第9話 ゆううつ
「そうさ、僕と柚木菜の愛の結晶だよ。可愛いだろう」
ティカセは目一杯の笑顔で答えた。それは幸せ絶頂の現れでもあった。
二人のあいだには6歳くらいの小さな女の子がいた。その子も柚木菜の顔を見上げて笑顔をふりまいている。
柚木菜はめまいを覚えた。……自分の子? この先どうやって育てればいいのだ。親にはなんていえばいいのだ? 結婚もしていないのに……
そもそも、目の前のイケメン能天気男子のティカセとは、まだ付き合ってもいないし、今日会って数十分しかたっていないのに、成り行きでキスをしてできてしまった子だ。いったい、どうすればいいのだ?
柚木菜の腰あたりを抱き着いていた、生まれたての子供は、すでに6歳ほどの子になっていて、幼いころの自分に似ていた。確かに自分の子のようだ。しかし……
「どうしたんだい。嬉しくないのかい。これから僕たちはここで生きていくんだ。これで君の願いはかなえられる」
……? 私の願い? 何だったかな? 素敵な彼氏ができますように…… だったかな?
素敵な人と一緒になれますように…… だったかな?
いやいや、何かがちがう。
「ティカセぇ。私って、何を願ったのかしら…… 自分の子供がほしいなんて、願ったかしら?」
「おいおい、何を言っているんだい。君は地上に被害が出ないように、なんでも協力するって言ったじゃないか。でも、人手が足らない。だから、君と僕は結ばれて、こうやって子供ができたんだよ。これから三人で協力すれば君の願いは叶えられる。地上の人は被害を最小限に抑えることができる」
私の願いは、そうだった……
台風の被害に苦しむ人を少しでも助けるため。だから、なぜか成り行きでキスを求められ、いつの間にかティカセに心を奪われ、体を奪われてしまったんだ……
確かに、ティカセに魅了されて、交わした口づけはとても甘美なものだった。体が熱くなってとても心地よかった。幸福の絶頂のなか、頭の中が真っ白になって、確かに昇天した……
……でも、まさかこんな行為で子供ができるなんて思ってもみなかった。しかも、生まれた子供はすでに6歳ほどまで成長している。
「……ぁぁ。私、まだ処女なのに、一児の母になってしまったわ……」
小さな女の子は柚木菜を見て、にこっと笑った。
「ねえ、ママぁ。わたしに名前をちょうだい。そしたら、わたし、ママのためにがんばるから」
柚木菜は、幼い我が子を抱きしめた。過程がどうあれ、自分の子には違いない。可愛いことには違いなかった。
「……ごめんね、ママちょっとびっくりしちゃって、どうしていいいのか、わからなくなったの。でも、もう大丈夫。あなたは私の子よ。名前は、そうね、私の子供だから…… 柚木菜の子で、コユキ、誇優姫ね」
「コユキ…… 私の名前はこゆき。ママの子だから、こゆきっ。ありがとう、ママ。わたし、ママのために頑張るねっ」
「よかったな、こゆき。それじゃ行こうか」
ティカセはコユキの小さな手を取ると、中央にある光の塔へ向かおうとした。カミナリが固まったような光の塔は、天高く、それこそ宇宙まで伸びているようだった。
急すぎる展開に柚木菜は目が回りそうだったが、次に行くということは、今回の本題の台風の被害を抑えるための何かだ。今度はいったい何をしようというのだ。
「ちょ、ちょっと待って。今度は何をさせる気なの。ちゃんと説明をしてからやってよ。さっきみたいに、まさかの展開にならないでしょうね」
「まさかって、なんのこと? 何か今まで何かの問題でもあったかな?」
いつものように優しい表情で静かに言うティカセであった。
「ちょっと、あなた…… 人の心はあるくせして、人の神経は持ち合わせていないのね……」
「ぇ? 神経ってなんだい? 君たちの言うニューロンのことかい? それとも、電線みたいなものかな? それとも、女子や乙女特有の器官みたいなものかな?」
「……もういぃ。私があなたに人として期待したのがバカだったわ。せっかくときめいた気持ちは、なんだか、一気に冷めてしまったような気がする……」
