第3話「はじめての粛清」

 さかのぼること約六年。


 廊下を金髪碧眼の少女が泣きながら進む。

「カルナスくん……教本返してよぅ」

 聞くと、カルナスという少年が薄ら笑う。

「じゃあ取り戻してみろよ。力づくでな!」

 教本をブンブン振る。

 カルナスは入学時から、あらゆる才に恵まれていた。この時の少女の力量では、彼から教本を奪い返すのは難しかっただろう。

 それに。

「まあ、俺に乱暴したところで、俺の家が黙ってはいないだろうけどな、ハハッ!」

 彼の家は、地方領主家ではあるが大貴族。下手に危害を加えると、少女自身が危うい。

 と、そこへ別の少年がやってきた。

「カルナス殿。その教本を返してくださってはどうですか」

 少女はハッと顔を上げる。

「クロト、くん……?」

 少女はこの時、クロトと別段親しかったわけではない。しかしそれにもかかわらず、彼女は彼を一方的に知っていた。

 なぜなら、彼は当時からカルナスに次ぐ能力を発揮していたからだ。

 カルナスの才は確かに群を抜いていたが、そこへなんとか追随できる者がいるとすれば、それはクロトであろうと思われた。

「ふん、クロトか」

「カルナス殿。貴殿は大変な秀才です。教本を奪って妨害などしなくとも、天はあなたの栄光を約束するでしょう。才覚第一の士は、ただ公正に競えばよいだけです」

「クロト、まさかそれは口答えか?」

 言われた次期白雲伯は、大げさにかぶりを振った。

「とんでもない。カルナス殿は正々堂々と一位を取る。そこのお嬢さんは教本で、無益か有益かはともかく勉強ができる。皆幸せな道、争いの不要な方策、それを僭越ながらご助言申し上げているだけです」

 クロトが若干得意げに「献策」すると、大貴族の息子は投げ渡すように教本を返し、きびすを返した。

「面白くなくなった。勝手にしろ」

「ご気分を害したこと、おわびいたします」

 後にはクロトと少女が残った。


 時は現在へ戻る。

 クロトたちが応接間に行くと、果たして、金髪碧眼のうるわしき姫君が待っていた。

「お久しゅう、クロト様」

 ふわりとした微笑。

 その大人びた、しかしかすかな幼さを兼ね備えた風貌に、彼は自然体で返す。

「アイリーン殿、お久しぶりです。……とはいっても、まだ士官学校卒業からはあまり日が経っていないですけども」

「ふふ。とにかく、こうしてクロト様のお顔を拝見できて、本当にうれしく存じますわ。特に」

 彼女は端整な笑みを浮かべたまま、続ける。

「お帰りになってから、すぐ合戦に出陣なさったとか。しかも劣勢の状況を覆し、見事勝利されたと」

「相手が兵法を知らなかっただけですよ。大したことではありません」

 実際、ディビシティ山賊団は常に正面突撃、力攻めしかしないと彼は聞いている。団長が「正兵」すなわち真っ向勝負の戦いに、異常にこだわるのだそうだ。愚かといえば愚かである。少なくとも策略を遣うクロトから見れば。

