第4話「改新潰えたり」
一週間ほど後、大河の宿将ブランダイスは、大河侯の家臣たちに呼びかけの書状を送った。
いわく。皆も数日前から、城への出仕を控えるよう命じられているが、それは大河侯の持病が悪化し、お倒れになっているからである。
このたび、侯爵の近習を通じて侯爵と相談し、家臣団一同で主君の見舞いに行くこととなった。
これは大河侯のご意向でもある。遠慮は不要であり、拒否は抗命と等しく扱われるだろう。処分の有無は大河侯の意思に委ねられる。
騎士バハリタは、この書状を見て、渋い顔をした。
面倒。
バハリタたちは、理想の正義に向けて、謀反という崇高な使命の下準備をしているところである。
そこへ「お見舞い」。そんなことをしている暇はないというのに。大河侯が死ぬなら、そのまま死んでくれたほうが捗る。主権の奪取が。
大河侯が死ねば、常ならばその嫡子が爵位を継承し、引き続き政務や領地の経営にあたるだろう。
しかし、主の死は政権奪取の絶好の機会。支配者の一時的な不在に乗じ、ごたごたを起こし、そのまま新しい秩序をもってこの地に君臨する。大河侯の一門は、例えばアイリーンのような末端に至るまで根絶されるだろう。
――新しい秩序を。
大河侯は清濁併せ呑む人物である。つまり、多少の悪徳は見逃す傾向にある。田沼の濁りを、多少はあるべきものとして、そのまま抱え込む。
それでは駄目だ、とバハリタは思う。
悪徳は、排除すべきだからこそ、悪徳と呼ばれる。白河のごとき清き流れ、それこそが領地を栄えさせる、絶対の前提条件である。少なくともバハリタとその賛同者は、そう考えていた。
……とはいえ、このお見舞いは避けて通れるものではない。行かなければ、命令違背として、大河侯から刑罰を言い渡されるかもしれない。
自分の主君は、悪徳への態度を改めるどころか、配下に余計な手間をかけさせる。
バハリタは、流血の予感など全く感じることなく、ただだるそうに首を回した。
お見舞い当日。クロトは剣を携え、配置についていた。
これからバハリタら謀反組を含む、大河侯の主だった家臣が、病床に来る。討つべき敵。
とはいっても、おびき寄せにさえ成功すれば、なで斬りにするのは容易である。
見舞い勢は、入室前に持ち物を検められ、あらゆる武器をこちら側の人員に預けさせられる。「病気で臥せている」主君の前に、武装した一団を通すわけがない。当たり前である。
また、クロトは仮にも士官学校次席である。万一抵抗されたとしても、たいていの貴族や武官は簡単に斬り伏せられる。彼の武芸の心得は、その軟弱そうな見た目に反し、かなり高度である。
しかし、彼はこうも思うのだ。
ここで謀反の芽を摘むことが、本当に正しいのか。
聞くところによると、現在の大河侯は、多少の不正を見逃す性格だという。バハリタたちは、そのゆるんだ綱紀を引き締め、改革するため、謀反を企んでいるのだとか。
つまりこの謀反は、クロトの考える限り、道理がないとも言えないものだった。
汚辱を打ち払い、法による正義を達成するための謀反。それを阻むことは、果たして正しいのか。
――いや、それは僕の考えるべきことではない。クロトは首を振る。
クロトは哲学者や道を説く者ではない。白雲領の利益を、現領主ほどではないにしても、いくばくか担う者である。将来的にはそれを前面で代表するべき者でもある。
とするならば彼は、善悪だの正義だのより、あくまで白雲領の利益を第一に図らなければならないのだろう。
そして、大河侯に恩を売ることは、小領である白雲領の利益に、まずもって適うものである。ならば、選択肢は一つしかない。
仮に悪徳に協力するような図式になろうとも、クロトはその善悪を断じるべき立場にない、ということだ。
そうだ。きっとそうに違いない。
かくして覚悟は決まった。あとは血煙を見るのみである。
領主の寝室に、バハリタたち謀反派が、まとめて入ってくる。
一見、主の容体が心配そうな顔をしているが、心中は分かり切っている。そうでなければ、この計略はおびき出しにこぎつける前に、謀反派以外からの反対を食らって頓挫していただろう。
「侯爵様、病床に参上するご無礼、平にご容赦を」
「いや、うれしいぞ、バハリタ」
――ここでお前の命を絶てることがな!
