第7話 未知との遭遇

一人の人間を科学の力でここまで拡張させてしまった。しかも、行き当たりばったりの実験でここまでのことをやってしまった。

水溪は少し戸惑った。もう後戻りはできないとはいえ、ひとりのアルバイトを実験台にしてしまったのだ。

 水溪は柚木菜にわからないように、刃風教授にメールを送った。会話が本人に聞かれているかもしれないからだ。「京」とはアクセスできない今、このメールは柚木菜に読まれることはないだろう。

“教授、いいのですか。これは想定外ですよ。柚木菜ちゃんが元の人間に戻れる保証はないのですよ”

刃風教授は顎に手を当てた。困った時の癖なのだろう。もしくは、顎を撫でることによって神経を刺激させ思考能力が上がるからだろうか。

少ししてメールが返ってきた。

 “これは、想定内だよ、水溪君。こうなる可能性は極僅かにあったのだよ。「京」といとも簡単に同期した柚木菜君に少し恐怖したよ。そして、歓喜したね。ついに見つけたと”

 “で、どうするの? このくそマッドサイエンティスト。一人の人生を狂わせるのですか? 私みたく……”

 水溪は冷たい視線を送った 。それには全く応じることはなく、刃風教授はディスプレイを見つめていた。そこには天使柚木菜の現在位置が表示されていた。観測することはできないが、衛星からの画像はモニターすることはできた。

 “君は自分が不幸だと思っているのかな。君の境遇は確かに特別だからね。私には正直君の気持ちはわからないし、今の状況を変えるつもりはないよ。しかしね、君がそこにいてくれるなら、僕はとても幸せだけれどね ”

しばらく沈黙が続いたが、刃風教授に水溪からのメールが届いた。

 “しっかりと責任をとってください。私に対しても、柚木菜ちゃんに対しても。女性を泣かせるようなことをしたら許しませんよ。それと、いっておきますけれど、これでも私は、幸せです。形はどうあれ、あなたに出会えて嬉しくおもいます”

刃風教授はメッセージを読んで、水溪を見た。彼女はモニターに集中してこちらを無視していた。

ふふっと刃風から笑いが漏れた。

 水渓は表情を悟られないように、心の奥でくすりとほほ笑んだ。


 そうしている間に、天使柚木菜は台風24号と相俟った。羽を持った人型の浮遊体は直径100㎞の低気圧を上空から見下ろした。

 天使柚木菜から見た台風は、金の粒でできたような黄金色で、これは、他の物と同様な色彩だったが、台風の中心部の目は違っていた。

 本来そこは空洞だから、当然色は無いように思えたが、天使柚木菜には、青白い光柱が天に伸びていているのが見えた。これは「京」の中の仮設台風には見えなかったのもだ。

柱は天を突き抜け、それこそ宇宙の果てまで伸びているように見えた。

(コレは一体なんなの? ねえ、 そっちからも見えているんでしょ?)

 水渓に連絡を取ろうとしたが、応答はなかった。唯一の通信手段は「京」の施設上空でしか取れないようであった。

 どうしたものかと考えたが、悩んでいても仕方がない。行動あるのみだ。

(とにかくやってみるか…… おーい、台風さん。聞こえますか? 私はここに住んでいる人です。お話があってここまできました。聞こえます? 私はここの土地に住んでいる人間の……)

(ニンゲン? ヒト? タイフウ? オハナシ?)

おおっ! 返事があった! 言語というよりは、おうむ返しをしているだけだが……

返事といっても、感覚的にそう感じただけだったが、確かに声のような言葉を感じた。

天使柚木菜は話かけるのを続けた。実体の無い身体ではあったが、口を動かして、声が出るような感覚で声を出してみた。

(そうよ。私はあなたとお話がしたい。私達はあなたのことを台風と呼んでいるわ。私の話、わかりますか?)

(オハナシ、タイフウ、ワカリマスカ)

天使柚木菜はどう答えて良いのかわからなかったが、とりあえず返事をすることにした。

(そう、あなたは台風さん。熱帯低気圧の大きなものを、私達はそう呼んでいるわ。私の声は届いているのね。理解はできるかな?)

