59話 哀悼の碑

「ルシンダさん……?」


 そう声を掛けると、彼女は面を上げた。一本に結い上げられた髪が、ゆらりと、さながら別の生き物のように揺れる。


「あら、村長。起きたの」


 振り返る彼女の手には《ノミ》。そしてルシンダの先にあるのは、人間でも剣でもなく、石――腰程もある石板だった。


 カップランドで嫌という程目にした墓標。ルシンダが手掛けているのは、まさしくそれだった。


「朝早くから、何をやってるんですか?」


「見て分からない?」


「分かりますけど……」


 とにかく不可解なのだ。なぜ今、ルシンダが墓標を作っているのか。


 この村における死者イアンたった一人である。しかしその埋葬はカップランドで既に終えているし、何よりも彼の存在は、この村においてはタブーである。


 その筈だった。


「お墓、ですか」


「ええ」


 頷くルシンダは、ひどく得意げだ。


 よく見ると、そこら中に転がる瓦礫――否、瓦礫と思っていたものには、模様が刻まれていた。歪ながら、全てに似た絵柄が刻まれている。


 茂る葉、花、そして文字。戯れに作っているにしては、何度も手直しした光景が目に浮かぶ。


「どうしてお墓なんか」


 と、俺が墓標に焦点を当てると、吸い込まれるように文字列が飛び込んで来る。


 ――IAN。


 息が止まるようだった。


「薄情な男ね。大事な仲間を、このまま忘れさせようだなんて」


「ちが……っ、そんなつもりじゃないです! だって、皆さんが――」


「村長、あれからすぐに寝たでしょう。その時聞いたのよ。貴方がうやむやにしたところを全部ね」


 昨晩、皆揃って摂った夕飯の後、俺はすぐに小屋へ向かった。おそらく夜通し行われた労働が響いたのだろう。泥のように、という比喩が相応しい程ぐっすりと、俺は眠りについた。


 彼女の指摘通り、この目で見たにも関わらず曖昧に済ませた箇所がある。だが、俺とて万能ではない。


 サミュエルと彼が「殺した」イアンとの間に何があったのか、どのようなやり取りをしたのか、主観ではとても語りきれない場面も多く存在する。


 きっと村人達は、それを気に掛けていたのだろう。


「ま、サミュエルの話はいささか私情が混ざり過ぎていて、聞くに堪えなかったけどね。大体のことは知ったつもり。安心して頂戴、誰もイアンのことを恨んだり嫌たりしてないわ。……むしろ」


 凛々しい眉を寄せ、ルシンダの声は尻すぼみになる。しかしすぐに調子を取り戻すと、


「だから作ったのよ。デザインをクローイとナビ子、監修をサミュエル、小言をアランが担当してね」


「ほぼ女性陣作じゃないですか」


「何よ、文句ある?」


「いえいえ、全く! むしろ安心したというか……」


 よくよく考えてみれば、『木工師』や『石工師』等の「職人」に分類される役職には、女性ばかり採用していた。


 意図あってのことではないが、無意識に彼女等になら任せられると思っていたのかもしれない。少なくとも、アランが彼女等と同じ職に従事するところは、想像し難かった。


 その時だった。サク、サクと草原を踏みしめる音が聞こえる。


 小屋の影から姿を現したのはナビ子だった。いつもはきっちりと縛っている髪を解き、流れるままに降ろしている。平生よりも、ずっと幼く見えた。


「おはよ~ございます、ルシンダさ――ぐえぇっ、村長さん!?」


 カエルが潰れたような声と共に、眠気眼が一気に覚醒する。ナビ子は手早く寝癖だらけの髪を撫でつけると、


「もっ、申し訳ありません! このような、この……」


「髪を降ろしてると、向こうのナビ子さんとそっくりですね」


 同じB型ゆえにそっくりなのは当然だ。だが不思議なことに、今回ばかりは胸のサイズまで同じである。カップランドのナビ子が、一夜にして俺のナビ子と入れ替わったと説明されても納得できる。


 俺の言葉に、ナビ子は怪訝そうな顔を作る。かと思えば、すぐに拗ねたように唇を窄めると、


「それは……当然です」


 それは蚊が鳴くような小さな声だった。


 彼女は、他のナビ子と比較されることを快く思っていないようだ。確かに、同じ顔の他人を話題に持ち出されて、喜ぶ人間は少ないだろう。


 思ったことを口にしすぎた、俺は密に反省した。


 先程のナビ子の悲鳴がアラーム代わりになったのか、小屋の中が騒がしくなる。ベッドの軋む音、男子部屋に至っては足音が大きく響いていた。


「また騒がしい一日が始まるのね」


「いつも通りの一日です」


 ルシンダとナビ子は感慨深げに呟く。そうかと思えば、ルシンダは身体を伸ばすと、


「さーて、仕上げ、しちゃおうかしら。――ああ、失敗作は捨てないで頂戴。砕いて資材にするわ」


 すっかり職人の顔となったルシンダは、再び《ノミ》を握り締める。地面に置いていた金槌を手にすると、コツコツと打ち付け始めた。『石工師』の仕事を、こうして間近で見ることはなかったような気がする。


 ルシンダがこの村へやって来たのは、入植から四日目のことだ。


 村における彼女の作品は、決して少なくない。各部屋のテーブルには《石のテーブルランプ》、外には《石の灯篭》、仮倉庫の床にも石製の建材を用いている。


 だがその作業工程は、まじまじと観察したことはなかった。興味がなかった訳ではない、忙しかったのだ。


 出会いも最悪だったのに、いつの間にか彼女は俺の村に馴染んでいた。刃のような言葉がなければ、何もかもが締まらない。俺の村にとって、ルシンダはかけがえのない存在となっていた。


「……いつまでそこにいるつもり」


 こちらを振り返ることなく、ルシンダはコツリと《ノミ》を殴る。その声には、いつもの高慢とした気配はない。感情を押し殺すような、職人気質の声であった。


 くいと腕を引かれる。ナビ子だ。彼女は窺うように俺を見上げると、


「行きましょう、村長さん。今日は収穫するものがたくさんあるようです」


 ナビ子の言葉を肯定するかのように、畑ではアランが声を張り上げていた。

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