第6話 変態

 台風柚木菜は自分が撃ち込んだ水爆で、相手の仮設台風もろとも吹き飛んでいた。

 視界が真っ白になったと思ったら、一気に体が蒸発した。実際は体の半分が吹き飛んだわけだが、体型を支持することはできなかった。

(ぅわ、やばっ! これじゃ消滅しちゃうよっ!)

 とっさに起動ソフト「姫」を通して、スパコン「京」をフル稼働させた。正直、自分で何をやったかわかっていなかった。

 このときは、研究室にいた本体の自分と、「京」の中にいた京柚木菜と、そして消滅しそうな台風柚木菜が存在していたわけだが、基本意識は一つだけだった。同時に三体をコントロールできるだけであって、自分となる魂的な存在は一つしかない。

 その柚木菜の意識に、声が届いた。

(…………しょうがない子ね……)

 ぇ? 誰?? と思う暇も無く。台風柚木菜は消滅した。

柚木菜の意識が飛んだ。いや、跳んだ。視界は一瞬真っ暗になったが、すぐに真っ白になった。

 何が起こったのかよくわからなかったが、真っ白だった視界が徐々に戻ってきた。

しかし、先ほどの暗闇とポリゴンの風景とは違い、世界は黄金色に輝いていた。

見えるものは全て黄金色に染まり、広がる空も、眼下の大地も、木々や葉っぱ、流れる川も黄金色だった。

(これはいったい…… 何が起こったというの?)

柚木菜はまだ台風柚木菜のままだったが、明らかに違うことがあった。

まずはサイズが小さくなった。仮設台風は直径100㎞程あったが、今はせいぜい100m程だ。

あとは粒子の質が変わっていた。先ほどまでは、仮想空間とはいえ、水と空気とチリと電気で構成されていたが、今は全く違うものになっていた。

何かの粒子なのには違いないが、それは黄金色に光る気体で構成されていた。

そして、最大の違いは気分だった。

先程までは、感情が高ぶっており、言うなれば、テンションがハイな状態だったが、今は全然違うものだった。

仮設台風時の、リズミカルな曲に合わせてダンスを踊っていた感覚だったものは一転し、地に足を滑らせて、ゆっくり動く舞を踊っているような感覚だった。

開放的な気分は変わらないが、少し空気が重いと感じた。

それと、やたらとノイズが多いのには驚かされた。ノイズの正体は電波なのだが、全身がセンサーの役目をしている台風柚木菜には、これは悩ましい状況だった。

黄金色の大地に対して、このノイズの波は濃い青色だった。世界は黄金色だったが、地上一面は薄く青いモヤが覆っていた。その濃さは都心部へいくほど強くなる傾向にあった。

(これって、携帯とかの電波? すごい量ね。街全体を青いモヤが包んでいるわ)

 それにしても、これはどういう状況なのかわからない。仮想空間ではここまでリアルな都市は再現されていなかった。

 周囲を見渡すと、真下に大きな何かの施設があった。台風柚木菜は自身のセンサーを駆使して調べると「理化学研究所計算科学研究機構」とあった。どうやら、京が収まっている施設のようだ。つまりはここは神戸市だ。

(これは一体どういうことなのかな……)

 世界は黄金色に染まり、自身は小さくなったとはいえ、まだ台風のままだ。全身で感じる感覚は様々な電波だ。ラジオにTVに無線にそれから携帯電話と、ありとあらゆる電波が感じ取れた。

(……マジか? これって、現実世界じゃない…… 私、台風のままこっちに戻ってきたってことなの?)

 電波の一つに聞いたことのある声がした。水渓の声だ。

 下の建物内部からのため、外にい台風柚木菜にはよく聞こえなかった。が、持ち前の全身のセンサーで微量な電波をしっかりと受信した。

「…………柚木菜ちゃん返事して。どこに行ってしまったの? 柚木菜ちゃん無事なの? 返事して……」

 心配する水渓の声が届いた。台風になった柚木菜に感涙することはできなかったが、体全身がじわっとする感覚が伝わった。

(水渓さん。私、「京」の直上にいます。どういうわけか、現実世界に台風のままでいるの。信じられます?)

