第8話 享受
手を繋いだティカセと柚木菜は巨大な雲の塊、台風に突っ込んでいった。
黄金色に輝いていた世界は、一気に雲の中に包まれ視界は真っ暗になるかと思われたが、実際は違っていた。
雲の中は巨大な縦の円筒状の空間になっていた。円筒状の中もやはり黄金色に輝いた空間でとても台風の中にいるとは思えない。
「ここは一体なんなの? 雲の中とは思えないんだけど。もしかして、真ん中の目の部分?」
下を見ると遙か下にうっすらと地面が見える。上はかすかに黄金色の空が見える。円筒状の壁は雲ということか。
巨大な縦穴の真ん中には光の細い柱が立っていた。まるで雷が棒状に固まってしまったかのようだった。
「君が思っている通りだよ。ここは台風の真ん中、クリーンルームだよ」
「はあ? くりーんるーむ? 何それ」
「大地の不浄なるものを吸い込んで、ここで綺麗にしてまた雨として地上に戻すんだよ」
「へーー、よくわからないんだけれど、あの真ん中で光っているのがその浄化されたモノなのね」
「まあ、そんなところかな。あれはここの動力炉なんだけど、地上の不浄なモノをあれで燃やしているんだよ。闇の物質だってあの炉の中で燃えれば光の物質に還元されるんだ。そして、その粒子は再び大地にふりそそぎ、人々の繁栄の糧になるんだ」
「じゃあ、もし不浄のモノが。どんどん溜まっていったらどうなるの? 人が住めなくなってしまうわけ?」
「人々の争いが絶えなくなって治安が維持できなくなってしまう。この国が比較的平和なのは、こうやって定期的に浄化をしているからなんだ。わかるかな?」
「うーん、なんとなくわかったけれど、納得はできないなぁ。他にいい方法は無いわけ? こんな大がかりなことをしなくたって、もっと地道に穏便にやっていくとか」
「それも以前は検討されたそうなんだけどね、全然間に合わなかったそうなんだ。で、いまの大規模清掃方法が確立されたのさ。だって、圧倒的に早いだろう。他の方法だったら、何十年とかかる作業を、わずか二、三日でやってしまうんだ。多少の損害はしょうがないさ。それより、大地を汚染されることのほうが、よっぽど深刻だよ。手遅れにならないうちに手を打たないといけないのさ」
「まあ、いいわ。どうしようもないのね。でも、もう少し勢力を落とせないのかしら。少しでいいんだけれど」
「まあ、できないことはないけれど、もう一回台風を呼ばないといけない事態になるかもしれないよ。それでもいいのかな」
「今のまま上陸されたら、目も当てられないわ。お願い、進路をお変えるか、少し勢力を下げて」
「そんなことをしたら、この地は汚れたままになってしまうよ。土地が汚れてしまえば、そこに住む人、土地だって汚れていくよ。それこそ、海外のどこかみたいに、荒れ果ててしまうよ。それでもいいのかい」
「そ、それは…… でも、他に何かいい方法はないのかしら。こんな大きな台風じゃなくたって、いいような気がするわ。もっと小型の台風で分担して動けばいいんじゃないかな?」
「君は、ことを簡単に言うね。できなくはない。でも、今はできない。なぜなら、人手不足だからだよ」
「は? 人手不足? なにそれ。台風不足なんじゃなくって? だって、この後またすぐ25号が発生するんでしょ? その手をこっちに回せばいいじゃない」
ティカセは、ふーっと鼻で息を漏らし、首を左右に振った。やれやれといった風情だ。
「25号はもう予定が入っているから、進路の大幅な変更はできないんだ。この24号だって、進路は決まっているから、あまり変えることはできないんだ。そもそも、大地の浄化が目的なんだから、それさえ完了できれば、すぐにでも立ち去るよ」
「じゃあ、どうすることもできないの? 私に何かできることはないの? なんでも手伝うから、何とかしてよ! わたし、このままじゃ戻れないわ!」
柚木菜は懇願した。いまこの瞬間も、この下では台風の被害が拡大している。何人、何百人、何千人、何万人もの人が被災している。そして、何人もの人が尊い命をなくしている。何も罪のない人が巻き込まれている。
柚木菜の瞳から涙がこぼれた。ここまでやってきたのに、何もできない自分があまりにも不甲斐なさと、悔しさで、出るはずのない体から涙が溢れ出したのだ。