(リカイ、ネッタイテイキアツ、タイフウ、ワタシ、タイフウ、アナタ、ニンゲン)

(そう。私の言うことが理解できるのね。タイフウさんって賢いのね。見直しちゃったわ)

(ミナオス、ワタシ、カシコイ、キミハ、カシコイ、イウコト、ミナオス)

(ねえ、タイフウさんは、私達のことをどう思っているのかな)

(ドウオモウ、ワタシタチ、タイフウ、ワタシタチ、ヒト、ドウオモウ、ゴミクズ、ノヨウダ)

(え? 台風さん。今なんて言ったの? 私の聞き違いかな?)

(キキチガイ、ナンテイッタノ、ワタシ、キチガイ)

(……ねえ、タイフウさんは今どんな気分なのかな。もしかして怒っている?)

(タイフウサン、イマオコッテル、ネエ、オコッテル、ドンナキブン、オコッテル)

(え? え? え? ちょっと待って。私の聞き方が悪いのね…… タイフウさんは、今とってもハッピー? 幸せ? 楽しい?)

(タイフウ、イマ、トッテモ、オコッテイル、トッテモキチガイ、フシアワセ、ワタシガワルイ、エ、エ、エ)

(……タイフウさん。ちゃんと理解している? タイフウさんの幸せってどんなことなのかな?)

(タイフウサン、シアワセ、キチガイ、ゴミノヨウダ、ニンゲン、ワルイ、オモウ)

(ハハ…… どうやら人のこと嫌いみたいね。じゃあ、質問を変えるわ。こっちにはこないでほしいわ。迷惑だから)

(ニンゲン、ゴミノヨウダ、メイワクダカラ、マッサツシヨウカ、ミッカモアレバ、ケシテヤルゾ)

(ちょっとまって…… あなたは、ただの熱帯低気圧の塊でしょ? ニンゲン様に楯突くなんて100年早いわよ)

(我らに逆らおうなど1億年早いぞ、人間どもよ。我らと話せたからと言っていい気になるな。見せしめにここの島を吹き飛ばしてやろうか?)

(……ちょっと、なに、いきなり対等に話してこないでよ。調子狂うじゃない。台風のくせして生意気よ。だいたいどうしてそんなに日本語が人みたいに話せるのよ。おかしくない?)

(生意気な小娘だな。こんな言葉など、さっき覚えたぞ。テレビやらネットワークとやらで学んだぞ。貴様らと会話ができるように人格設定したのだ。それにしても人間よ、貴様らの強欲さには恐れ入るな。この領域まで足を踏み入れるとわな。地上だけでは飽き足らないかな?)

(ハハッ…… なんだか刃風教授が言っていたことの、それを上回る展開ね…… 台風と会話できる人なんて史上初なのかしら。光栄だわ。それはともかく、台風さん。わたしはただのアルバイトなの。だからここの世界の覇権とかには興味ないから。わたしはただ、あなたとお話がしたいだけ。あなたにお願いをしたいだけ……)

(お願いとは、あれのことか? 素敵な彼氏ができますようにってやつか? その前に、身長と胸がもう少し大きくなりますように、ってのもあったな。どっちのことだ? もう一つあったな、今度の大会で優勝できますようにって)

(はぁー! ななななに言ってんのよっ! どうしてあなたがそんなこと知っているのよっ?)

(何を言っているのかな、君は。当然知っているよ。君のことならなんでも知っているよ。沢井柚木菜君。誕生日、1月15日、15:06、2,658g。身長157.7センチ。体重42.75キログラム。スリーサイズは上から……)

(わわわわかったから、もう、いいから、あなたが私のことを知っているのはよくわかった。でも、どうしてわかるの?)

(君だってさっきまで私みたいに台風をまねていたのだろう? どんな気分だったかな?)

(どんなって、全身に目が付いているみたいで、変な感じだったわ。周りの物が手に取るようにわかるの。木々の葉っぱや流れる川の濁流や細かいところまではっきりわかるの)

(じゃあ、わかるだろう? どうして私が君のことをわかっているか。知っているのか)

(わからない…… でも、なんとなく見当はつくわ。私が初詣でお願いしたことが筒抜けってことは、あなたはもしかして神様なの? それとも、神様同等の存在、もしくは神の使いなの?)