「ママ、パパは悪くないよ。観点が違うからしょうがないんだよ。パパを責めないで」
……この子は生まれたてなのに、とてもしっかりしている。こんな自分を見せてしまっては、我が子に笑われてしまう。
「ごめんね、こゆき。ママね、パパがあまりにも鈍感だからちょっとイラッとしただけなの。ママはパパを愛しているから、安心して」
これは、半分本当だった。ティカセはたしかに自分の理想の人に近かった。長身でハンサムで優しくって、たまに強引。自分のことを曲げることを知らず、なおかつ私のことを最優先で見ていてくれる。
こんな人が目の前にいたら間違いなく惚れるだろう。たとえ、少しまともでなくとも……
「柚木菜、心配はいらないよ。君とこゆきは自分達のことに集中していればいいよ。僕はこいつの制御があるから、ある程度しかサポートはできないけど、ちゃんとバックアップするから安心して」
「えっとぉ、まだ何をするのか聞いてないんだけど」
柚木菜まだまだ疑心暗鬼だ。自分の彼氏はとんでもないことを平然といってくるから、困ったものである。
「負の浄化なんだけど、僕たちはこの大型機関で大地の浄化を行っている。大量の雨で負の存在を浮かして強風で吹き飛ばす。雨自体に浄化作用があって負の存在はこれを嫌うんだ。だから、雨だけでもそれなりの効果はあるんだ。ただ、またその地に降りて取り付いてしまったら、元もこうもないから、強風で吹き飛ばす必要がある。吹き飛んだ負の存在はここに吸い込まれて、炉心で焼き尽くされる。今回、君たちは初戦だから、とりあえず戦地に先行して負の存在を除去してほしい。除去したエリアは今回の作戦に外す。つまり、君たちが確保したエリアに僕は勢力を送らない。だから、雨と風の影響はあまり受けなくなる。君たちの働き次第で、多くのエリアの人たちが台風の被害を受けずに済むと言うわけだ。理解できたかな?」
柚木菜は、話半分理解できなかった。苦笑いをティカセに向けて、自分の娘に目を向けた。
目を輝かせ、少し興奮気味な雰囲気だった我が娘は、早く行こうと服の裾を引っ張っていた。
「ねえ、ティカセ、もっと具体的に言ってくれないかなぁ。小さな子もいるんだから、わかりやすく言ってほしいなぁ」
「あのね、ママ。地上には負の物質で汚れた悪い虫がいるの。それを退治しに行くんだよ。パパの陽電子拡散ブラスターは微弱だから、直撃させても撃退できないの、反陽子で虫たちを浮かしてもやっぱりここの炉心まで引っ張ってくるには相当の出力がいるの。だから、こんなにもすっごく大きな装置がいるのね。パパもね、この装置を制御するだけでめいっぱいだから、直接単体を駆除することはできないの。だから、私とママで虫を駆除しにいくんだよ」
柚木菜の顔が引きつった。この子は本当に私の子なのか? 話の内容が飛びすぎて、正直全く理解できていなかった。
「ははは…… こゆきはどうしてそんなことを知っているのかな、誰に吹き込まれたのかな? って、パパしかいないよねぇ」
「柚木菜どうしたんだい。浮かない顔をして。こゆきはパパに似て仕事熱心だなぁ。これは遺伝ってやつだよきっと。人は遺伝子を子孫に伝えるんだろう。すごいなぁ人って」
「はは…… ちょっと違うんだけどなぁ。たしかにこゆきは私にそっくりだから、これは遺伝だと思うけれど、中身の知識やらなんやらはパパの遺伝というより、だだ単にコピーされただけじゃないのかな」
「君はロマンのないことを言うねぇ。我が子が聞いているのに、もう少し夢があってもいいのじゃないかなぁ」
「……ゴメン。そんなつもりじゃなかったんだけど…… ごめんね」
こゆきは特に気にした様子もなく、無邪気な笑顔をふりまいていた。
「私の知識はママとパパから受け継いだものだよ。だから、これは遺伝なんだよ。そもそもヒトゲノムの理論は遺伝子のパターンによって決まってくるんだけど、私たちの場合はそれよりもずっと細かくって奥が深いの。基本パターンは同じなんだけどね。配列番号が多いの。だから人の配列は……」
