第2話「ボロボロの馬車」
翌日、改めてクロトはミーナを引き連れ、白雲領の諸将にあいさつした。
「士官学校の課程を終え王都より戻ってまいりました、白雲伯嫡子、クロトです。今後ともよろしくお願いします」
彼が一礼すると、武官フィオナは愉快そうに笑った。
「坊ちゃん、私らは坊ちゃんが小さいころから知っているんだから、そう固くならなくてもいいですよ」
「はあ」
言うと、文官ラヴィニアも微笑む。
「まあ坊ちゃんの性格も存じていますけどね。折り目正しいのは良いことでしょう」
皆で和やかな笑み。
しかし、自己紹介すべきは彼だけではない。
「……で、このたび帰還するにあたって、有望な同期を従者として登用いたしました。……ミーナ」
「はっはい」
普段は快活な彼女が、緊張の面持ちで話し出す。
「ミーナと申します。平民出身です。士官学校をこのたび卒業し、クロト様の従者となりました。身に余る光栄です。細作術には自信があります。よろしくお願いいたします!」
ぺこりと一礼。ちなみに細作――「さいさく」とは諜報員のことである。
彼女を従者とすることについては、帰ってくる前にすでに、白雲領側に話をつけている。つまり、白雲伯たちにとって、いきなり湧いた話ではない。
だから、特に動揺することはなかった。
「坊ちゃんをよろしく、ミーナ」
「よろしくお願いしますね」
諸将がなごやかに見守る。
なお、ミーナは形式上はクロトの家臣、つまり白雲伯の「家臣の家臣」たる陪臣であり、本来フィオナやラヴィニアと同列の扱いはできない。しかしここにそれを気にする人間はいないし、クロトは白雲伯嫡子なので、その家臣ミーナは、単なる陪臣とも異なる。
クロトの身辺を考えても、自前の家臣はいたほうがいい。それを否定する人間はいなかった。
「うむ。よろしく。ところでクロト、お前に行ってほしいところがある。とはいっても、儀礼的なあいさつ回りのようなものだが」
白雲伯はあごをなでた。
「どちらです?」
「平原伯のところだ」
平原伯。
クロトは静かにうなずくが、よく知らないミーナは首をかしげた。
貴族の子息クロトが乗る馬車。その高貴な乗り物は、しかしお世辞にも上等なしつらえとはいえなかった。
車輪は若干きしみ、車体にはつぎはぎが見え、装飾は最低限。
白雲伯は決して、金持ち貴族ではないのだ。
じゃらじゃらと装飾品を身につけ、金貨を紙片のように扱い、高級な飲み物や山海の珍味を次々とその胃に流し込む。……そのような貴族は、ごく一握りのものにすぎない。たいていの爵位持ち、特に地方領主の家にとっては、高貴な者としての最低限の体裁を整えるのですら、結構な負担となる。
もっとも、逆にいえば「最低限の体裁」は整っている。もしクロトが平民なら、乗り物は馬車ですらなく、ろくな馬具もない、やせた遅い馬だっただろう。
もっと良い生活をしたい。それは野心ともいえない、ささいな願いだった。
「ところで」
傍らのミーナが問う。
「平原伯ってどなたです?」
彼女が知らずとも無理はない。平原伯も地方の弱小領主である。
「白雲伯やクロト様と、どういうご関係ですか?」
「ん、どういう関係、か」
彼はほほをかく。
「友好関係なのは確かだよ。でも、いつから、どんなきっかけで始まったのかは、正直僕にもよく分からないんだ」
「お父君、白雲伯様の若い頃から、とか」
「おそらくそう。始まりはよく分からないけど、僕が物心ついたときには、互いに助け合う関係だった。」
作物の不作の年があれば、食糧を分け合う。隣国への橋が壊れれば、共同で修繕をする。暦の節目には使者を出して祝う。
「僕も平原伯とは面識がある。よくしてもらっているよ」
「いい人そうですね」
「善良な人なのは確かだ。ちなみに、平原伯のご子息たちとは、士官学校では会っていないよ。齢は違うんだ」
「へえ。クロト様の時代も、友好を続けられるようにしたいですね」
「全くだ。人脈に頼るばかりが処世ではないけど、かといってむやみに壊していいものではないからね」
馬車はガタガタいいながら、道を進んでいく。
やがて、城に着いた。平原伯の居城である。
城とはいっても、豪華絢爛にはほど遠い。
