(2)
この子どもじみた師弟に関して記録は少ない。
二人が普段何を中心に学んでいたのか、空き時間は何をして過ごしていたのか、そもそも良好な関係を築いていたのか。
その一切について歴史書は触れてくれていない。ペラギアは父帝から特に冷遇も厚遇もされていない、数ある皇子皇女のうちの一人に過ぎなかった。
上には皇太子として君臨する異母兄のテオシウスを筆頭に、同母と異母を合わせて三人の兄姉がいる。帝位から遠い皇女に対しては妥当な扱いであろう。
そんな彼らが次に歴史書に姿を見せるのは、776年の秋。
アンドロニコス帝の即位の時のことだ。
話が前後するが、経緯を簡単に説明する。
前年の775年4月3日。テオシウス皇子が亡くなった。父ヨハネス帝と共にトラケール人の国であるトラニキアとの戦に従軍し、流れ矢に当たったのである。うららかな春の日だった。
即死ではなかった。皇子は首都ヴァシリティオンのハギア宮殿に運ばれ、父帝ヨハネスと生母エイレーネに看取られながら亡くなった。三日三晩苦しんだと記録されている。テオシウスに放たれた矢は毒矢だった。
皇子が亡くなってからすぐに――もしくはその前に、周囲は暗殺を疑った。
テオシウス帝を誕生させたくない一派が、テオシウス皇子を亡き者にしたのではないか。
ヨハネス帝は怒りに震えながら調査を命じた。
トラケール人は通常毒を使用しない。ヴァシリ帝国の何者かがトラニキアの人間を雇い、確実に亡き者にする為に毒矢を渡したのではないかという推察は、非現実的な話ではなかった。
ヴァシリ帝国は他国から魔の巣窟と呼ばれていた。この宮殿ほど権謀術数が横行し、水面下で足を引っ張り合っている場所は他にない。常に多くの手段と策略が複雑に結びついていた。
調査を命じたヨハネス帝も彼自身は優秀な皇帝だったが、帝位を継承するにあたっては清い身の上ではなかった。
皇帝が暗殺を疑っている事実はすぐに知れ渡った。この頃の宮廷内に緊張の空気が走っていた。皇族殺しである。事態の黒幕は、本人だけではなく一族郎党全て皆殺しかもしれない。決して楽には死ねないだろう。
しかし結論としてテオシウス皇子の死には誰も関わっていなかった。
調査はテオシウス皇子の死によって得をする人物たちを中心に行われた。
まずペラギアの同母兄アンドロニコス。テオシウスの下の異母弟として、彼の死によって皇太子の位を得る皇子である。次にその母テオファノ。更にはテオシウスが帝位に就いたら栄達から外れるであろう者達。その誰もがトラニキアとの明確な繋がりを持たなかった。
では一体だれがトラニキアに毒を授けたというのか。
実はトラニキアは近年交易に力を入れて発展を遂げている。毒矢もその流れで導入されたものだろう、というのが調査の見解だった。
そう報告されれば成程、
現在では敵国であるヴァシリ帝国自身も、トラニキアの主要な交易相手の一国だった。鎖国しているわけでもないのだから、トラニキアが異国の武器や毒を用いていても、不思議はない。
余談だが、トラニキアの首都ゼピュロスからほど近いアーレスの遺跡から、考古学華やかなりし19世紀に、7世紀から8世紀位のものであろうと思われるクロスボウが発見されている。形状は同時代のグルツンギ製のものと酷似していた。
グルツンギ人自身ではなく、それを輸入したトラニキア人が所持していたものだろう。時代から考えて、ヴァシリ帝国相手にもこのクロスボウは使用されていたかもしれない。
話が横道に逸れた。
調査と並行して、皇太子テオシウスの国葬は速やかに行われた。
期待していた皇子だけに、彼の死はヨハネスを気落ちさせた。
皇太子にはアンドロニコスが擁立された。だがしかし、皇帝とこの新しい皇太子との間には既に深い溝が出来ていた。テオシウスの死に関して、ヨハネスが真っ先にアンドロニコスを疑ったことが一生後を引いたようだった。
失意のうちに、ヨハネス帝もテオシウスの死の一年後に帰らぬ人となった。
アンドロニコス帝の誕生である。
アンドロニコスの戴冠式にプセルロスとペラギアの二人が参加している。
この頃になると皇帝の同母妹ということで、プセルロスとペラギアの記述も少しずつ出てくるようになる。
ペラギアはまだ未婚だった。プセルロスと出会った時には7歳だった彼女は、今や16歳だ。
適齢期だが、婚約の話は出ていない。
彼女の師匠であるプセルロスはアンドロニコスという最強の後ろ盾に、主の嫁ぎ先の斡旋を願い出ただろうか。
記述はそこまではされていない。常識的に考えるとどうだろう。
一介の家庭教師に過ぎないプセルロスが皇帝に願い出るのは
彼女の母親であるテオファノ経由でそれとなく
いつでもペラギアの為に奔走しているのは、彼女の運命がそのまま自分に帰ってくるプセルロスだけだった。
一方テオファノ自身はペラギアに対して関心は薄かったのか、娘の為に何かを働きかける記述は、プセルロスと違って一切残っていない。
幸いなのは、ペラギア自身はテオファノに対して思うところはなかったようだ。後年皇帝になった彼女はテオファノと良好な関係を築いている。ペラギアは生涯を通して精神に屈折を持たなかった。
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