第6話「策動の序章」
再び六年前。
カルナスから教本を取り戻した少女は、放課後、クロトに話しかけた。
「あ、あの」
「はい」
黒髪黒眼の彼は、金髪碧眼の少女を見やる。
「さっきはありがと。ええと、クロトくん」
「いやあ、ハハ、なんだか照れ臭いな」
彼はカルナスに次ぐ秀才である。そのことは少女も知っている。
彼もカルナスも、同じ成績優秀、英才の学生である。それなのに、性格というか人となりは、まるで対照的。
単に意地悪かそうでないかという意味だけではない。
カルナスは何かにつけて目立ちたがる。いや、ひょっとしたら気のせいなのかもしれないが、少なくとも結果的に、目立つ場所にいる。それは次席のクロトすら大きく引き離す、群を抜いた成績のせいなのかもしれないが、試験の順位以外のことでも、いつの間にか目立つ位置にいる。
一方、クロトはそれほど目立つことがない。
彼も極めて秀でた優等生であるには違いないし、カルナスのような例年以上の異常な才子がいなければ、彼が首席であることに、誰も異存はなかっただろう。
しかし彼は、どちらかといえば無駄口をあまり叩かず、ぐいぐい前へ出てくるということもない。結果、まれに成績の話題で名前が出てくること以外は、脚光を浴びることもない。
「クロトくんは、すごいね」
少女がぽつりとつぶやく。
「そうですか?」
「カルナスくんを論破するし、成績は優秀だし、優しいし」
「優しい……わけでもないですよ」
「優しいよ。戦いもあまり好きじゃないそうだし」
「それは違います。僕が戦いを望まないのは……」
若干強い調子で否定したクロト。しかし少女がひるむ様子を見て、冷静になる。
「とにかく、そんなにいい人ではありません、僕は。……欠けている人間です」
「欠けている?」
少女は問うが、答えは来ない。
「まあいいや。せっかく縁があったんだし、これからもよろしくね。明日のお昼とか、一緒に食べよう」
士官学校の学生は、食堂を利用できる。そこで昼食を共にしようという意味だ。
「いいのですか?」
「うん。もっと話を聞きたい」
「はあ。まあ、僕も学級で浮き気味ですから、ちょうど相手がいると助かります」
「えへへ、ありがと」
少女ははにかむように笑った。
その六年後。
唐突にクロトは言った。
「なんか……なんとなく争乱の予感がします」
「いきなりどうされましたの?」
アイリーンが問う。
「いや、どうも、こたびの聴聞のカルナス殿が……なんとなく引っ掛かります」
「その人選に何か闇があるんですか?」
ミーナも問うが、クロトは首を振る。
「いや、この人選自体には、たぶん異常はないでしょう」
「とすると」
「どうも、カルナス殿の様子が少しおかしかったように思います」
「そうですの?」
「かすかに黒いものを感じました」
金髪碧眼の美女は押し黙るが、しかし、ミーナは明るく答える。
「仮にそうだったとして、敵が来たらクロト様の兵法でバシャーっとやっつけちゃえばいいんですよ。ついでにアイリーン様の軍略でもですけど」
「兵法……戦ですか」
唐突に彼の表情が曇る。
「戦ですよ。天下無双の兵略で、相手が何人来ようと、バシッとですね、ね!」
ミーナが言うと、アイリーンも同調する。
「ううん……もし相手が数的に優勢だったら、そのような戦を挑むのは下策ですが……現実、それを言っても始まらない戦況があるのも確かですわ」
「戦……」
クロトはぽつりと言う。
「僕は、戦が、合戦が嫌いです」
「およ?」
「以前もうかがった気がしますわ。理由をぜひ教えていただきたいところです」
クロトはうなずく。
「といっても、単に人が死ぬからとか、人道的な理由ではありません」
戦争となれば、武具、兵士から金銭、兵糧、その他軍需品に至るまで、大きなコストを強いられる。塩、油、手当の道具や水に至るまで、大量にリソースを消費する。仮に勝ったとしても、その消費は不可避であるし、敵から接収するのも限界がある。
それだけではない。コストのみにとどまらずリスクにも接近することになる。
どんなに精密で見事な作戦を練っても、以前述べた通り、破られる危険は常にある。それを避けるためにどれほど細作を遠ざけ、誰も思いつかないような奇策を構築したとしても、機密が思わぬところから漏れ、あるいはその思考をなぞられるおそれは、どこまでいっても否定しきれない。