クロトを含め、見る者が見れば、防衛の設備やその性能は意外と充実していることが分かる。しかし、儀礼上見栄えがよいかといえば、全くそのようなことはない。城の規模も、それほど大きくない。
もっとも規模については、王都のような「総構え」――城下町を城郭がぐるりと覆う様式ではないから、あまり大きくする必要はないのだが。
番兵が馬車を見て取り、うやうやしく一礼する。
「ようこそいらっしゃいました、白雲伯嫡子クロト様。しばしお待ちください」
ボロい……もとい年季の入った馬車ではあるが、しかし仮にも貴族の所有する馬車である。しかも平原伯と白雲伯は親密な間柄。番兵も分かっているのだ。決して「止まれ、何者だ!」などと粗野な対応をしたりはしない。
しばらくクロトは待つ。
「お待たせいたしました。主がお待ちしております。領主の間へご案内します。……なお」
「なお?」
クロトが思わず聞くと、番兵が返す。
「ちょうど大河領のアイリーン様もいらっしゃいます」
アイリーン。クロトやミーナとは、士官学校の同期である。
抜群の容姿とたぐいまれな知性教養、ついでに母性あふれる豊かなバストを併せ持つ、同期の女性貴族の理想である。
もっとも、彼女は大河侯の本家からみると、分家の分家、序列的には末端である。彼女と同じく優等生と称されたクロトとは、そのような社会的立場が大きく異なっていた。
とはいえ、貴族の系譜には違いない。武将としての素養も折り紙付き。
「まさかミーナ以外の同期とこんなに早く会うとはね。ふふ」
笑みをこぼすクロトに、ミーナはなぜか毒づく。
「クロト様、お顔がだらしなくおなりでしてよ」
「なんだいミーナ。唐突にアイリーン嬢の口真似なんかして。似ていないし」
「ううぅう……どうせ私は、アイリーンお嬢様と違って高貴さが足りませんよっ」
「だから、いったいどうしたんだ」
「それより主たる目的は、平原伯へのごあいさつですよっ、しっかりなさってください」
クロトは釈然としないまま、廊下を進んだ。
平原伯は、彼の姿を見るや、破顔一笑した。
「おお、よく来たな、クロト」
「ご無沙汰しておりました、平原伯様」
士官学校帰りの次期白雲伯は、深く一礼する。
「最後に見たのは、まだ十歳の時だったかな」
「はい。懐かしゅうございます」
「あのちびっ子が、まあ立派になったものだ」
「いえ、私はまだまだの若輩でございます」
言うと、平原伯は手を振る。
「そんなことはない。帰ってすぐ、峡谷の戦で活躍したそうではないか」
耳が早いな。クロトは感心した。
「将来は軍神だな。天下無双の兵法家になるのではないかな。士官学校でも優秀だったと聞くからのう」
「軍神、ですか」
これ以上ない褒め言葉。「軍神」など、大げさな社交辞令ではあるが、まあ普通は悪くはない。
しかしクロトの表情は若干沈む。
結論からいうと――彼は合戦が好きではない。
合戦は人的、物的両面において消耗する。どんな勝ち戦であっても、出費や人員の犠牲、マンパワーの負担は必ず強いられる。
それだけではない。どれほど敵に優越する戦力をそろえても、運命は勝利を確約しない。
ささいな穴を正確に突く奇策を相手がこしらえれば、何倍の戦力であろうと、常に壊滅させられる危険がある。そうでなくとも「戦場の霧」、戦いの不確定要素は、いつ、どこにでも存在する。
寡兵で大軍に正面切って突っ込むのは愚策の極みだが、だからといって、こちらが大軍、相手が寡兵であっても敗北のおそれはある。理不尽でかつ巨大な非対称性である。
戦いは合理的に行われる、非合理的な営みである。彼はそう考えている。
「クロト、どうした」
平原伯が心配そうに声を掛ける。
少し考え込んでしまったようだ。
「いえ、なんでもありません。僕の軍略を活かせるよう、精一杯頑張ります」
「そうだな。……ちなみに、大河領のアイリーン嬢もちょうどあいさつに来ていた。少し会ってみてはどうかな」
「喜んで。ご高配に感謝します」
クロトが振り返ると、ミーナがふくれっ面をしていた。
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