52話 剣の先

「……おや、来客か。気付きませんで」


 フードの女から、先程までの興奮が消える。一変して淡々と、聞き覚えのある声は言葉を紡ぐ。


「宣戦すらせず無作法な連中と思っていたが、まさかここまで土足で乗り込んで来るとは」


「ちょ、ちょちょちょ、サミュエル君、剣を降ろしてください! 駄目ですよ、そんな危ないこと!」


 腰を浮かせ、慌てた様子の村長が机に手を付く。指先に当たったインク瓶が、ことりと倒れた。


「ていうか……えっ、マルケンさん、クローイさんも! どうしてここに」


「ポリさん、あなた、危機感なさすぎですって」


 マルケン巡査部長も呆れ果てた様子である。


 さっと前へ出たクローイが、男とフードとの間に割って入る。クローイの背に隠された男は情けない程狼狽うろたえ、視線をそこら中に転がしていた。


「なるほど、サミュエル。夢想家のサミュエル……元国民か。懐柔されたばかりでなく、恩を仇で返そうとは。全く、嘆かわしい」


 低く唸るように、フードの女は呟く。突き付けられる剣など意に介さず、ゆっくりと、勿体ぶるように身体を反転させる。


 顔を隠す朽葉色の布は深く、鼻先まで優に隠れている。唯一覗く唇が、春先の花のように色づいていた。


「命令した筈だ、任務を終えるまで帰って来るなと」


「まさか、王……?」


 気付いた瞬間、全身から力が抜けるようだった。


 全ては王の為、国の為。ただその為だけに育てられたサミュエル。身体の髄まで染み込む「王」への敬愛は、どうしても取り除かれなかった。


「彼女、ええと……この村の村長さんだそうで。しばらく、お世話になってたんです」


「お世話になってたとか、そういうレベルじゃないですよ!」


 クローイの指摘に、男は目を瞬かせる。自分が今、どのような状況にあるのか――未だに理解していないのだろう。呑気にも程がある。


 大きな子供と評したルシンダの言葉は、あながち的外れではないのかもしれない。


「と、とにかくですね、サミュエル君。剣を降ろしましょう? 別に何かされたとか、そういう訳じゃないですし。お願いがあったらしくて……」


「お願い?」


 首を捻るクローイを横目に、マルケンが歩み出る。太い無骨とした指が、机をなぞった。


「へえ、設計図か」


 天板には紙が散らばっていた。黄ばんだどの紙面にも、多様の図が描かれている。それを一枚拾い上げて、


「これ、ポリさんが描いたんですか?」


「は、はい」


「全部?」


「ええ、頭を捻り過ぎて熱が出そうです」


 へらりと男は笑う。


 一方のマルケンは目を細めたきりで、それ以上応じようとはしなかった。代わりに鋭い眼光を王へ向ける。


「村長なら、どうしてポリさんに設計図を描くよう迫ってるのかな? 自分で描けばいいだろうに」


「何、アイディアが尽きた、ただそれだけだ。折角のMMOサーバーなんだ、協力してもよかろう」


「ならば最初から友好的に、平和的にお願いすればいいでしょう。どうして村人をけしかけたり、初心者狩りを」


「……全て把握済みか」


 王の手がオリハルコンの刃に伸びる。皮膚が削がれることもいとわず、剣身を掴む。細い手首を赤色が一筋伝った。それが少年と――自ら命を絶った少年と重なる。


 悲鳴こそ堪えたものの、強張った指から柄が離れた。


「サミュエル君……?」


 男が目を丸める。いくら鈍感でも、異変には気付いたらしい。探るような色が瞳に映った。


 対する王は満足げに口角を持ち上げると、


「我が国民は、やはり優しい者ばかりだ。さあ、サミュエルよ。今一度チャンスをやろう。一人残ればいい。その女を殺せ、『プレイヤー』の健を切れ」


 王の手が剣を拾い上げ、サミュエルに押し付ける。


「どうした? これを済ませれば、お前もこの国で暮らせるようになるのだぞ。友人のイアンと共に。最高の名誉であろう」


 ピクリと手が止まる。


 イアン。脳裏に映るのは、最期の顔だった。


 勝ち誇ったような、狂気のような、しかしどこか寂しげな血塗れの顔。それがじっと、責め立てるようにサミュエルを見つめている。


 彼はもうこの世にはいない。それなのに、ここに残る必要はあるだろうか。男やマルケン、クローイを殺してまで、この国に価値を見出せるだろうか。


 分からない。どちらの手を取るべきなのか。どちらを取りたいのか。


 失って初めて気付く。自分の大部分がイアンによって形成されていたのだと。


「やめてください! サミュエル君が嫌がってるでしょう!」


 クローイの背からぬるりと這い出て、男は王へと詰め寄る。朽葉色の袖には、今尚剣がある。サミュエルが受け取れずにいる、最高品質の剣が。


 王は『プレイヤー』を殺さない。しかしそれは、王の前に『プレイヤー』がたった一人だけ存在していた場合のことだ。


 二人いる現状においては、どちらかを斬り捨てることに躊躇ためらいはしないだろう。これまで反抗的な態度ばかりを見せてきた男から、新参の男へ乗り換えるなど、容易に想像できた。


 サミュエルは王の手から剣をひったくる。改めて手にした武器、それは、剣とは到底思えない程に重かった。


 剣とは誰かを害するものである。誰かに向けてこそ意味を成す。しかしどちらにも――王と男のどちらにも、それは向けられなかった。


 情けないことに、自分にも。


「サミュエル君、そんなのポイしちゃってください! 無理して持たなくていいんですよ!」


「いや、ポリさん。一応それ、うちの所有物なんで。捨てられると困ります」


「そうなんですか! あら~、お借りしちゃってすみません。さっき落としてたけど、傷とか付いてないですか? 大丈夫?」


 呑気なものである。全く緊張感がない。先程のキリリとした表情はどこへ行ったのやら、その変わり様は、実は二重人格者と説明されても、膝を叩いて納得できる程だ。


 しかし彼らしい。迷っているのが馬鹿らしくなる。


 サミュエルは叱咤するように唇を噛んで、柄を握り直した。


「王――アンタにはもう従わない。僕はここから出て行く。もう二度と、戻ることはない」


 剣を水平に、腰を落とす。を背に、王を前に。


 あの少年に誓ったのだ。村を守る、村長を守る。その為には、慕い、恋い焦がれてきた王を殺す必要がある。友人の努力を全て無に還して。


「その必要はない」


 マルケンはずるりと、王のフードを引きり降ろした。

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