第7話「副官たち」
一方、ディビシティ山賊団。
彼らは先の敗戦から、軍団を立て直すことに傾注していた。
「団長、一つお話がございます」
副長ルーネスが言うと、団長ベイナードは返す。
「話って、なんだ?」
「ええと、ここではなんですので」
見やると、複数の将がこちらを見ている。
「内緒にするような話なのか?」
「ええ……ここですと、いろいろ差し障りが」
「なんだなんだ、もったいぶって」
ベイナードが邪険そうに返すが、ルーネスは真剣な表情を崩さない。
「どうか、お願いいたします」
どうせ不平不満の類だろう。しかしその真面目な語調に、ベイナードは何かを感じた。
「分かった。皆の者、いったん部屋を出ろ」
ぞろぞろと出ていく。
人払いが済むと、ルーネスは話し始めた。
「このたびのお話は、用兵術のことについてです」
その一言で、ベイナード団長はピンときた。
「正兵のことについて、か?」
「然り」
ルーネス副長はうなずく。
真正面からの戦い。力と力の真っ向勝負。これを指して正兵という。
「このたびの白雲伯との戦いでも、団長は正兵を指図されました」
「そして負けた、と言いてえのか」
「……然り」
副長はうなずいた。
「こたびの敗戦は、……もちろん白雲領のクロトとかいう小僧が、卑劣な戦術を使ったことにも起因します。しかし、その」
「もし俺が力攻めにこだわっていなければ、勝っていた、と?」
「その、勝っていたとまでは申しませんが、もう少しやりようがあったのでは、と思っております。下の者どもにも、そのような噂をする者がおります」
副長はおそるおそるといった体で、意見を述べる。
「ルーネス」
「はっはい」
「言いたいことは分かった。だが、俺だって考えもなしに正兵を使っているわけじゃねえ」
「は……それでは、どのような」
副長が聞くと、団長は答える。
「もし、俺たちが一〇〇〇、敵が六〇〇人いたとする。お互いに軍の状況、地形、布陣、編成なんかを知り尽くしている場合、力攻めで敵をせん滅すれば、俺たちの兵はどの程度残る?」
奇妙な問いかけ。
「さあ……練度などが同じだとすれば、単純に六〇〇の損失として、四〇〇ほどかと」
「それが違うんだよ」
ベイナードは答える。
「正解は、俺たちが八〇〇人残る。味方の犠牲はたった二〇〇だ」
「そんな……!」
驚くルーネス。
「俺だって兵法は勉強している。この計算は算法がちょっと複雑なんだが、ざっくりいうと……『お互いに相手を知り尽くしている状態で力攻めを挑んだ場合、少しの兵力差が大きな差を生む』ってことだ」
「むむ……」
「つまり、こちらが多勢でかつ、相手の情報を十分に持っているならば、正兵が一番無難な戦法だってことだ」
「相手がこちらを知っていても、なお、よい戦果を出せると」
「その通り。俺が正兵をしたがるのはそれが理由だ」
ベイナードはにやりと笑う。
「力攻めも兵法の一種だ。決して工夫も知恵も捨てた、野蛮人のやり方なんかじゃねえ。数で勝っている場合は効率的な戦法だ」
「なるほど」
「わかったらさっさと仕事に戻るぞ。皆を呼べ」
ベイナードは得意顔で命令し、ルーネスは一同を呼びに行った。
……相手は正兵以外の軍略を選び、それに山賊団は引きずり込まれたのだ、という肝心の批判点は、置き去りにしてしまったままで。
リアナは知っていた。全てを。
クロトへ注がれるアイリーンの思慕。決してかなわぬ恋にからめ取られるカルナス。
そして、そのカルナスを救いたいと希求する、己の心の御しがたささえも。
そもそも、クロトの価値観からして、彼女は気に入らない。なんでも彼が望むのは、風聞によれば世界の静止だという。
とんでもない、破滅的な思考である。
生あるものは変化、変動する。人間も家畜や獣も、植物でさえ、日々徐々に前進――ときには後退するが、とにかく一つにとどまることはない。
そう、「生あるもの」は変転する。
そうだとすれば、変転しないものは「死者」ではないか。命を失い、朽ち果て、あるいは崩壊したものではないか。
つまり万物の静止を望むとは、万物の「死」を望むことと同視できる。
あの次席は、世界の滅亡を望んでいるにも等しい!