きっと大河侯はそう思っているのだろう。クロトの憶測でしかないが。
いや、そのような憶測をするクロトの性格が一番悪いのか。彼は密かに自嘲した。
ふと横のアイリーンを見やると、せっかくの美貌は陰り、険しい表情をしている。純粋に裏切り者が許せないのだろう。
「まあ、近くへ来てくれ。今日は体調がましな日だから、もっと話をしようぞ」
「御意。失礼いたします」
謀反組がある程度近寄ると、大河侯はパン、パンと手を鳴らした。
合図だ!
幕の陰に隠れていた誅殺実行部隊が、白刃をきらめかせ、一気に飛び出す。
「神妙にしろ、この大罪人めら!」
取り囲まれ、剣や手槍などの武器を突き付けられたバハリタは、その一瞬で理解した。
計略。聖なる事変の芽を事前に刈り取る、流血の策略。
「なんだ、なんだ、お主らは!」
知らぬ存ぜぬを装うが、無駄だった。
「バハリタ、謀反を企んだ疑いで処刑する。この場でだ!」
「そんな、謀反などと、身に覚えがない!」
「申し開きはあの世でするんだな!」
アイリーンの父、チャールズが高らかに述べる。
「くっ、無駄か……うん?」
バハリタは、チャールズの横の愛娘――の後ろに控えている青年を見つけた。
「お前は確か……白雲地方のクロトか?」
言われた彼は、一瞬目を見開いた。
クロトはバハリタなどろくに知らないだろう。しかしこの謀反人は、士官学校の毎年のルーキーにたまたま関心を持っており、その線で今回の次席のクロトを見分けられたというわけだ。
「余所者ではないかねっ、いつから白雲は、聖なる改新に邪智の横槍を入れる下種になり下がったのだ!」
「いいえ、違います」
アイリーン。
「私たちのほうから、クロト様のお知恵を拝借したのです」
「だったらなおさら問題だ、余所者の力を請うて借り、もって改新を止めたとあっては、大河の栄光を傷つけるではないか、そうではないかね!」
「謀反人が少しうるさいようだ。者ども、やれ!」
一斉に、謀反人たちの生命は絶たれた。
かくして粛清は果たされた。
今回、謀反人たちの裁判や、有罪判決は経ていない。しかし、彼らはそもそも「そういう時代」を生きているのだ。手続的保障はなく、無実のおそれも現代よりは多いが、その代わり機動的に、手遅れになることなく、かつ確実に謀反人を始末できる。
もちろん、文明の発達した時代では、重厚かつ正確性の担保された手続を経て裁判をするのが良いのだろう。しかしこの世界の法は、まだそこまで進んでいなかった。
――とりあえず問題は解決した。良かった。良くないかもしれないが、良かったことにする。
改新が正義だった可能性。他国の謀略に、流れで首を突っ込んでしまったお節介と、それによる今後への影響。
まあ、いいのだろう。戦場の霧があるように、政治にも霧はあるのだ、きっと。
彼は更衣室で武具を脱いだ。
さっそく、霧から物が出てきた。
「アイリーン殿が、白雲領へ?」
「はい、そうですわ、クロト様」
彼女はふわりと微笑む。
「ど、ど、どういうことですわの?」
「ミーナ、動揺しすぎだ」
とはいえ、寝耳に水なのは間違いない。アイリーンはきわめて若輩といえど、正真正銘、大河侯旗下の武将である。
それが白雲邦に居候するという。
いや、居候と言うと語弊がある。
「わたくしは、今回のご恩をお返しするべく、無期限で白雲邦へ出向します。そしてクロト様のもとで与力を務めつつ、その偉大な軍略を学びとうございます」
「いやいや……」
偉大な軍略、またしても大げさなお世辞。クロトも同輩のひよっ子でしかないのに、偉大な軍略を学ぶなどという突拍子もない言い分。大河領が、若造とはいえ士官学校の優秀者を無期限で手放すという珍妙な采配。
……間者なのだろうか。
「おや、わたくしを何か疑っているご様子ですね。勇壮な軍師様に嫌われるのは、悲しいですわ」
「いやいや、そういう問題では」
するとアイリーンは言った。
「もしわたくしを疑うことがあれば、遠慮なく斬ればよろしいのですわ。こちらを」
言って彼女が見せたのは、大河侯直々の一筆。
要約すると、侯爵は彼女の生死、特に刑死や誅殺に関し、一切の異議を発しないことを約する、となる。
破格の譲歩である。ここまでするとは。