(私はただの台風さ。君の噂は風に乗って耳に入っただけさ)

(嘘おっしゃい。台風に耳なんてないわよ。それに、あなたに人の心なんてないでしょ?)

(だから、さっき言ったではないか。私は君たちの人格を模して作られたと。だから、君たちの言う「心」もわかっているつもりなのだが、どうかな)

(どうかなと言われてもねぇ。それにあなた、できたてほやほやの人格なんでしょ? そんな人に心のことなんて語れないわよ。ぁ、そもそもあなたは人ではなかったわね)

(小娘、今のお前も人ではないぞ。私から見ても化け物にしか見えないがね)

(はぁっ? 女子高生を捕まえて化け物ってなによ。こーんな可愛い化け物がどこにいますかっ!)

(そう、怒るな小娘。同じ人間から見てもそう見えるぞ。あのような媒体を使ってお前を生んだんだ。それこそ化け物じみていると思うがね。それに、それこそ、お前も生まれたてではないか? ほんの数分前まで生身の人間だったではないか。心のどうこうと言われたくないね)

(なにをおっしゃる。私は女子として16年間生きてきたのよ。それに対して、タイフウさん、あなたはせいぜい生後10日程の赤ん坊でしょ? そしてさらにいえば、今のあなたの人格は、生後10分ってところかしら?)

(人間というのは視野が狭いものだな。それとも、小娘の目が悪いだけか。そもそも、人間どもはなにを考えてお前のような小娘を送ってきたのだ? 理解できん 。小娘よ、お前はいったい何をしにきたのだ? この私と交渉がしたいのなら、もっとまともな使者を送ってきても良さそうなのにな。君はどう思う? 小娘君)

(小娘小娘って、うるさいわねっ。私にはちゃんと柚木菜って名前があるのよ。そういうあなたは、タイフウだから。ティフー、呼びにくいな。たぃかぜ、タィカセ、ティカセ。よし、ティカセに決定。いいね)

(……おいおい、勝手に決めないでくれよ。もう少しセンスのいいネーミングはないのかい?)

(何を人間みたいなことを言っているのよ。所詮タイフウなんだから、人様の言うことは聞きなさい。ティカセ、かっこいいじゃない。私はいいと思うぞ)

(小娘よ。いや、柚木菜よ。私がどのような存在なのか知っておるのか?)

(はぁ? ただの台風でしょ。ティカセ、なに偉そうにしてんの。自分は人間よりも、上の存在だと思っているのかしら。そりゃあ、大自然の力に、人間は無力よ。でも、それが何か? だってしょうがないでしょ、そんなの。ちっぽけな存在なんだから)

(言っている意味がわからないぞ。そもそも、君は私を見ていない。しっかりと相手を見てからモノを言うことだな)

(見ていないって、あなたは台風でしょ? 直径100㎞程の。モーレツに強い勢力の台風さんなんでしょ? すぐそこでグルグルしているやつでしょ?)

(しょうがないな。君をガイドしてやるか。後ろで見ている連中もいることだしな)

(ねえ、ティカセ。あなたの話し方がだんだん馴れ馴れしくなってきたように思えるんだけど、気のせいかしら?)

(気のせいじゃないよ。年齢設定を下げたんだ。君もまんざらバカじゃないってことだな。最初は君達でいう四十代中堅サラリーマン。次は三十代、そしていまはぐんと下げて君の一個上のセンパイってところだ)

(はあ? どういう基準でその設定をしているのか知らないけど、上から目線で話したいのは変わらないのね。なんだか気に入らないわ)

(君は、可愛い弟キャラから甘えられるより、センパイからオラオラされるほうが受けると思ったんだけどね)

(どういう目でみてるの? 私がそんな風に見えるわけ?)

(そう、見えるね。君が密かに好意を抱いている先輩さんを模して話しているんだけど、もっとフレンドリーに話した方がいいかな?)