または、単純に予想外の事情で作戦が駄目になることもある。戦史を紐解く限り、その前例は無数に見られる。
「消耗と危険。僕はなるべくその二つから縁遠い人生を送りたいのです」
「……なるほど」
「ちなみに」
クロトはなおも続ける。
「戦を引き起こす、最も根本的な原因。それは世界の『変化』だと思います。あくまでも私見に過ぎませんが」
「変化、ですか」
流動と言い換えてもいい。例えば政争は、良くも悪くも常に変化を生み出すし、天候や地理のめぐりあわせもまた同じ。技術革新や経済の流転も然り。そして、戦自体も甚大な変転を生じる。
「世界が静止すれば、戦も起きません。……それは実際に無理だとしても、もし世界が永遠の輪の中にあって逸脱しなければ、戦は起きにくい、または起きない。僕はそう夢想しています」
静止、または同じことの繰り返し。このような停滞を望むのは、人として何かが欠けているのだろう。
普通の人間は、平穏は望んでも、停滞など望みはしない。戦無き世を渇望しても、変化なき世を希求など決してしない。それは、巷の講談や物語が、多かれ少なかれ起伏を持っていることからも分かるだろう。
「世界はどうして流動するのでしょう」
ミーナもアイリーンも、答えることはできなかった。
カルナスの実家は、銀鏡という地方にある。その強勢にして栄光ある領主は、銀鏡公。彼の母親である。
「ただいま戻ってまいりました、公爵様」
彼が頭を下げると、彼女はうなずいた。
「よく戻ってきました。士官学校で学んだことを、我ら銀鏡のため、そしてひいてはタートベッシュ王国の繁栄のため、存分に活かしなさい」
彼女は、その均整の取れた優美な顔に、かすかな笑みを浮かべる。
立ち会った家臣の何人かが、思わずその表情に見とれるのを、カルナスは横目で見た。
しかしそんなことはどうでもよかった。彼から見ても、母親は美しく端整な容貌だと思うが、常識的に考えて、母親に恋慕する十六歳はいない。
それに、カルナスは自分の想いで手一杯である。
……もっとも、彼自身はそれを懸想だとは思っていない。
「ところで」
銀鏡公ライラは問う。
「王都滞在中、手紙を送ってきましたね」
「はい、公爵様」
「あの内容は本当なのですか。白雲のクロトが……という」
いわく。
白雲領のクロトは、とんでもない人格破綻者である。身分や家格をわきまえず、たびたび、カルナスの正義の行いを邪魔する。
彼の判断でアイリーンから教本を「預かった」、六年前の行為をはじめとして、特にアイリーンに関しての正当な行いに、なにかと首を突っ込んで妨害をする。何が気に入らないか知らないが、きっとくだらない理由なのだろう。
それを抜きにしても、彼の精神は異常である。以前、クロトが断片的に漏らしたことによれば、彼は世界の停滞を望んでいるのだそうだ。
その理由は「戦をしたくないから」。国を命がけで守るべき貴族が、おそらく臆病風に吹かれ、あまつさえそれを正当化するために世界がうんぬんと吹き語る。本気なのだとしても、世界の停滞を欲するなど非常識極まりない。戦をしたくないなら、なぜ士官学校で兵法を学んだのか。
そのようなことを、カルナスはその雄弁さをもって語った。
「なるほど。クロトは世間的には優等生らしいですが、どうも性根に問題がありそうですね」
ライラはカルナスの話を信じた。
信じてしまった。
彼女は聡明な人物である。しかし、息子のカルナスに対しては、どうも甘くなる傾向にある。多かれ少なかれ、人の親というのはそういうものだろう。
それに、カルナスとて口の回らないボンクラではない。むしろ話術の上手さは、首席の肩書通りの水準にある。
彼自身がライラの性格を熟知しているのも大きいだろう。なにせ彼は彼女の息子。親子という、通常は世界で最も近しい関係性にある。もちろんそれには例外もあるが、この場合は別段例外的なものでもなかった。
「ふむ……」
彼女は物憂げにあごに手を当てた。
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