温かい珈琲はいかが?

侑奈

第1話 出会い

 お湯で優しく温められたカップに黒い液体が注がれる。白を黒で満たしていく様はもはや芸術だ。

 忽ち香ばしい香りが立ちのぼって、店内を満たす。

 窓の外にはしんしんと雪が降り積もっていて如何にも冷たそうである。こんな寒い日には温かい飲み物がぴったりだ、などと思いながら少女は客に笑顔を振りまく。


「ホットのカフェラテでございます。ごゆっくりどうぞ!」


  ぼそぼそとなにか呟く客のテーブルから離れつつ、少女は気づかれぬように小さくため息をつく。変わらぬ毎日、変わらぬ自分。少女は珈琲を提供する自らを顧みて退屈していた。




 1月23日木曜日 06:00。

 目覚まし時計にうつる日付時刻をぼうっと眺める。最近はやたらと冷え込んでいてベッドから出る気が微塵も起きない。が、しかし。このまま下界に対して防衛戦を続けてしまうと現実に不戦敗してしまう。

 かくなる上は!

 腕に突き刺さる氷の刃に耐えながらリモコンを取り、温風を召喚する。これで楽々脱出だ! と機嫌を良くして遂に足先を外界へ向ける。


 暖房のもとでは寒さも無力である。

 鼻歌を奏でながら支度を終えて、少女は高校へと向かうのだった。普段は食べない朝ごはんを今日は平らげたからだろうか? 足取りが軽い。おいしかった卵焼きを思い出しつつ歩いていると、背後から元気な声がした。


「ななー! おはよー!」

「おはよう!」

「あっれー那奈、なんか元気じゃーん? いつもは死んだ魚みたいな目してんのにさーあ?」

「今日はうまく起きれたんだよね…って、それは失礼すぎるでしょ」

「ははっ、ごめんごめん~」


 軽口を叩きながら校門をくぐって、エレベーターを待つ。

 お嬢様学校と言われる度に否定する私だが、この素晴らしいエレベーター達に言及されたらぐうの音もでないのであった。なんたって数が多いし広い。お嬢様の足を煩わせまいという強い意志を感じる。

 なんだか余裕があるので到着を焦ることもなく談笑に耽る。教室に着く頃には大所帯になった仲間達と会話のキャッチボールをしていると、朝礼を知らせる鐘など聴こえない。否、聴かない。

 このささやかな幸せがずっと続いてほしくて、面々は言葉を紡ぎ続けるのである。


「朝礼ですよ、着席しなさい」


 ああ、終わってしまう。花園に咲く小さな幸せがまた消えてしまう。

 先生の声に抵抗しようと喋り続ける友人もいたが、声は段々と小さくなって儚く散る。この繰り返しだ。仕方ないので渋々私も自分の席に戻ることにした。

 終わらない幸せが欲しいなぁ、なんてポエムめいたことを思いながら窓を見つめる。

 毎日儚く散ってしまう幸せなんて無いのと同じではないか、虚構と同義ではないか。終わってしまってもいいけれど、こんなその場しのぎの幸せじゃないものに出会いたいものである。と、いってもここは女子校。恋愛したくも男性との出会いなど先生相手ぐらいのもので、外で見かけたところで話しかけるなんて度胸がないのであった。恋愛、か……。

「起立! 礼!」


 しまった、ぼうっとしていたら起立し損ねてしまった。私の席は一番後ろなので先生にバレることはないだろうが、周りが立っているのにぼんやり座っていたと思うと少々気恥しいものがある。学級委員にもなんだか申し訳なくて、「おはようございます」と小さく呟いてみたら隣の友人に笑われた。私はといえば、この友人も実は彼氏がいたりするのだろうかとまた思考の森をぐるぐるするのであった。




 授業は当然のように退屈で、朝の期待を返せと言いたいほどである。

 文理選択という大きな壁によって仲間と引き裂かれた訳だが、果たしてどうして理系クラスはこんなに真面目ちゃんが多いのだろう。

 去年まで落書きして過ごしていたクラスメイトだって、今ではノートに絶えず字を羅列しているのが見える。黒板のどこが面白いのか問いただしてやりたいところだ。ふう、と嘆息して机の下でスマホを弄る。正直授業はつまらないがついていけない代物ではないので、謎の授業のひとつやふたつサボったところで困らないだろう。

 なにしろ今日は良い日になる予感がしたのだ。この予感に報いてやらねば私が可哀想である。

 目新しい体験を求めて当てもなく周辺の店を調べていると、通学路の脇の小道になにやら小洒落た喫茶店があった。探偵が居座っているような木調の外観と可憐な花々の写真にこれだ! と根拠のない確信を得る。

 ふむふむ、セーラー服のままで洒落たお店に入ってみるのも悪くないな。通ぶってブラックコーヒーでも頼んでみようか。そしてケーキも併せて頼めばかなりかっこいいのでは? 間違いない!



 数式を詰め込むはずの頭は気づけば古めかしい喫茶店への夢想でいっぱいで、気付けば授業時間は終わっていた。今日はいい日だ! 廊下でかたまって世間話をしている女子たちに軽く声をかけて颯爽と階段を駆け下りる。教科書でいっぱいの鞄だって大して重くない。喫茶店に行くと決めただけでこんなに気持ちよくなれるとは単純な奴め、と思いつつも笑みが零れる。



 夕方から雨の予報だったが、どうやら寒さで雪に変わったようだ。水っぽい雪が足元を濡らす。まだ積もりそうもないが走るのは危ない。期待に胸を膨らませつつ大股で歩を進める。

 パッと見た瞬間に心を奪われてしまったので碌にメニューも値段も確認していなかったことに気づき、少し不安になる。手の届かない値段だったらどうしようか。席が埋まってたら恥をかいてしまうのではないか。そもそもここって予約制とかだったりしないだろうか。

 店が近づくにつれて不安がもくもくと湧き上がってくる。長いスカートは雪で湿っていて気持ちが悪い。小道の薄暗さも相まって、戸の前に立つ頃には不安の嵐だった。戸についた小さな窓から中の様子を伺うも薄暗くてよくわからない。無意味に手持ちの小銭を数えたりうろうろしてみたりして、段々外は暗くなってきてしまった。

 ここまできたら戻るのも怖くて、意を決して中へと入る。

 ガラン、ガラン。

 鈍い音がひびいて、香ばしい香りが鼻腔を刺激する。

 続いて、大人びた少女の声が届く。


「いらっしゃいませ!」


 その澄んだ声に私の不安はどこかに飛んでいった。

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