちは政変に全然関係ないんだから」

 酔客の一人が、冷静にいさめる。

「ああ、今回の件で、どうにかしてあのべっぴんさんにお近づきになりてえ」

「無理だ、あきらめろ」

「こいつは手厳しい」

 酒飲みたちのくだらない話は、とどまるところを知らない。


 これにいち早く反応したのは、他の誰でもない、白虎侯アルウィンだった。

「クシャナが造反……」

「然り。城下ではもっぱらの噂です」

 間者が報告する。

「ふむ。分かった。下がってよい」

「御意」

 間者が去ったあと、アルウィンは口の端を吊り上げる。

「ククク……」

 あの小うるさいクシャナを、これを口実にして、排除できる。

 もし本当に謀反を企てているのだとすれば、常人なら少なからず焦りを覚えるはずである。

 しかしアルウィンはそうはならなかった。そういう男ではなかった。

 噂の真偽などどうでもよい。証拠がそろわなければ、さすがに死罪は難しいが、しかし、領主の権力で強引に投獄、または左遷ぐらいならできる。

 あの怪しい仮面卿らの策略、という線もないではない。だが、彼らがやるのなら、もっと直接的に「密告」をするだろう。噂を流すのは遠回り過ぎる。

 彼にとって、問題は懲役刑か左遷かでしかない。命の危険に対する恐怖も、白雲側や仮面卿らの策謀ではないかという可能性も、彼から見ればささいなことだった。

 やつを吊るし上げて、目の前から排除する。

 アルウィンの目には、絶望への道が栄光への階段に見えていた。


 翌日、アルウィンは評定を開いた。

「さて、今日は我が領邦の将来について、憂慮すべき事柄がある」

 仮面卿の表情が変わった……気がした。実際には仮面を被っており、その顔はうかがい知れない。

「この中に、謀反を企てている、または寝返りを意図している者がいる」

 一同に緊張が走る。

 いや、この話が誰を指しているのか、もはや皆は知っているのだろう。巷ではあの噂で持ち切りなのだから。

 噂されている人物が、冷静を装っているのは、余計な疑いを避けるためか。

 ――その努力は無駄だ!

「クシャナ大隊長!」

 アルウィンが声を張り上げる。

「お前のことだ。城下はもっぱらその風聞が走っている。何か言うことはあるか」

「山ほどございます」

 クシャナはあくまで凛として崩さない。

「私に造反の意思など全くございませぬ。その噂は、なんの根拠もない、事実無根でございますれば」

 確かに証拠は何もない。物的証拠はおろか、状況証拠すら出てはこない。

「きっと悪しき何者かの策略でしょう。主従の信頼を引き裂く、邪悪な謀略と思料されます」

「おそれながら、私も同意見でございます」

 言ったのは、なんと仮面卿だった。

 アルウィンは彼らが謀略の主だとは思っていなかったので、特段驚かなかった。実際にも彼らの差し金ではない。

 しかし、仮面卿を多少なりとも疑っていた取り巻きは大いにざわめく。

「白雲との戦を前にして、クシャナ殿のような有能な人間に処置を下すのは……もし邪心を抱いているとすれば、それはクシャナ殿ではなく白雲の誰かではないかと」

「どういうことだ」

「クシャナ殿が処置をされて、最も得をするのは白雲邦。とすれば、策を弄しているのは白雲ではないかと、そう推測いたしました」

 余計な助言を。

 とにかくクシャナを罰したいアルウィンは、多少いらついた声で返す。

「その『策』が虚偽の風聞だとは限るまい。実際にクシャナと通じるか、またはこやつの逆心を助長するという趣旨の計略が行われた疑いもある」

 言うと、仮面卿はしおらしく返答した。

「……全くおおせの通りでございます。反省いたします」

 仮面卿はおそらくクシャナを大きな戦力だと思っている。しかしそれ以上の感情はない。つまり、領邦の忠臣をなんとしてでも守る義理だとか、不当な刑罰を阻止する責任感だのは、持っていないと考えられる。

「そもそも、そのような噂が出るということ自体、クシャナには反省の余地があるということだ。その点を鑑みて、罰を決めたい。皆の意見はどうか」

 アルウィンが話すと、取り巻き達も賛成する。

「なるほど、謀反の芽を事前に摘み取るのは大事ですな」

「証拠がない点を考慮し、無期の懲役が妥当かと」

「少なくとも白雲と事を構えている間は、牢獄から出さぬのがよろしいと思料いたしまする」

 アルウィンは満足げにうなずく。

「ふむ。ではクシャナを無期の懲役に処する。送致先は『夕暮』の牢獄とする」

 この牢獄は、一般的なものと違い、政治犯や身分のある人間を幽閉する特別な牢獄である。一般の犯罪者と同じ場所に入れなかったのは、せめてもの配慮である。

「さて、次の議題だが……」

 かくして、強引な政治的事件は、「悪しき何者か」のたくらみ通りに進んだ。

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