(な、何を…… 言っているの…… あなた、もしかして人の心を読めるの?)

(僕には心があるという証明にもなるだろう? 心があるから、人の心も読める。君は本当にただ、たまたまここにやってきたんだね。なんとも気まぐれな人間だ)

(ちょっとまって。私は目的があってここにやって来たのよ。そしたら、あなたが現れて以外な展開になってしまったのよ)

(それで、どうするんだい? 君に、柚木菜に僕を止めることはできそうなのかい?)

(意地悪を言ってるのかしら? 私はただ、頼みに来ただけよ。どうのこうのする気はないわよ。とりあえず。改めてお願いするわ。あなたが来ると非常に迷惑なの。こっちにこないでくれる? 日本列島に上陸しないで。本当に迷惑なの。わかってる?)

(それが人にものを頼む態度かい…… 君は人として全然できていないね)

(人ではない台風さんには言われたくないわよ)

(君だって、いまは羽の生えた化け物だろう)

(何をおっしゃる、今の私は人としての究極系よ。低気圧のグルグル渦巻きさんに言われたくないわ)

(そんなに形にこだわるのかい。人というのは不敏な性癖があるのだな。人を見かけで判断してはいけないという言葉があるのに)

(あなたは人ではないでしょう? 確かにでかいし強いし厄介だけど、それだけの存在でしょ?)

(そんなにこの姿が嫌いなようだね。そらなら、君がいう人になってあげよう。まずは形から入ろうってもいうしね)

そう言うと、眼下に広がる巨大なうずまきから、至る所から稲妻が走ってきた。幾本もの稲妻が集まり、絡み、やがて一つの光の塊になり、その中から人影が現れた。

 人影はそれこそ電光石火で柚木菜の目の前にやってきた。

 白い着物姿のその人影は、若い男性だった。柚木菜より少し年上だろうか。一見、アニメに出てくるようなキャラクターのコスプレに見えた。実際、アニメに出てくるイケメンキャラクターがそのまま実現化したかのように、現実離れをした美形の男性だった。

長い黒髪を後ろで束ね、キリッとした眼光は鋭くも暖かくもあり、優しさと力強さを兼ね備えていいた。着ていた衣装は百人一首に出てきそうな和服だった 飛鳥、奈良時代の貴族が着ていたような羽織を着ており、それこそコスプレイヤーに見えて、笑ってしまいそうだった。

 突然のことに少し驚いたが、それよりもこの状況下で変な人が現れて、なんだかおかしかった。

(なによ、それ。以外とアニメファンなの? ちょっと引いちゃうわね。せっかくだから羽もつけたらいいのに)

(君は本当に無礼なお嬢さんだな。年齢を君に合わせたといっても、一応年上の設定なんだけどな。ため口はどうかなと思うぞ。それと、羽は必要ないだろう。君こそ、そんなものなんでわざわざ着けているのかさっぱりわからないね)

(これは必要なのよ。みんな見ているんだから。それと、なに? 私と親しくなるために年を合わせてくれたんじゃないんだ。しかも私好みのイケメンに姿を変えるなんて、ちょっとみえみえじゃなくって?)

(そう言っている割には、心拍数が上がっているぞ。目も輝いているように思えるけどな)

(いい加減なことは言わないで。この体に血は流れていないわよ)

(君は人間なんだろう? 実体の体はドキドキしているよ)

(そ、それは、私が女子だからよ。ティカセは男子なんだね。台風に性別があったなんて以外だな)

(君の好みに合わせてあげたんだよ。きらいじゃないだろう)

(というより、あなた、その格好気に入っているんでしょ。確かにかっこいいわよ。それで、私を口説くつもりなのかしら。悪い気分ではないわ)

(そう言ってくれると嬉しいよ。これでも、本当に人の心を持っているのだからね)

(あらそう。それはよかったわね。とりあえず、これで対等に話し合いができるってことなのかしらね。台風から人に昇華したのかしら)

(それは少し違うよ。それはさておいて、これでお互いの顔を見ながら、話ができるわけだ)

(そういうことね。さて、話は振り出しに戻ってしまったわ。ティカセはどうしてこんなことを、台風を上陸させたりするわけ? 人の心がある今なら、わかるんじゃないの?)