「困った人だね、君は。そんなにも言うなら、今の状況を打開できないことはないよ。もちろん、君の協力は必要だ。だって、君が何とかするんだからね。僕は、手助けをするだけだ」
「え? 何とかなるの? なんでも手伝うわ。何をすればいいの?」
柚木菜はじっと、ティカセの顔を見た。この人が言うことなら、なんでもできそうな気がした。それで、今もなお被災している人たちを少しでも救えるなら、それこそなんでもしてもよいと思った。
柚木菜の真剣なまなざしを感じ、やれやれといった感じで、ティカセは口を開いた。
「覚悟はいいみたいだね。まずは手始めに、僕とキスをしよう」
柚木菜の顔が固まった。何か聞き間違えただろうか。いま、目の前の、台風擬人化美男子は、キスをしようと言ったように聞こえた。
「はあぁっ! き、キスぅ? ななな、なんでキスすんのよ。それ、いま必要なの?」
「もちろん必要さ。これをしないと、君に手伝ってもらうことができない。いやかい?」
良いか、嫌かと聞かれたら、それは、別に嫌ではない。年も見た目は近そうだし、イケメンだし、少し意地悪だけれど優しいし、何よりこれをしないと自分は手伝うことができないと言われたら、するしかないではないか。
「い、嫌じゃないわよ。でも、本当にこの行為って必要なの? もしかして、私に惚れたとか、そういう感じなわけ?」
「惚れたとか、好きとか聞かれたら、そりゃあ好きだろう。君のことが好きだから協力するんだよ。でも、キスはそのためじゃないんだ。口と口のキスが嫌なら、性器と性器の……」
「きっ、キスでいいわっ。ちょっと、人ならもっとデリカシーを持ってよ。私は乙女なんだから! いきなり、「キスしようか、それともHする?」なんて、聞かないでよ。返事に困るわ」
「その言い方だと、どちらでもいいように聞こえるけれど、君がキスでいいというならそうしようか」
「キスでいいわよ。何度も言わせないで。そんな、Hが先なんてありえないわ……」
「なんだい、人って、好きな人とはそういう行為をするのだろう? どっちが先とかあるのかい? 結局は、性器と性器をつないで……」
「こら! もうそれ以上言うなっ! やっぱ生まれたての男子はこれだから嫌だわ。もっと、人を……、男子を学びなさい」
柚木菜にそう言われて、ティカセは目を閉じて考えこんだ。そして、目を開けた。そして、じっと柚木菜の瞳を見つめ、両肩に手を置いた。
急な展開に柚木菜はドギマギし、きっとくる次の展開を予想して目を閉じた。
すると、両肩に置かれたティカセの手の片方が動き、胸の方へ移動した。そして、柚木菜の膨らんだ胸の片方を揉んだ。
柚木菜は目を見開き、思わず右手の平手を相手のほほに叩きこんだ。
パンと乾いた音がした。この体でも不思議と実態があるから、手のひらに打撃感もあったし、胸をもまれた時の感触もしっかりあった。
「ちょっと、キスをするんでしょ? どうして胸を触るのっ! 台風でも女子の体がほしいわけ?」
「なんだよ…… 君が男子を学べっていうから調べたのに、何がいけないんだい? 僕には君たち女子というものが理解できないよ……」
「ティカセ、あなたいったい何を学んできたの、地上の何かを見てきたのでしょ?」
「ホンヤという場所に、ザッシというのがあって、そこの成人コーナーの男性誌を見てきた。ついでに、君たちの電子ネットワークで調べてきたんだよ」
「……それは、つまり、あれかな。エロ本を見て、さらにそっち系のことをネットで調べたってことかしら? ……そうね、それは私の説明が悪かったわね。男子なんて、結局そこだものね。少し反省するわ……」
「え? 違うのかい? 人の男子はとにかく下半身の接触を求める傾向にあるようだけど、女子は違うとでもいうのかい。ややこしいな、人って」
「あー、それと。私は女子だけど、その中でも「乙女」というジャンルなの。わかるかな? どうせ、あなたはすぐ調べるんでしょ?」
ティカセは、再び目をつむり、少し時間がたってから目を開いた。そして、先ほどのように、柚木菜の瞳をじっと見つめた。
「な、なによ、今度はどうだったの。ちゃんと検索できたのかしら。ただ単純に「乙女」って検索したって、私の求めている、それ、とは違うんだから。ねえ、わかってる?」