今のところ、カルナスはきっとそこまで考えていない。いや、察してはいるだろうが、普段の言動からして、この思想の破滅性を正確に把握しているとは思えない。誰かにクロトの悪人ぶりを説明する際には、少しは触れるかもしれないが、真に心の底から危惧しているようには見えない。
世界の滅亡。こんなものを真剣に願うのは、おとぎ話の魔王か、さもなくば理性を失った人間ぐらいだろう。
もっとも、さすがにリアナには、その思想を持っているだけでクロトをどうこうするつもりなどない。
率直なところ、彼女にとって、クロト自体はどうでもいい存在である。現代風に言えば、死ぬほどどうでもいい。その価値観は心の底から侮蔑するが、かといって今すぐ剣で首をはねる衝動に駆られたりはしない。考えに罪はあっても、いまのところ人に罪はない。
しかし、クロト、アイリーン、カルナスの関係性をリアナは正しく把握している。
カルナスをかなわぬ恋慕の呪いから救い、魂を休めさせるのは、自分をおいてほかにない。
――あのお方を万物から守り、傷を癒やし、柔らかな抱擁を捧げるのは、他の誰でもない、この私です!
そのためにクロトと、ついでにアイリーンの討滅が必要なら、彼女は喜んで自分の才をカルナスに差し出す。
「……リアナ?」
ふと気づくと、カルナスが心配そうに自分を見やっていた。
「どうした。なにやら険しい顔で、考え事でもしていたのか」
「いえ、なんでもありませんよ。カルナス様こそ、お苦しくはありませんか」
「えっ、いや別に」
目をしばたくカルナス。
「左様ですか。もし何かお悩みがあれば、遠慮なくおっしゃっていただきとうございます」
自分が全て受け止めるから。最大限に分かち合うから。
「お、おお、そうか」
「ご主人様が安穏としていられますように、私も尽くす所存です」
リアナはどこか悲しげに微笑んだ。
物語の主役が少年少女だったころ。
食堂に、二人の姿はあった。
……いや、三人である。
「クロト様、この人は誰です?」
「えっ」
ミーナの問いに、クロトは戸惑う。
無理もない。毎日ともに授業を受けている同級生について、「誰です?」などと問うのだから。
「私はアイリーン。大河邦出身だよ。よろしくね」
少女も戸惑ったが、しかしそういうこともあるか、と考え、改めて自己紹介する。
「ミーナ、同級生相手にそれはひどいよ。知り合ったばかりじゃないのだから」
「そういう意味じゃなくて……もうっ」
彼女はふくれっ面を見せる。
「クロトくんは、確か白雲伯様のご長男だとか」
「はい。ここで学べることを活かして、領邦とこの王国の役に立ちたく思っています」
少女は一応貴族とはいえ、爵位の継承権は無い。今のところクロトとは「貴族の子女」という点で同格だが、将来的には、爵位を継ぐクロトのほうが、形式的には格上になる。
もっとも、実際には鶏口より牛後。少し大きな領邦である大河侯の一門のほうに、人々はより権威を感じるだろう。
それはともかく。
「へえ。じゃあクロトくんが勉強を頑張っているのは、将来爵位を継ぐからでもあるんだ」
「いや……まあ、それも理由ではありますが」
彼は困惑した様子。
「単純に、実用的なことで、自分が知っている事柄を増やしたいという思いです。ここで学ぶことは、間違いなく僕の血肉になります。決して不要の知識ではありません」
将来、使う機会のないことを学んでいるわけではない。もしそういう教育機関があるとすれば、それは改善の必要があるだろう。
そして、この世界において、知識は究極の道具である。共有された知識にいつでも容易に接続できる手段があれば別だが、そうでない以上、知識はきわめて貴重な資源となる。
だから、彼は勉学に励むのだ。
「もっとも、僕が貴族に連なる立場でなければ、結局この学校が扱う知識も無意味なんですけども」
ハハ、と彼は苦笑する。
「商人ならそのための算術や簿記学、経営のイロハなどがあるでしょうし、兵士なら武芸の比重が大きくなるでしょうね」
「クロトなら武芸でも、達人と互角だろうけどね!」
「色々考えているんだね」
「とりとめのないことを、ですけどね」
たとえ苦笑であっても、彼の笑顔は、少女の心を温めた。
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