クロトは考え直した。きっと間者ではない。アイリーンとて、分家末席とはいえ大河侯一門。その命を、白雲側と約定してまで散らせたとあっては、領内が割れる。傾くほどに。
特に彼女の父チャールズは、身内、とりわけ娘を大切にする人物。その点からいっても、そうそう危険に放り込むとは思えない。
何よりも、間者にしては目立ちすぎる。気品と神々しさにあふれた容姿、柔和にして端整な物腰、成績優秀者というそこそこの風評、どれをとっても間者や細作の類に向いていない。
そうでなくとも、立場からいって、白雲領にいる限り常に注目を受ける人物である。細作の技術は士官学校で学んだが、ある意味、それ以前の問題にあふれている。
きっと本当に、通交と友誼のためなのだろう。
またアイリーンは、士官学校の頃から向上心の強い人だった。学ぶものがあれば余さず学びたい、と思ったとしても不思議ではない。
「ふふ、クロト様のもとで活躍して、お役に立てるようになりたいですわ」
彼女の清らかな、まぶしく美しい笑み。
もしクロトがもう少し女心に聡ければ、この特別な笑みの意味が理解できただろう。
「白雲伯様にも話を通していますわ。今後ともよろしゅうお願いいたします」
「……そうだね。僕としても、アイリーン殿がいてくださると心強いです」
「うぐぐ……文句を言いたいけど、この状況だと私には言えません……」
ミーナがひたすら悔しがっていた。
六年前。
カルナスは、不覚にもとある少女に心を奪われた。
綺麗な少女だった。
たっぷりと輝く金髪。透き通るほどの碧眼。顔から足のつま先まで、完璧なまでに均整の取れた美貌。
しかし、カルナス自身は、それを恋だと認識するにはまだ幼すぎた。
いや、精神の幼さだけではない。彼はそもそも人となりとして、そういうものをまともに自分で受け止められる人間ではなかったのだろう。
もっとも、それをこの時点で知っていた人間などいなかったが。
ともかく。
理由はなんであれ、この恋慕を恋慕だと認識できなかった彼は、この齢の少年によくある行動を起こした。
ちょっかいである。
自分はなぜか少女のことが気になる。しかし少女は、あまり自分を気にかけない。成績の話題のときに、申し訳程度に名を口にするだけで、格別興味を持っていない。
だから、せめて負の反応だけでも得ようと、彼は彼女にちょっかいをかける。
今日も教本を盗んで、この時点ではまだ抗う力を持たぬ少女に対し、高慢に振る舞う。
「カルナスくん……教本返してよぅ」
「じゃあ取り戻してみろよ。力づくでな!」
カルナスはこの少女の、自分に向けられた反応が欲しい。せめて嫌悪でもいい。彼女からなんでもいいから意識を向けられたい。
無自覚なままに、少年によくある行為をする。
しかし今日は違った。
「カルナス殿。その教本を返してくださってはどうですか」
なんだか変な同級生が介入してきた。
確か、名はクロト。白雲とかいう弱小貴族の跡継ぎで、この学校では自分に次ぐ成績を出している。
しかししょせんは二番手。首席のカルナスには及ばない。
「カルナス殿。貴殿は大変な秀才です。教本を奪って妨害などしなくとも、天はあなたの栄光を約束するでしょう。才覚第一の士は、ただ公正に競えばよいだけです」
「クロト、まさかそれは口答えか?」
「とんでもない。カルナス殿は――」
クロトはなんだか意味の分からない屁理屈をこねる。
カルナスは不快だった。
これではまるで、自分が悪者で、クロトは少女を救う「王子様」ではないか。
振り上げるものが、破邪の剣ではなく屁理屈だったとしても、きっと少女から見れば、彼はさっそうと現れたおとぎ話の「王子様」であろう。
だが、そんな内心を素直に口にすることもできない。そんなことを言ったら負けであることは、当時の彼にも理解できた。
これ以上、このちょっかいを続けると、少女からの心証はあまりにも悪くなりすぎる。
「面白くなくなった。勝手にしろ」
「ご気分を害したこと、おわびいたします」
カルナスは本を投げ返した。
そして、背を向けつつ、クロトの名前とその相貌を、心にしかと留め置いた。
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