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 赤ら顔でニキビ面。頭髪が薄く、背が低かった。

 グルツンギ王の使者によるプセルロスの外見的特徴である。後述するが、彼らはプセルロスに恨みを持っていたので、些か誇張が過ぎる表現のように思われる。

 だが、残存する絵画イコンを見ると、実際に背は低かったようだ。美男か醜男か。少なくとも美男ではなかっただろう。

 


 750年6月15日、ヴァシリティオンの没落貴族カンダクジノス家の長男として生を受けている。妹弟も何人かいたようだが、彼らは歴史には登場しないので割愛する。


 家族的な繋がりが薄かったのか、もしかしたら夭折していたのかもしれない。彼らが生きた8世紀において、子どもが成人するまで健康に育つ確率は後世よりはずっと低かった。

 プセルロス自身は運よく生き延び、大学まで出た。彼は秀才だった。学費を惜しむように本来ならば25歳で卒業する大学を17歳で飛び級、しかも首席で卒業している。


 プセルロスの同級生の日記が残っている。



“不思議なことに、彼と対立するもの、あるいは彼を目の敵にする者はことごとく大学を後にした。彼に悪意を持って関わると不幸せになるという法則が広まることに、多くの時間を要さなかった。ある者は皇女と内通したことが発覚して未来を閉ざされ、またある者は大学の金を横領したことが発覚して、追放されている。どれも自業自得だが、不気味ではあった。やがて彼に興味本位で近づく者はいなくなった。見た目は胡散臭い小男だが、こういう男とは、関わらぬ方が吉である”


 日記には“彼”の名前は一切出てこないが、これはプセルロスのことだろう。

 仮にプセルロスと似たような年頃で飛び級者がいたとしても、飛び級して尚且つ首席で卒業する者は限られている。

 興味深い内容だが、学生の時分はこの手のことを陰謀めいた話に結び付けたがるものだし、なんの後ろ盾もないプセルロスが貴族の若者たちを陥れるどんな方法があったというのか、現実性に欠けることも事実である。

 ただ、噂の真偽は定かではなくても、この男は関わらぬ方が吉であると周囲から思われていたことは確かだっただろう。

 経済的に豊かな者が進学する大学の中で、プセルロスのような困窮した若者は異分子だった。加えて彼には後ろ盾がなく、味方になってくれるような有力な友達もいなかった。

 呪いの男という扱いを受けていたことをこの男はどう思っていたのだろうか。

 もしかしたら、グルツンギ人達に向けた『相手からどう思われようと痛くもかゆくもない』という境地はこの頃に既に修得したものだったのもしれない。

 兎に角この秀才は卒業後に官僚になった。ただし、官僚と言えば聞こえが良いが、当時のヴァシリ帝国には官僚が多かったので一概にエリートコースとは言えない。

 彼が配属された先はどうだったのだろうか。

 プセルロスが配属された先は、大学を飛び級主席で卒業した男にしては不当に低く、没落貴族にしては快挙とも言えなくはなかった。

 当時7歳になったヨハネス帝第二皇女、ペラギアの室だった。彼女の家庭教師、お守り役と言っても過言では無かろう。

 歴史に名高いへメレウス帝の母にして自身も女にして皇帝になった、後の女帝ペラギアである。



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