第16話 極楽浄土

ぇ? ここはどこ?

ふと目を覚まし、上半身を起こした。

いつの間にか寝ていたようだった。

柚木菜は周りを見渡した。

一面に広がるお花畑。黄色、赤、白、黄緑、紫と、色彩豊かな大地が広がっていた。

振り返ると、こちらは湖だろうか。穏やかな水面には、鏡のようにはるか向こうにそびえる山々を映し出していた。

 しばらく景色の美しさに我を忘れていたが、ふとどうして自分がここにいるのかを思い出そうとした。

ぇーと。私は確か……

柚木菜はお花畑で座り込み考えた。

 目の前には、白と黄色の蝶がひらひらと舞っていた。何の悩みもなく、自由に空を舞う姿にしばらく見とれてしまった。

 蝶が舞っている…… ここの蝶は可愛いなぁ。白もいいけれど、黄色もいいな。アゲハ蝶には黒いのもいたような…… 黒い、虫……

そうだっ! と柚木菜の頭の片隅に、虫達の大群が襲ってくる記憶が蘇ってきた。それで、今までの経緯も思い出すことができた。

 台風24号をなんとかしようと、教授や助手の人とあれやこれやとしていたら、ついには台風とコンタクトを取ることができて、あげくの果てには自分自身が小さな台風になってしまい、さらには台風の本来の目的を知ってしまう。

 被害を少しでも減らすために、擬人化した台風のティカセに協力すると言ったら、台風と自分の間に、なんと子供ができてしまい、その子と負の存在たる黒い虫を駆除することになったのだ。

そして、強靱な負の存在の刃にかかって、自分は意識を無くしてしまった。

……ってことは、私は死んだのかな? 五次元の世界で死ぬと、次はどこに飛ばされるのだ?

まてよ…… ふつーに死ぬと、三途の河を渡って、地獄に行くのか、天国に行くのか、閣魔さんが采配を振るうわけで、ここはその後の世界なのだから……

ここは、天国だ……

柚木菜は改めて周りを見回した。

とても穏やかで、清々しく、暖かい。

春の陽気にも似たこの場所は、本当に天国なのだろうか。

空を見上げれば、陽は高く照っており、鳥たちも自由に空を舞い、草花を見れば、小さな昆虫達や蝶などが、花の蜜を吸っていた。

ぅーん。天国といってもなぁ。行ったことないからわからないし、誰もいなさそうだし、どうしたらいいのだ?

柚木菜はとりあえず現状を受け入れて、この幸せに満ちた環境に少し不自然さを覚えたが、どうすることもできなさそうなので、とりあえず立ち上がり、散歩をすることにした。

もう痛みはなかった。

着ている服も女神スタイルのままだったし、血の跡も、剣で貫かれた破れも無い。

ふと、思った。

思い至った。

なにか食べたい。

そーいや、今頃、私の本体は電極に繋がれてアレコレとデーターを取られているに違いない。

きっと、血中の糖度も下がって、脳内の活動も下がっている頃だろう。

と、勝手に結論付けをして、あることを思いついた。

ここは天国だ。だったら……

柚木菜は目をつむりイメージをした。

そして、目を見開き、口で言葉を発して唱えた。

「カフェド・ジゲンのチーズケーキセット、出ろっ!」

すると、お花畑の何もない場所から、青白い光が溢れ出し膨らんでいった。

やがて形あるものに変化し、姿を現した。

そこに出てきたものは、椅子とテーブル。そして、その上には白いティーカップ、ポット、チーズケーキの載ったお皿だった。

「よっしゃ! 成功っ! さっすが天国っ。なんでもアリだねっ!」

柚木菜は、出てきた椅子に座り、フォークでチーズケーキを切り、刺して、口に運んだ。

「んんっ! 美味しいっ! 一汗かいた後のスイーツは格別ね」

二口目を食べようとして、フォークでチーズケーキを刺そうとしたとき、目の前の空間が光った。

やがて光は人形になり、それは、本当の人になった。

「やあ、元気にしている?」

現れたのは、こゆきの父親であり、一応自分の夫であるティカセだった。

「ぉおっ。元気だよ……」

 突然現れたティカセに、とりあえず返事をした。それから、一番の疑問を投げかけた。

「ねえ、ここって、どこなの? 俗に言う天国ってやつなの?」

「ここかい? ここは休憩所さ。天国はこの上にあるのだけれど、このエリアは君みたいに、身体に怪我をした時や、仕事で疲れた時に利用できるフリーのエリアなんだ。誰でも利用できるから安心して」

