51話 とんがり屋根の秘密部屋

「うわっ」


 サミュエルを迎えたのは、驚愕の声だった。


 螺旋階段へ続く扉の前、無防備にもじっと何かを考え込んでいたマルケン巡査部長。その男は、しみじみとサミュエルを見た後、


「お疲れ様」


 労いの言葉すら、少年の心は満たさない。ただただ鬱陶しい。耳障りだ。


 前髪から垂れる赤色を払って、サミュエルは闇へ視線を運んだ。


「アイツは?」


「三階を一通り見て回ったけど、どこにもいない。ポリさんはまだ上の階にいるみたいだ。おそらく四階――最上階だろう」


「最上階……」


 塔の最上階に囚われのお姫様がいる、それはあまりにもベタな設定だ。これまでに読んだ童話の多くに用いられていた。脱出に用いるのは魔法の絨毯か巨大な鳥か、はたまた劇的に水堀へと身を投じてみようか。


 尤も、最上階で待つのは可憐なお姫様ではなく、間抜けな成人男性なのだが。


 突然、サミュエルの視界が白色に覆われる。クローイが手近の部屋から布を引っ張ってきたらしい。サミュエルの髪を掻き混ぜ、変色しかけた雫を拭き取っている。


 なんて御節介な。唇を曲げる一方、サミュエルはそれを跳ね退けられずにいた。


「二人共、ナビ子を見たかい」


 水気を拭き取り終わった頃を見計らって、マルケンは扉を開ける。


 淡い光に照らされる階段。三人分の足音が、高い塔に反響する。相変わらず手摺はなく、中央には最下層まで続く穴が開いている。


「ナビ子さんなら、正門の方にいるんじゃ……」


「ああ、俺のナビ子じゃなくて。ここの――一一七番地のナビ子だ」


 ナビ子。それは、どの村にも配属される女の名前だ。外見こそ村によって異なるが、大抵は三種類に分けられる。どこにでもいる為、価値は低い。


「ここが『プレイヤー』の村なら、どこかにナビ子がいる筈だ。村が襲撃されていたら、交渉やら何やらの為に、真っ先に出て来てもいいものだけど……その気配が全くない」


「ナビ子さんって、確か国――レオタロン公国から派遣されてるんですよね。もしかして、愛想を尽かして出て行ったのでは……」


「だといいけど」


 この街では、『ナビ子』と呼ばれる存在を見たことがない。国民の目の届かない場所にいるのかもしれないし、元より不在なのかもしれない。


 ただ、男の口振りからして「最初からいなかった」という線は薄そうだ。


「ナビ子って何なの」


 尋ねると、先を行くマルケンは、少し困ったように肩を落とす。


「ナビ子は……そうだな。案内役、秘書、そんな感じかな。死ねば補充される。そういう……まあ何というか、替えの利く存在だ」


「ひどい……」


 クローイが呟く。サミュエルは後ろめたい思いだった。


 まるで道具のようだ。同じ人間である筈なのに、村長にとって右腕も同然の筈なのに、「替えの利く」ただその一言で片付けられしまう。


 空気が張り詰める。気まずい、息苦しい。あの男も、マルケンと同様に捉えているのだろうか。


 報われない。誰も、この世界では救いを与えられないのだ。


「お、あったあった。扉だ」


 マルケンが身体を揺らして駆けて行く。その背中を見送って、サミュエルは小さく舌を打った。


 最上階は、もはや屋上と称しても可笑しくない場所であった。眼下には見慣れた街並みが並び、その最奥――正門の位置には、多くの人が確認できる。


 長年の籠城によって憔悴していたのか、一一七番植民地の軍勢は押され気味である。中には地面に臥せっている者もいる。流石に無血開城とはいかないようだ。


 屋上には小屋があった。正確には、屋根裏部屋のようなものだ。


 屋上へはみ出るとんがり屋根に扉を設け、屋根裏への通路を確保している。長いこと人の手が入っていないのか、瓦は半ば剥がれ、扉の塗装も落ちていた。


「勿体無いね、こんなに立派なお城なのに」


 クローイが呟く。同意を示すと、ふとサミュエルの耳が音を捉えた。


 声は二種類、それが扉の隙間から洩れている。男女が言い争っている様子だ。どちらにも聞き覚えがある。


 誰のものだったろうか、記憶を漁っていると、サミュエルはマルケンの目配せに気付いた。先に行け、そういうことらしい。


 部屋の中に誰かしらがいることは明白なのだ、貴重な『プレイヤー』を盾にする訳にはいかない。男が扉から距離を取ったことを確認すると、サミュエルは静かに、しかし素早く突入した。


 中は質素であった。萎びたベッドと、細足の頼りない机。今にも背もたれが折れてしまいそうな椅子。窓には格子が嵌められている。枠に多少のガラス片が残っていることから、元はガラスでも埋め込まれていたのだろう。


 これまでに通過したどの部屋よりもボロボロだった。既に襲撃を受けたと言わんばかりに。


「だーかーら! これじゃあ我が王国に相応しくないって、何度言ったら分かるんだ!」


「そ、そんなこと言われても、建築センスとかないんですって~」


 声の主はというと、勢いよく開いた扉に見向きもしない程、議論に熱中していた。


 片やマントとフードを深く被り、片や見慣れた顔をしている。


 村長だ。


 身なりは失踪時と変わらない。拘束されている様子は特になく、手にはこの部屋から逃げ出すに足る武器――羽根ペンが握られている。


 しかし、彼に逃走の意志はないらしい。こちらにはまるで目もくれず、いさかいに夢中だ。


「ホント俺、他のゲームでも穴倉生活しかしたことなくて、建築には無縁なんです」


「じゃあ学べ! 壊れてない家とか、そこら中にあるでしょう」


「だったら明日、外に出してくださいよ。見学に行きたいんです!」


「誰が許すか、そんなこと!」


「矛盾してる!」


 ない知恵はしぼっても出て来ない。そう頭を抱えて突っ伏す男は、ひどく滑稽だった。


 なぜ自分は、この男を助ける為にここまで来てしまったのか。なぜ友人は、この男を選んだのか。全くもって分からない。怒りを通り越して、呆れすらサミュエルの中にはあった。


 だが、こちらに気付いていないのは好都合である。


 サミュエルは素早くフードの背後に回り込むと、首へ剣を添えた。そこでようやく、鈍感な男も気付いたらしい。間抜け面をさらに丸くして、ポカンと口を開けた。

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