(そうだね、表面的に見ればそう見えるかもしれない。台風が来ることによって、多くの土地で被害が出る。でもね、僕の役目はちゃんとあるんだよ。例えるなら、掃除屋かな)

(掃除? 大地にたまった埃を洗い流しているっていうの? 家や人もろとも?)

(結果的にはそうなるね。人には大変迷惑をかけていると思うんだけれど、これはしょうがないんだ。それに、これはそこに住んでいる人達のためなんだ)

(はあ? 言っていることがよくわかんないんだけど)

(そうだなあ。極端なたとえをするなら、君たちの体に病気があったとするよ。その病気はその人のとある器官を浸食してそれをそり除かないとその人は死んでしまう状態にあったなら、除去するしかないだろう。そして、除去してしまえばその人は再び体力を戻して健康な体を手に入れることができる。この地上も同じなんだよ。特にこの場所は力の入出が多いから負の力が溜まりやすいんだ。負の力はその土地を腐らせる。そこに住んでいる人にも影響を及ぼすんだ。だから僕らはそれを除去するために、この大きな雲を操っているんだ)

(言っていることがよくわからないわ。負の力ってなによ。台風を操るってなによ。自然現象じゃないの? 意図的に台風を上陸させて被害を出しているってことでしょ?)

 柚木菜の眼下には、巨大な台風が今もなお勢力をふるっていた。甚大な被害がこの瞬間にも出ているのだ。その根源たる存在が目の前に現れて、なんと自分と会話しているのだ。自分にはそれを止める義務がある。自分にしかできないのだから。

(君が責任を負う必要はないよ。これは僕たちの責務なんだから、結果的に君達のためでもあるんだ。浄化した後の土地はより人が暮らし易い土地になって、君たちの繁栄につながるんだ。これは僕の意思にかかわらず、浄化を行わないと、この地には人が住めなくなってしまう)

(じゃ、どうすることもできないってことなの? このまま、見過ごせってことなの? あの真下では酷いことになっているのよ。それをただ傍観しろっていうの?)

(そうだな、じゃあ、傍観者ではなく、介入者になろうか。ただ見ているだけではつまらないだろう?)

(え? そ、そりゃあそうだけど、なにをどう介入するわけ?)

 ティカセは手を差し伸べた。どうやら、つなげといっているようだ。

(なに、この手は。手をつなぐ意味はあるのかしら)

(大いにあるさ、君はまだこの環境に不慣れだ。僕がエスコートしてあげるから、手を出して)

(本当に普通の人に見えてきた。あなた本当にあの台風24号なの? まあいいわ)

 柚木菜は右腕を差し伸べた。今の自分は、微粒子の存在だったはずだが、不思議と手を握ることはできた。

 ティカセの手は大きく柔らかく柚木菜の手を包み込んだ。そして不思議と暖かかった。本当に人の手を握っているかのようだ。ティカセがこちらを見つめると、つい視線をそらせてしまった。

「どうしたんだい? 顔が赤いよ。照れているのかい。かわいいね」

 血が通っていないのに、顔が赤くなることは無いと思っていたが、どうやら本体の自分の感情がこの体にも影響を受けているようだった。相手のぬくもりを感じたのも、実際に暖かいからなのだろう。

 不思議な感覚だった。実体が無いと思えた天使柚木菜の体は、しっかりと皮膚の感覚があり、視覚があり、聴覚があった。もしかしたら味覚、嗅覚もあるのかもしれない。

「こら…… 人間代表をからかうな。みんなが観ているんだから……」

「ははは、人間がどうして君を送ってきたのか、なんとなく理解したよ。それじゃ、いこうか」

 ティカセの握る手に少し力を感じた。体を台風方面へ向けると、先ほどの電光石火で台風めがけて突進した。

「ひぃゃぁーっ! ちょっと待ってっ!」

 柚木菜は思わず目をつむってしまった。肉体はないから加速度で潰れることはないにせよ、現実離れした加速に恐怖した。

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