「私は天国だと思ったよ。スイーツ出し放題だし。景色は綺麗だし。本当に素敵なところよね」

「君が怪我をしたっていうから、ちょっと様子を見にきたんだ。それにしても、君の存在はすごいんだね。この国のみんなが応援しているよ」

突然現れたティカセに唐突なことを言われ、柚木菜の頭は混乱した。

「は? この国のみんなって? 日本のこと?」

「君は日本国の国民なのだろう? 違ったかい?」

 ティカセは涼しげに言ったが、聞いていた柚木菜の頭の上には、はてなマークが点灯していた。

「ぁ、ぅん。日本国民だけど…… 私って別に有名人じゃないけど、なにかの間違いじゃないのかな?」

「じゃあ、聞いてごらん。耳をすませれば君だって聞こえるはずだよ」

 ティカセは優しくそう言い、手を耳に当て目を瞑り、小さな声を聞く仕草をした。

柚木菜も真似をしてみた。耳に手を当て、目をつむる。

…………声なんか聞こえないぞ。

さらに意識を集中させた。

ティカセは耳に手を当てていたが、それは耳で聞けという意味ではない気がした。

手はアンテナだ。身体全身で聞けといったのかもしれない。

改めて……

……ぇ? 私を呼んでいる?

柚木菜は全身で聞こうと集中した。

すると、確かに聞こえる。

柚木菜を呼ぶ声が重なるように聞こえてきた。


……サユキナサマ

我らのサユキナ様っ

サユキナ様、台風を追っ払って

頑張ってっサユキナ……

サユキナ様……


柚木菜は、数々の声を聞いた。その声を、身体で感じた。

重なるように、呼びかけは続いていた。

その、さゆきなって私のことかな?

確かに、我は女神サー・ユーキナと名乗った記憶はあるけれど、どうしてその名をみんなが呼んでいるの?

聞いていると、聞きなれない単語が混ざっていた。


巫女姫様の使い魔サユキナ! 台風をサッサと追い払えっ!

偉大なる巫女姫様、我らを救って!

サユキナっ! 巫女姫様のためにしっかり働けっ!

巫女姫様。我が主人巫女姫様っ。我らはあなたのためにこの身を捧げる所存です。

巫女姫様のためなら、この命、惜しくありません!

サユキナッ! 巫女姫様に迷惑をかけるなっ!


柚木菜は声を聞いているうちに、頭が混乱してきた。

「巫女姫様って誰よっ!」

柚木菜は、自分の力が日本国中で期待されていると思っていたが、今の声を聞いて憤慨した。

一度聞こえるようになった声は、耳を塞いでも聞こえるようになってしまっていた。


サユキナっ、サッサと働けっ!

巫女姫様のために尽力を尽くせっ!


「ほらほらサユキナさん。みんなが言ってるよ。働けって、ね」

 ティカセはいたずらっぽく笑った。

「……ったく。怪我人をいたわって欲しいわ」

と、柚木菜は思ったが、声を聞いているうちに、身体に力が湧いてくるのを感じた。

巫女姫様とやらの存在は知らないが、日本の人達の期待は、やはりサユキナのこと、柚木菜にあった。

頭に飛び込んでくる言葉は、確かに酷いものもあったが、それでも柚木菜の力になっていた。

自分は必要とされている。

サユキナを呼ぶ言葉のシャワーはさらに増し、次第に身体が光り輝いてきたことに気がついた。

「ぇっ! なにこれっ? どうなっているの?!」

「僕達の力の源は、地上に住む者達の気持ちだったり、意思だったりするのだよ。それがたとえ人ではなくても、生きし生きる者なら、例外はないんだ。とりわけ、人の気持ちは大きいけれどね」

柚木菜は、ティカセの話を聞いて心が震えた。自分の力だけでここまでやってこられたと思っていたが、実は多くの人達が自分を応援し、支持してくれていたことを知った。

 だから、ここまでやってこられたのだと、改めて知った。

「私は自惚れていたよ。てっきり、「京」と私の力でここまで来れたと思っていたけれど、巫女姫様って人が陰で私を支えて、日本中の人達を導いてくれたのね……」

 ティカセが手を差し出した。

「柚木菜。行こうか。みんなが待っている」

「うん。そうだね。待たせたら申し訳ないよね」

柚木菜はティカセの手を取った。

二人は光に包まれると、一瞬強い光を放ち、そしてお花畑から姿を消した。

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