「君はごちゃごちゃと、ぅるせーんだよ! 女子だ? 乙女だぁ? そんなこたぁー知らねーよ」
ティカセの態度と口調が突然豹変した。先程の優しい口調から、あまりもの荒々しい口調の変わりように、柚木菜の表情は強張った。
「ぇ? ちょっと、なにを言って……」
「ぅるさいんだよ! 俺の言うことに黙ってしたがっていりゃいいんだよ!」
「ちょっと、ティカセ? どうしたの? いきなりぶったのは誤るわ。だから……」
「だまってろっ! 柚木菜のことは俺が一番よくわかっている。誰よりもわかっている。誰よりも柚木菜の事を想っている。こんな俺を信用できないのか? 柚木菜、俺を信じろ。何も疑うな。だから俺に任せてくれ。……それから、柚木菜。……俺はお前が好きだ」
「えっ? だって……」
それ以上柚木菜は言葉を発することはできなかった。ティカセ唇が柚木菜の口を塞いだからだ。
柚木菜は見開いていた瞳をゆっくり閉じた。唇に温かいぬくもりが伝わる。ティカセの両腕が背中に回り力強く抱きしめてきた。柚木菜も腕をティカセの背中に回し優しく抱きしめた。
今までの経過が、目の廻るようなものだったのが、突然時間が止まったかのように思え、この世はすべてこの瞬間のためにあるかのように感じた。
柚木菜は全身でティカセから伝わるぬくもりを感じ、自分が包まれている、守られているのを実感した。
背中に回した腕に力を込めた。頭の中が熱くなり、胸の中に何か熱いものを感じた。その何かは、さらに熱さを増し、体全体に広がっていった。
(ぁぁ。私はどうにかなってしまったみたい。あなたと一緒にいると幸せ。なんだか、とても体が熱いわ)
ふさがった唇では話すことはできないが、心での会話はできた。
(僕も君と一緒にこうしていると、とても優しい気持ちになれるよ。不思議だね。人ってこういう気持ちになれるんだ)
(そうよ、これが「人」なの。私もこんな気持ちになるのは初めて。あなたと一つになった感じがするわ。ずっとこのままでいたい…… 時間が止まってしまえばいいのにね……)
(そうだね。このままでいたい。でも、君には目的があるのだろう? それを果たさないといけないのだろう)
柚木菜は背中に回していた腕をティカセの頭に回した。
(……もう少しだけ、このままでいさせて。そうしたら、私なんでもするから……)
(君は…… 柚木菜は僕のことが好きかい?)
(……乙女は簡単には唇を許さないの。今回は我ながら不覚だったわ。でも…… いい。許す。……好きよ)
柚木菜の体はさらに熱くなった。全身が春の陽だまりを浴びているようでとても気持ちがよかった。ティカセのぬくもりも同様で、同じ体温を感じた。
そして、心の体温も感じた。
熱くなっていく。体も、頭の中も。そして、光を感じた。頭の中が真っ白になり、その中に誰かが自分を呼ぶのを感じた。
柚木菜は目を開けた。目の前にはティカセがじっと見つめていた。吸い込まれそうな瞳に見つめられ、思わず視線をそらしてしまう。そこで、抱き合った二人の間から光が漏れているのに気が付いた。
「これは…… いったい、何の光?」
柚木菜が胸元を見ると、おなかのあたりから強い光が漏れていいた。ティカセを見ると、優しく微笑んでいる。
ティカセの手が背中から解かれ、柚木菜の手をつないだ。二人の間には光の塊が優しい光を放っていた。少したってそれは人型に変わっていった。
柚木菜は目を疑った。二人の間にあった光は小さな女の子になっていた。
5?6才ぐらいの年齢だろうか。柚木菜と同じような白のワンピースを着ており、それはまるで柚木菜を幼くしたような女の子だった。
「……この子は、いったい……」
柚木菜は、何となくこの女の子がどのような子なのか、わかってはいたが、言葉にはできなかった。してはいけない気がした。
ティカセが優しく微笑み、こう言った。
「この子は、僕と柚木菜から生まれた、僕たちの子供だよ。可愛いね」
その言葉を聞いて、柚木菜は血が引いていくのを感じた。
「……はは、私のこども…… キスしただけで…… 妊娠を通り過ぎて、もう出産しちゃったわけ……」
柚木菜は天を仰いだ。
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