第3話 恋煩い
1月24日金曜日、02:20。
まだ暗い部屋のなかで、馴染みの目覚まし時計は仄かな光を灯す。
真由さんからのリボンを見つけてからというもの全く眠れず気が付けば夜遅くなってしまった。お母さんに声を掛けられたくないので取り敢えず電気だけは消したものの、ベッドに潜ってスマホを弄ったり、リボンを撫でたりと忙しい夜を過ごしていた。
普段通りコードで繋がれ眠るはずだったスマートフォンはバッテリーの限界を知らせているし、何よりこのままでは寝坊してしまう。
就寝という任務を達成するためにスマホを手放して布団を深く被ってみるが、依然頭のなかはごちゃごちゃで眠気がやってくる気配は微塵もない。
真由さん、真由さん。真由さん……。何を考えるでもなくただ真由さんへの熱情が湧いて、溜まる。
枕元に置いたリボンからは心なしか真由さんの匂いがする。苦しい。苦しくて温かくて私本当にどうかしてしまったんだな、なんて自嘲気味に笑ってみるとふと意識が遠のいていった。
ピピピピピ、と不快な電子音が耳に入ってくる。カーテンの隙間から入ってくる光が眩しい。
んぅ、と軽く呻いて目を開けると残酷な現実を突きつけられた。まさかの8時、明らかな寝坊である。
急げばかすり傷程度のミスではないか? もしかすると先生が遅くて出席に間に合うかもしれない。歴戦の遅刻魔の勘をフル稼働させつつ飛び起きる。
パジャマを脱ぎ捨て制服をひったくって身に纏いつつ、リビングの卵焼きだけ口に放り込む。今日の出来はイマイチだ。
足掻いた甲斐あってどうにか出席に滑り込め、また何でもない人生がロードされた。つまらない授業に騒がしい世間話。それなりに楽しいけれど退屈さが漂う日常。
しかし私のなかは昨日までとは違った。友人達の会話なんて全然頭に入らなくて、ピンク色の霧が絶えず立ち込めて息苦しい。どうして。どうしてこんな。
真由さんは同じ学校だと言っていたけれど、休み時間の度にうろうろしても、授業中に廊下をガヤガヤと通り過ぎる人たちを確認しても見当たらなかった。
人数が多い学校だから出会えないのも仕方ないが、一日中探しても居ないとなると、なんだか期待してしまっている自分が虚しくなる。
恋しくて恋しくてたまらない。どうして真由さんに一目惚れしちゃったかなんて理屈はなんだかもうどうでもよくて、獰猛な熱情に溺れてしまって。また会わなきゃ、自分がどんどん壊れていきそうで。
ポケットに手を突っ込んで、リボンを弄る。絶えず触っていたからか先が少しほつれている。また、来てくださいね、か。行くに決まってる。
今日もあの店に行ったら、またあの笑顔で珈琲を淹れてくれるだろうか。もっとたくさん話せるだろうか。そういえばまだ、真由さんの名前しか訊いていない。真由さんのことをもっと知りたい。声を聴きたい。
どうしちゃったの、と訊いてくる友人達を相手するのも億劫で、なんとなくもごもごとして、喫茶店へ向かう。私と真由さんの場所を荒らして欲しくないので回り道する。よし、付いてきてない。
扉をあけると昨日と同じ良い香りが外へと流れ出してきた。
「いらっしゃいませ、こんにちは」
真由さん。真由さんだ。
いざ会うと、言葉が何も出ない。長い髪、端正な顔。とりあえず会釈だけして、前と同じ席に向かう。なにか声を発したら震えてしまいそうだから、メニューを凝視し注文を考えているフリをして、気持ちを落ち着けようとしてみる。全く落ち着かない。何か頼まなきゃ、でも、目が滑る。なにも頭に入らない。分かるのは自分の胸の鼓動ばかり。
読めないメニューに必死に目を向けていたら、昨日と同じように真由さんが横から声を掛けてくれた。
「那奈さん、何かお困りですか」
ウッ。心臓が一瞬止まる。
「那奈さん……?」
辛うじて真由さんの方を向いて、笑いかけてみる。引き攣ってひどい顔になっているのを感じるが、どうにもできない。
「ええっと」
「あっ、えっと」
2人の間に謎の間が生まれる。声を掛けてもらって笑いかけるなんて、我ながら気持ち悪いことをしたものだ。注文をしてこの空気をごまかすことにする。
「キャラメルラテ……お願いします」
「キャラメルラテですね、かしこまりました」
結局のキャラメルラテ。私にはこれが限界だ。
そんな私に、真由さんは変わらない笑顔を向けてくれて、私の顔はさらに引きつってしまう。
「また来てくれたんですね」
そう言って真由さんは淹れたてのキャラメルラテを机に置いてくれる。
「そ、そうなんですよ」
もっと粋なことは言えないのか。
「……」
「あのっ」
「?」
「……。」
「どうかしましたか、那奈さん」
ちょっぴり意地悪な笑みを浮かべ、問いかけてくる少女がひとり。この人は。分かっている。
「那奈さん?」
だめだ、他の客もいるのに。そんなに名前を呼ばないでくれ。
「真由さん」
「……なんですか?」
耳元に微かな吐息がかかる。知らないうちに真由さんは横にいた。やっぱり、この人は。
「リボン、もらったので」
「……気づいたんですね」
「……みんなにあげてるんですか」
しまった。これじゃ独り占めしたいみたいな発言じゃないか。返事が怖くて、ほぼ空になったカップを見つめる。
「……貴女だけですよ」
聞こえるか聞こえないかの囁き。だけれど、私はしっかりと聞き取り、そして、何も言えなくて。
正気なら浮かんでくるはずの疑問たちも、眠りに落ちていて使い物にならない。
真由さんは惚けている私を置いて、なんでもないかのようにテーブルを拭きはじめた。軽やかな身のこなし、優雅に揺れる後ろ髪。私は彼女を見つめながら、ぼうっと客がいなくなるのを待つのであった。
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