「ああ、もういいから、わかったから。ありがとう、こゆき。ママは理解できないから、その説明はもういいわ。こゆきの頭はパパの遺伝子の影響が強いのね。それより、その、虫ってなに?」
「ママ? 虫、知らないの?」
こゆきは怪訝な表情で首をかしげる。
「……知ってる。もちろん知っているよ。でも、こっちの世界の虫は知らないわよ」
「そうなの? それはね、負の存在。負の力が形になった存在。虫は虫を呼び増え続けてね、その土地や住んでいる人に影響を与えるの。夏から秋にかけて増殖して、そのたびにパパが出動して駆除して繁殖を抑えているんだよ。今回は私とママで、その虫たちをやっつけに行くの」
柚木菜は、足元で服の裾を掴んでいる小さな子を見つめた。本当に何を言っているのかと疑いたくなるが、どうやら、これが真実らしい。これが現実らしい。
正直、今でもこれは夢だと思いたい。悪い夢ならさっさと覚めてほしい。そう思ったが。それは同時に、この二人の存在を否定してしまうことになってしまう。
自分と結ばれた存在。そして、その間に生まれた唯一の存在。自分のわがままでその存在を否定することはできない。この現状を受け止めなくてはならない。もう、自分一人の問題ではないのだ。
「こゆき。ママはなにも知らないの。だから色々と教えてね。パパとママの世界は全然違うの。だから、知らないことがいっぱいあるの。だから……」
「うん。こゆき、ママと一緒にいたいから、なんでも教えてあげるよ。えっとね、虫はね、負の物質でできているから、それに対してプラス電子の抗体を叩き込むの。それで虫は消滅できるよ」
得意げにこゆきは説明をし、柚木菜はウンウンと頷きながら理解はしていなかったが、話を真剣に聞いた。自分の知らないことを淡々と話す我が子についていくには、なかなか大変だった。
「それって、どうやって叩き込むの? その抗体は虫に向かって投げつけるの?」
「そうだね。投げつけてもいいんだけどね、それじゃ効率が悪いから、銃で撃つの」
「うつ? 銃で撃つ? 銃って、拳銃とか鉄砲のこと? そんな物がこの世界にあるわけ?」
今度は、話を聞いていたティカセが首をかしげた。
「なにを言っているんだい。銃は君の世界にあるだろう。銃なんて色々あるじゃないか。きみの国なら、アマゾンとかで簡単に買えるのだろう?」
「買えないわよっ、そんなもの。アマゾンで売っているのはきっとエアガンかモデルガンよ。そもそも、アマゾンを知っているの?」
「ぁー、いいなー。アマゾンでショッピング。私、欲しいものが一杯あるんだー」
「こらこら、こゆきまで…… って、何か欲しいものがあるの?」
「こゆきね、F35が欲しいな。保有しなくてもいいから乗ってみたいな」
「は? えふさーてんファイブ? 乗ってみたい? なんなのそれ。動物?」
「ヒコーキだよ、ママ。こないだね、日本がアメリカから買ったんだよ。たくさんね、荷物が積めるし、隠密行動ができるんだよ。すごくなぁい? カッコいーんだよ。乗ってみたいなー」
「ごめんね、こゆき。ママね、そのヒコーキのこと知らないの。それに、アマゾンじゃきっと売っていないし、こっちの世界だとそのヒコーキに乗ることもできないの」
「大丈夫だよ、ママ。ママだってあっちの世界生まれなんでしょ。こゆきも行くことできるから」
「え? そうなの? じゃあ、さっさと虫さんを退治してママの世界に帰ろうか。もしかしたら。その、えふさーてんファィブっていうヒコーキにも、乗れるかもしれないしね」
「うん。早く虫退治に行こうよ。その前に銃を用意しなくっちゃ。ママは何がいいかな」
「あはは…… ママ、そういうのわからないから、こゆきに任せるね」
「じゃあ、ちょっとまってて」
そう言ってこゆきは、電光石火の早さで、中央の光の塔へ飛んでいった。
楽しそうにしているこゆきに対して、柚木菜は困惑していた。小さな子供が虫退治に銃を使うと言うのだ。おかしくないか?