 もっとも、彼はそれでそこそこの勢力を築いている。そしてその主たる理由は、兵の個々がかなり強いから、らしい。

 集団としての「部隊の統率」を重視し、かつ策略の限りを尽くすという士官学校教官の主流派からみれば、かなり異質な戦団である。

 閑話休題。

「アイリーン殿が同じ戦場にいても、必ずや勝利されたことでしょう」

「ふふ、クロト様は本当にお上手ね」

 彼女は上品に笑う。

「いつか、わたくしにも本音で話してくださる仲になりたいものですわ」

 ぽつりと漏れた一言は、何が込められていたのか。

 しかしクロトは、特に気にすることもなく、会話を続ける。

「お父君や大河侯様は息災ですか」

「おかげさまで元気ですわ。父はクロト様にいつかお会いしたい、とも。なにせクロト様は、もともと学年次席であられますし、そこへ今回の『軍神』の活躍ですから」

 また例の大げさなお世辞。流行っているのか。

 それに、彼女もクロトと次席の座を争った秀才である。主に才智の面ではそれほど変わらないはず。

 彼が困惑していると、横から茶々を入れる女が一人。

「アイリーン様、私のことはお忘れですか?」

 露骨に不機嫌なミーナである。

「ああ、ミーナ様、ごきげんうるわしゅう」

「……まあ私は、クロト様の『筆頭家臣』ですから、『ご学友の一人』のアイリーン様と違って、こたびのご活躍を間近で見ていましたけどね」

 ミーナも一応、学友でもあるのだが。

 しかし、アイリーンはこんなことでいらついたりはしない。

「まあ、うらやましいですわ。わたくしもクロト様に『並び立つ』英雄になりたいですわ」

「うぅううぅ……!」

 変なミーナだな。クロトは思った。

「……ところで、実は……クロト様に、少しばかり深刻なお話が……」

「その話、私も参加していいんですよね!」

 真剣な雰囲気になったかと思いきや、ミーナはなおも噛みつく。

 しかし。

「まあ、クロト様の腹心なら差し支えありませんわ」

 どうもおふざけの話ではないようだ。

「深刻な……?」

「ええ。初陣から生きてお帰りになったばかりで、申し訳ないのですが」

「気にしないでください。ともに競い合った友人ですからね」

「うぐぐ」

「実は……」

 なぜかくやしがるミーナをよそに、彼女は話し出す。


 下克上の影。

「どうやら、大河領内に謀反を企てている者がいるのですわ」

「謀反、ですか」

 ただならぬ話である。

「一部の騎士が……バハリタという男を中心として、大河侯に弓引こうとしています」

「むむ。……これはちょっとおおごとですね。僕なんかに話して大丈夫だったのでしょうか」

 クロトが聞くと、彼女は答える。

「それはご心配なく。実は、クロト様に策を請うのは、大河侯様と父上の発案なのですわ」

 ということは、大河侯側はクロトの、平原伯へのあいさつ回りを予期していたということか。

 いや、仮にその予期が外れても、きっと平原伯を介してクロトに接触を図っただろう。大河侯は平原伯とも、以前からよしみを通じていると彼は聞く。

「これはまた。僕はただの青二才ですし、仮に士官学校の成績をご覧になったのだとしても、首席カルナス殿のほうが向いているような気がしますが」

「まあ、お戯れを。カルナス殿に持っていけるわけがございませんわ」

「まあそうですね。失礼しました。……しかし僕なんかに……いや、もしや、大河侯様は白雲との友好を望んでおいでなのでは」

 彼の脳裏によぎったのは、外交の都合。クロト個人を高く評価しているというよりは、今後のために伝手を確保しておきたい、という予想。

「それも無くはありませんわ。もちろん、近くを治める貴族として、良い関係を築きたいようです。しかし、同時にクロト様には、大河侯も父上も大きな可能性を見ているのですわ」

「うーん……」

「それにわたくしも、クロト様とぜひ、今後もよろしくお願いいたしたいですし」

 アイリーンがいたずらっぽい笑みを浮かべると、ミーナがまた噛みつく。

「ずいぶん盛っておいでですね!」

「まあそれはともかく。クロト様は何か策をお持ちですか?」

 聞かれた彼は、腕組みをする。

「きわめて単純な策なら」

「ぜひお聞きしたいです」

「大河侯様は、謀反を企てている人間をすべて把握しておいでですか」

「ええ。しかし表立った動きがみられないため、こちらとしてもうかつには動けないのです」

「なるほど。それなら」

「はい」

 ――一挙に集めて、不意を突き、根切り。なで斬り。

「……ですね」

「おお、クロト様、こわいこわい」

 ミーナがはやし立てるが、無視して話を続ける。

「証拠は斬った後にこしらえればよいのです。主君である大河侯がお耳に入れていらっしゃる、ということは、謀反の企みは多くの者がなんとなく感知しているのでしょう。となれば、そういうやり方でも、そう反発は起きないかと」

「なるほど」

「実際のやり方としては、古典的ではありますが――」

 大河侯が仮病をしたり、何か大きな儀礼や宴などをでっち上げ……もとい催す。仮病の場合は見舞いの要求、儀礼などでは強く参加を促す。

「こたびは仮病がいいでしょうね。大河侯様は、失礼ながらもうお若くはない。持病の一つでもあるはず。それが悪化したことにすれば名目はできます。ともかく、筆頭格の宿将あたりが見舞いを呼びかけ、謀反組を誘い込みます」

 謀反組の成員を、そうして一挙に集める。そのうえで、頃合いを見計らい、あらかじめ用意しておいた伏兵が、彼らを斬る。一人残らず、謀反の芽を切り払う。

 血煙と断末魔をもって、陰謀の闇を浄化するのだ。

「なるほど、なるほど。実にクロト様は、恐ろしゅうございますわ」

 にこやかにこの話を聞いているアイリーン殿も、十分恐ろしいけども、と彼は思う。

「もしよければ、僕もこの策に参加させてください。やはり、言い出しっぺは加わらねばならないでしょう」

「ああ、クロト様、ありがとうございます。うれしゅうございますわ」

「まあ、僕は武芸でも学校では鳴らしたものですからね。とりあえず混戦になっても死にはしません。……というわけで、ミーナ、白雲に伝言を頼むよ」

「はぁい。せいぜい、お嬢様とよろしくやってくださいね」

 どう見てもそういう話ではないんだけどな。

 クロトは心の中でつぶやいた。

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