第2話 一目惚れ

「いらっしゃいませ!」


 その声の主は長身の少女。ハーフアップにした栗色の髪に青い髪飾りが良く似合っている。黒いワンピースの上から軽くフリルの付いたエプロンを纏ったそのさまはお人形のようだ。入口で立ち尽くす私を心配そうに見つめる姿が見えたので、とりあえずどこかに座ろうかな。辺りを見回すと数人で座れるようなテーブルもぱらぱらとあるがカウンター席が大半で、数人のおじ様たちが読書をしながら珈琲を嗜んでいた。1人で来たので少々緊張しつつもカウンター席の端っこに座ることにした。丁度良い硬さのイスに腰を落ち着け、ふぅ、と一息ついてみる。

 外から覗いたよりも室内は存外明るくて、木と珈琲の混ざったような匂いが心地よい。これは…クラシックだろうか? 流れるようなピアノの音色が聞こえてくる。まさに隠れ家だ。

 これまた古めかしいメニュー表を手に取ってみると、見慣れない片仮名が沢山並んでいてぎょっとしてしまう。辛うじて大枠では珈琲ということは理解できるが、こんなに種類があるものなのか。

 ……全く、分からない。

 自分から質問をしたら笑いものになってしまうと危惧して暫く難しい顔をしてメニューとにらめっこをしていたら、先程の店員さんが横から声を掛けてくれた。


「何かお困りですか?」

「えっと、あの、おすすめとかってありますか……?」


 おすすめを訊く戦法で恥をかかずむしろツウ感を出していく! 天才的な案である。


「今日のおすすめはこちらになっております」


 白く細い指でメニュー上の『今日のおすすめ』欄を指さしてくれるのを見て、天才的だと思っていた案が早々に敗北するのを察する。書いてあった……だと……! このままではおすすめ欄も視認できない馬鹿女だと思われてしまう、これはまずい。去りそうになっているところを小声で呼び止め、リテイクを試みる。


「店員さんの好きなメニューってなんですか!」


 気負うあまり大きな声が出てしまい赤面する。恥ずかしい。

 一方店員さんは一瞬驚いた表情を浮かべたのちに口元を緩め、メニューに目を向ける。


「そうですね、今日は寒いですから私ならホットのキャラメルラテにします」


 気付けば店員さんの顔が近い。手も私のもののすぐそばにあって、微かに温かさを感じる。

 なんだか、ドキドキする。この気持ちは何だろう。


「なるほど、じゃあそれでお願いします!」

「かしこまりました、少々お待ちくださいませ」


 カウンター越しに淹れてくれる珈琲を待ちながら、店員さんを眺める。……眺める? どうして。でも目を逸らせない。逸らしたくない。彼女の一挙手一投足をこの目に収めたい。……どうして。


「お待たせ致しました、こちらホットのキャラメルラテでございます。」


 彼女の小さな手でつくられた珈琲が私の眼前に置かれる。いい香り。珈琲も、彼女も。どうして。


「ありがとうございます」


 にこやかに私の前から去っていく彼女が愛しい。愛しい? 私はどうかしてしまったのか。


 カップを拭いている。箒を掃いている。在庫を管理している。

 業務をこなす彼女から目を離すことが難しくて。時々目が合ってはサッと目を逸らす。

 こんなの。

 一目惚れじゃないか。

 心の底では分かっていたが、いざ本当に認知するとどうすればいいか分からなくなる。どうして。私は女なのに。気のせいだろう。いや、気のせいではない。どうして。

 初対面で同性に一目惚れしましたなんて誰に伝えられようか。徐々に心のなかは彼女への想いで満たされてきて今にも押しつぶされそうだ。こんな思いをするなら。退屈でいたほうがマシだった。

 幸せだけれど、辛い。

 辛い。

 辛いよ。


 キャラメルラテはとうに冷えて、客はいつしか私だけになっていた。流れるクラシックと珈琲の香りもなんだか辛くて、何故だろう。辛いから、もう少し踏み込んでもいいかな。ううん、許可されないとしても我慢できない。彼女への想いがもう。止められない。


「あの!」

「なんですか?」


 彼女は優しく問い返す。


「あの……名前とか、訊いてもいいですか」


 最後の方の言葉は自分でも聞き取れるか分からないほどの小声だった。


「私ですか? 貴船 真由です」

「真由さん……」


 訊いてどうしようかなんて考えてなかったので、頭がフリーズしてしまう。真由さん。真由さんか。

 何度も真由さんの声と名前を反芻する。


「あの」


 今度は真由さんの方から声を掛けられて、私は反射的に返事をする。


「はいぃ!」

「えっと、お客様、葛城学園の方ですよね? 私もそうなんですけど」

「えっ」

「お客様のことは今日初めてお見掛けしましたが、もしかしたら何処かで出会っていたのかもしれませんね」


 ふふっ、と笑う真由さんが眩しい。そうか、同じ学校なのか。その気になれば毎日顔を見られるのか。それはとても、嬉しいはずなのに。


「同じ学校なんですね」


 ようやく絞り出した言葉は何の意味もない、ただの相槌。


「はい、よろしければお客様のお名前も教えて頂けませんか?」

「ああっ、あ、あ、あの。」

「はい。」

「たかぎ……高木那奈です!」

「那奈さんですね。またいらしてください。」



 ガランガラン、閉店時刻だ。夜道は危ないからと、真由さんは大通りまで見送ってくれた。店に着く時には水っぽかった雪も、ふわふわしたものに変わっていた。



 1月23日木曜日 21:00。

 ベッドの上で真由さんのことを考える。真由さんの髪。声。指先。

 ふと、鞄に見慣れないリボンが巻かれているのが見えた。何だろう。

 蝶々結びされた青いリボンをほどいてみると、中央部分に『また来てくださいね』というメッセージが現れた。真由さんだ。誰にでもやっているのかもしれないが、嬉しい。苦しい。また会いたい。

 聴こえやしないだろうが窓を開けて店のあるだろう方角に向かって呟く。

「勿論」

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