第5話「才子」

 カルナス。士官学校を首席で卒業した男。

 彼の出身は地方領主の家ではあるが、例えばクロトとは家格がけた外れに違う。つまり公爵家である。爵位の点なら、クロトの父マリウスや大河侯よりも格上となる。

 いや、爵位だけではない。築いた財産も、鳴り響く名声も、畏敬集める権威も、カルナスの家は抜群である。大河侯とは、存在感の点において、この国――タートベッシュ王国では比べること自体がおこがましい。……もっとも、あくまで彼は「次期」公爵でしかなく、その権威などは彼自身が帯びているものではないが。

 そんな彼は、王国大臣から命令を拝した。

「大河領に赴き、こたびの騎士バハリタ一味の粛清について、報告を聞くように」

 あの事件については、すでに王都でもそれなりの噂になっている。カルナスはその噂を聞いていた――王都付貴族へのあいさつ回りのため、彼は王都にしばらくとどまっているのだ――し、拝命の儀礼の前にある程度の説明は受けている。

 そして、いくら地方領主に一定の自治権があるとはいえ、結構な規模の血煙を生じたのならば、中央から使いを出されるのは仕方のないことだった。

「謹んでお受けいたします」

 この一件にはクロトが絡んでいるらしい。アイリーンが引き込んだのだ、という風聞もある。

 アイリーン。その名を聞くたびに、彼の胸は少しだけ締め付けられる。

 この命令を口実に、彼はアイリーンに会うこともできるのだ。

「カルナス様、少しうれしそうなお顔をなさっていますね。どうされたのですか」

 廊下で、後をついてくる女性。涼やかに声をかける。

「どうもしていない。粛々と大命を遂行するだけだ」

 この女も士官学校の同期である。名はリアナ。平民出身であり、卒業直後、カルナスに仕官した。

 境遇だけ見れば、ミーナに似ていないこともない。境遇だけは。

 ともかく。

「大河侯といえば、アイリーンがいるな」

「然り。こたびの『刷新』の立役者が、アイリーン様とクロト様だとうかがいました。このたびの報告のため、クロト様も大河領に滞在される予定ですね」

「クロト、か」

 アイリーンはいい。しかしクロトももれなくついてくる。

 彼はそれが気に入らなかった。

「おや、今度は少しお気に召さないご様子」

「うるさい」

 カルナスが士官学校時代の様子を見る限り、どうも、アイリーンはクロトに惚れているように思える。

 なぜクロトなのか。なぜ自分ではないのか。

 確かにあの男は、アイリーンと同等かそれ以上に「出来る」人物である。それは最近の活躍から考えても明らかである。

 しかし、学校の成績であれば、カルナスのほうが圧倒的に上である。彼は常に、クロトより上位のランクを維持し続けた。常にクロトに勝ち続けてきた。アイリーンもその光景は飽きるほど見ているはずである。

 それなのに、あの女は。

 ……これは決して執着ではない。恋慕でもない。カルナスは考える。

 アイリーンが、クロトに優れた人間への憧れの情を向けているとすれば、それよりもっと大きな憧れが、カルナスに向けられなければ、不条理である。

 巨大な不合理。異常な現象。論理の不整合である。

 カルナスは、クロトに黒い感情を抱いているのではない。ましてアイリーンに執着しているのでもない。物の道理を離れた現象に、ただ正義を求め憤っているだけなのだ。彼自身はそう思っている。