それにどうやって銃を入手するのだ? アマゾンとか言っていたけれど、ここには住所はないし、払うお金もない。そもそもここには実体化した物質は存在していないと思えるのだが……
黄金色に見えるのは、ここの物質から放たれるエネルギーの光だ。現実世界ではこの光は見えない。見える見えないの問題ではなく、ここは。普通の世界ではないのだ。
普段の世界に、もう一つの世界が重なったような空間にいるのだ。
ここは普通ではない……
柚木菜が頭を抱えていると、こゆきの明るい声が耳に届いた。いつの間にか戻っていたようだ。
「ママぁ。これでいいかな? コンパクトできっとママでも扱えるよ」
こゆきの手にはコンパクトな自動小銃が握られていた。いくらコンパクトでも、こゆきの小さな手にはやはり大きい。
「……こゆき、これどうしたの? どこから持ってきたの?」
「どこからって、ママの世界にアクセスして、データーをこっちに転送してパパのでっかいやつの炉心のパワーで実体化させたんだよ。へっけらーこっほのMP-5っていう銃だよ。オリジナルは9mmのパラベラムだけれど、ここではそんな火薬式は無用だから、高分子抗体弾の9ナノ弾が撃てるように改良したよ。反動は少ないからママでも撃てるよ」
「はは、ははは…… あなたは本当に私の子供かいな…… パパの影響がよほど強いんだね。それはそうと、こゆき、少し背が伸びた?」
ふと、先ほどまでこゆきを見るときは、見下ろす感覚だったが、今は視線が少し地面と平行になったような気がした。
光の塊から生まれたときは、6歳ぐらいの感じだったが、今は10歳ぐらいに思えた。顔立ちも明らかに成長している。
「うん、少し伸びたかな? さっきのままだと、銃も持てないから、ちょうどいいね」
と、いって銃を構えるが、明らかにアンバランスだ。コンパクトな銃でも、やたら大きく見える。
「私がこれを持つの? 撃ち方、わからないよ。こゆきは撃ち方わかるの?」
こゆきは軽くブローバックさせて銃を構え、ロックを外し、そして引き金を引いた。
閃光と共に、電気がはじけるような乾いたスパーク音が響いた。同時に、白い弾丸が勢いよく何発か発射された。
「…………!」
白い弾丸は円筒状の壁に当たり白い火球となっていくつか穴を開けた。
「どう? 簡単でしょ。ここを引いて、ここを下げて、引き金を引くだけ。狙いは、初弾を見てから修正すればいいよ。数撃てばきっと当たるから」
はい。と、こゆきは銃を柚木菜に渡した。
両手で受け取る柚木菜だったが、思った以上の重さにびっくりした。落としそうになるのをこらえて、構えてみる。
「こ、こうかしら? こんな感じでいいの?」
ぎこちなく左手でセンターのグリップを握り、右手でトリガーのグリップを握った。
それを見ていたティカセが、感嘆の声をあげた。
「すごく似合っているよ、柚木菜。こゆきが選んだだけはあるな。センスがいいとはこのことだよ」
柚木菜は、苦笑いしか出なかった。
…………いったい、どんなセンスだ……
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