60話 蹴り抜くように

「手ェ空いてる奴は手伝えー」


 小麦畑では、アランが早速『農民』の役割を果たしている。


 この村における二度目の《小麦》収穫――アランの手付きはすっかり慣れていて、手伝いなど必要なさそうである。だがそれでも、彼は助力を必要とするようで、二度三度と声を張り上げる。


 応じる声はない。しかししばらく待っていると、サクサクと草を踏む音が近付いてきた。


「たまには一人でやったら?」


  サミュエルである。うんざりとした様子で、こちらの様子を窺っている。それにアランはフンと鼻を鳴らした。


「どうせ暇なんだからいいだろ。……クローイはどうした?」


「《焚き火》の所。ご飯の用意してる」


 短く応じて、サミュエルは《小麦》の束を《千歯扱き》に掛けていく。小気味よい、しかしどこか残虐じみた音と共に、種籾が剥がれる。


「今度は村長も手伝えよ」


 ニッと口角を上げて、アランが声を掛けてくる。


 前回の収穫では、俺は手伝うことが出来なかった。しかし、今なら可能なのだ。触れることすら叶わなかったアイテムに、今なら干渉することが出来る。


 俺は高ぶる感情を宥めて、彼等の元へ駆け寄った。


 《小麦粉》を用いた料理平焼きパンは、村の中でも評判がいい。《ニンジン》をまるかじりしていた頃と比べると、文化的な食事になったように思える。


 そんな中、はまだ試していないメニューがあった。製粉前の《小麦》を用いた簡素な食事――。


「前言ってた《麦粥》って、どういうの」


 《焚き火》と脱穀・脱稃だっぷ済の《小麦》を用意することで調理可能な食事――《麦粥》。粥と名に付いているのだ、おそらく水の方が比率として多いのだろう。


 時間は掛かるが、製粉まで可能な今日こんにちにおいては、《平焼きパン》よりも遥かに価値が低い。現に食糧生産を担う男は顔を顰め、《麦粥》の作成には乗り気でないようで、


「食いたくねぇなぁ」


「食べたくない物なんだ」


「気になるか?」


「……まあね」


 サミュエルの横顔は、相変わらずの無である。


 ナビ子とはベクトルの異なる、端正な容姿。人形のような、どこか物憂げで危ういその様に、哀れみすら誘われる。


「折角ですので、《麦粥》も試してみてはいかがでしょう」


 少年の様子を見兼ねてか、助言するナビ子に、アランは迷うような素振りを見せる。


 《麦粥》を「食いたくない」と評していた彼だ、尻込みするのも仕方ない。しかしサミュエルの興味を無下には出来ないらしく、わざとらしく溜息を吐くと、


「仕方ねぇなぁ」


 渋々と承諾した。


 アランは入植初日に加入した男だ。希望役職『ニート』の文言をぶら下げてやって来た問題児である。


 最初こそ労働を厭うていた彼だが、最近ではむしろ好意的に捉えているように見えた。作物の育成、それに楽しみを見出したのではないか、それが俺の知見である。


 ただ、それでもなお、未だに『ニート』は諦めていないらしく、虎視眈々とその座を狙っているようだが。


 それに目を瞑っていられる程度には、彼の存在意義は強固である。


「……とりあえず、そうですね。折角クローイさんが《平焼きパン》の用意をしてくださっているので、《麦粥》はお昼にしましょう」


 そう計画を口にすると、サミュエルの表情が仄かに明るくなる。


 サミュエルは入植五日目、相棒のイアンと共に「初心者狩り」をすべく俺達の村を訪ねた少年だ。


 潰れた片目に寡黙な性格。もっぱら歴戦の傭兵のような彼だが、時折見せる表情に子供らしさを感じ取れる。彼は成人したと豪語しているが、それでもまだ十四歳。思春期の難しい年頃とはいえ、甘えられる人が必要だ。


 愛情を注ぐ責務がある。友人を「殺し」、親元を離れた彼を、心身共にケアする義務がある。


 俺に出来る贖罪は、そのくらいだ。


「アランさん、製粉もしちゃっていいですか?」


「おう――と言いたいところだが、その前に脱稃だな」


「そうでした」


 靴と靴下を仮倉庫に寄せ、ズボンの裾を捲る。


 《小麦》の脱稃は基本素足で行う。というよりも、これまで同作業に従事してきた人に倣って、俺もそうすることにした。


 素足に触れる若草が心地よい。


「村長、この作業するの初めてだっけ」


 思い出したようにアランが問うてくる。俺は頷いて、


「はい。前は足をすり抜けて出来なかったので」


「改めて考えるとホラーだよなぁ。サミュエル、教えてやってくれ」


 アランから指南の指示を受けたサミュエルは、グッと口角を引き下げた。


 面倒臭い、言葉に表さずとも、そう思っていることは容易に想像できる。


 ここまで嫌がられると、流石の俺でも傷つく。


「大丈夫ですよ。やり方は覚えてますから」


 作業に参加できずにいた間、代わりに俺は見学をしていた。観察をしてきた。どの作業を、どのような手順で行えばよいか、そのくらいは頭に入っている。


 《千歯扱き》の下から、種を溜める箱を引き出す。素足を種籾の上に乗せる。


 今回は確かに感触があった。くすぐったい。皮膚の下で小さな塊が擦れ合っている。新たな触感を堪能しつつ、俺はぐっと足に力を込めた。


「……あれ」


 想定していたパキリと小気味よい音は、まるで聞こえてこなかった。ただカサリと、心許ない音ばかりが鳴っている。


 感触はあるが、踏み付ける衝撃は全く伝わっていない。まるで穀物に触れる直前で力が抜けてしまっているかのようだ。


「弱すぎ」


「ええ……」


 ピシャリと言い放ち、サミュエルの目が訝しげに俺を見上げる。それから目を逸らして、もう一度踏みつける。


「駄目」


「な、なぜ……成人男性の体重でも割れないんですか、これ」


 何度試しても、師匠が頷くことはなかった。


 やがて脱穀を終え、俺の作業を待つのみとなったサミュエルは、躍起になって足踏みをする俺を一瞥して、


「人を恨んだこと、ないの」


「ありません。ありま……ない、多分?」


「何で疑問形なの。じゃあムカついた奴は」


「入植初日のアランさん」


「その頭蓋骨を砕くように。……いや、蹴り抜くように」


 助言を受けてもなお、俺の脱稃技術は向上しなかった。


 《平焼きパン》が焼き上がり、ナビ子が大きな欠伸をし始めても、まるで成功した試しがない。時間ばかりが過ぎていく。俺はただただ首を捻るしか出来なかった。


「おっさんに対する殺意はその程度なの」


「お前ら、後で覚えとけよ」

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