「カルナス様。決して焦ってはいけませんよ」

 何に、というのか。

 それにリアナとて、決して常識人面をしていられるような人間ではないはずだ。彼女の本性は、そういった理屈ですらない、ただの――

「……ふん」

 返事にもならない返事をし、二人は王宮を出た。


 数日後、カルナスとリアナは大河侯の居城に着いた。

 白雲のものとは比べ物にならない、きらびやかな馬車から、彼らは降りる。

「グランザイン城へようこそ。ご案内いたします」

 番兵がクロトに向けるのとは少し違った目をしていたことを、カルナスは気づかない。


 城に入り、応接間にいたチャールズから丁重なもてなしを受け、報告を聞いた。

 おおむね、事前に聞いていた通りだった。

 いや、これはこういうものなのだろう。いわば一種の儀式であり、もし全く違うことを述べ始めたら、場は騒然となる。

 カルナスという勅使は、儀礼的に派遣されただけで、ただうなずいていればいい。内容は事前に、王都のしかるべき部署で精査されており、もうとがめるような部分はない。

 ――クロトは二度も功名の機会を得たというのに。

「そういえば……白雲のクロト殿、そしてアイリーン殿はおられるかな」

 彼が聞くと、チャールズは答える。

「もちろんでございます。お呼びいたしましょうか」

「ぜひお願いする」

 カルナスは無意識に、アイリーンの清楚な姿を思い浮かべた。


 そのアイリーンは、彼の見る限り、クロトにぞっこんだった。

「こたびの謀反を水際で止めたのは、ひとえにクロト様のご尽力あってこそ。本当に、すばらしい方ですわ」

「そうでしょうか。アイリーン殿お一人、というか大河の武将だけでもどうにかできそうな気がしましたが」

「そんなことをおっしゃらないで。クロト様は本当によくできたお方ですわ」

 アイリーンは満面の笑みを浮かべる。

 カルナスには全く見せることのなかった表情だ。

 会うんじゃなかった。彼は内心、ひとりごちる。

 そもそも、彼女がクロトに想いを寄せていたことは、一部の女子生徒の間では、士官学校時代も盛んに噂されていたことだった。そうではない、そんなはずはないと思っていたのは、カルナスと、女心に鈍いクロト本人だけだったのだろう。

「クロト、アイリーン。どうやら元気にやっていたようだな」

「はあ、まあとりあえず生きてはおります。正直、峡谷の戦いやら粛清の計略やら、生きた心地がしませんでした」

 ならば、その功名の十分の一でも、カルナスが得られるように、なぜ天は配さなかったのか。

 そしてアイリーンの……。

「まず分かった。俺は王都に戻るとしよう」

「お元気で、カルナス殿」

 何も知らなそうな顔をしているクロトを置いて、彼はきびすを返した。


 ままならない。理不尽。

 なぜ彼女の想い人はクロトなのか。自分ではないのか。

 腹の底から湧き上がる義憤。与えられて当然の報いが与えられないという、天に対する公憤。運命はどこまで自分を差別するのか。

 カルナスは馬車の中で、こぶしを握る。

「どうなさいました」

 リアナが問うが、彼は答えない。

 アイリーンそのものが惜しいわけではない。彼女は美しく頭が切れるが、探せば同等の女がいないこともないだろう。

 しかし、そうではないのだ。不条理に、不合理に、道理に反する現象に、彼は憤っている。彼自身はそう認識している。

 ――実際は……アイリーンの代わりがいくらでも見つかるなどとは、本心では全く考えていないのだが。

「リアナ」

「はい」

「俺は、クロトが嫌いだ」

「そうですか」

 彼女はただ静かに話を聞く。

「どうも、あの男は図に乗っている。罰を下さなければならない」

「罰?」

 リアナが問い返す。

「しかし、彼は何も罰条に触れることをしていませんよ。どうしましょうか」

「そうだな。だからこの『罰』というのは、刑罰とは限らない。もちろん訴追の可能性があれば使うが、当面は別のやり方で報いを与える」

「別のやり方ですか」

「そう。計略だ」

 彼は義憤に燃えた瞳を向ける。

「計略で軍を動かし、あるいは嫌疑をかけ、最後には奴を討ち果たす。これは天命だ、運命の必然なのだ」

「なるほど。しかし、軍略はともかくとして、謀りごとに関しては、私は今一つ自信がありませんが」

「知っている」

 彼はうなずく。

「お前は可能な範囲で俺を補佐してくれればいい。それだけでも助かる。……いずれにしても、どうにかして奴を倒す。まだ具体的な策は考えていないが、そのうち動き出すとしよう」

「御意」

 リアナが一礼すると、カルナスの全身から天誅の気迫が立ち上るようだった。

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