「……ぇ? 現実世界? 「京」の上? 全然言っている意味がわからない。どういうこと?」

(だから…… いま神戸にいます。空の上ですけど。そこで台風をやっています)

「……ふざけてる? まあいいわ、衛星から観るわ。監視カメラもあるはずだし……」

 水渓は別の端末を使って画像を出した。そこには、薄い緑色のもやのようなモノが写っていた。たしかに台風のように渦を巻いている。大きさは直径100m程度か……

「ねえ、確かに神戸の「計算科学研究機構」の上に台風みたいな何かはあったわ。でも本当にこれが柚木菜ちゃんなの?」

(ははは…… やっぱりあるんだ…… 私の台風。ってことは見えるのね)

「特殊な画像解析しているから、カメラ越しだと見えるけど、肉眼では見えないかもしれないわね。監視カメラにもしっかり写っているわよ」

(どうしよう…… 「京」にアクセスできないんだけど、これじゃ戻れないよ)

「大丈夫よ。あなたの意識は「京」で拡張されているだけなんだから、電源を落とせば戻れるわよ。それより、今の状況を教えて。こっちからも全然モニターできないのよ」

 台風柚木菜は自分が見ている、感じていることを伝えた。目があるわけではないから、感じたことを視覚化しているわけだが、ありのままのことを伝えた。

「そうね、柚木菜ちゃんにはそんな感じで視覚化されて見えているわけね。他には何か見えるかしら?」

(ほか? そうねぇ……)

柚木菜の視覚化されたデーターはディスプレイ上にモニターすることはできない。刃風教授はそのやりとりの会話を聞いた。

「柚木菜君。台風24号が通り過ぎたあとは、すぎる前と何か違いはないかい? そこからだとわからないだろう。移動はできるのかい?」

刃風教授はモニターできていない箇所の詳細が知りたいようだ。

(えっと、移動はね…… ちょっと待って。さっきみたいに動けないの。そもそも私は台風なの?)

水溪と刃風教授はディスプレイに表示される様々な数値を見た。各観測所から送られてくるデーターや、衛星からの情報など、膨大な量の情報が送られてくる。

二人は、その観測データーから一つの結論を出した。

「柚木菜君。いや、台風柚木菜君。君は目視はされているが、観測はされていない」

(は? どういうことです?)

水溪がフーと鼻でため息をついた。

「つまりね、柚木菜ちゃん。今のあなたはこの世の物ではないってことよ。でもね、映像として姿は見えるのよ。不思議ね」

(え? 私ってまだ生きていますよね。だって、そっちの私はちゃんと脈があるし、もちろん息もしているし。感覚だってあるし……)

「大丈夫よ、台風柚木菜ちゃんは「京」が拡張した意識だからね。そもそもそれが具現化されてしまったから、つまりあなたから新しいあなたが誕生したことになるのかしらね」

(は? 言ってることがわかりませんけど……)

水溪はもう一度鼻でため息をついた。今度は先ほどよりも深く。

「ねえ、今の柚木菜ちゃんは、もう台風じゃないのよ。「京」の中では仮設の台風だったけれど、その巨大なシステムで生まれた仮設台風は、あなたの意思が入ることで、いわば進化したわけね。正確には進化じゃなくて、昇華なのかしら…… つまり変態が、ど変態になったのとはわけが違うのよ」

(私は変態から霊体にでもなったのかしら? でも、これって「京」を経由しているんでしょ? 「京」からは私を認識している訳だから、観測はされているんじゃないの?)

刃風教授は腕を組んで少し考え、頭を掻いて少し考え、顎を撫でて考えた。

「柚木菜君は「京」を経由して今の形態になったのではく、「京」が柚木菜君を経由して今の形態になったんだと思うよ」

「そうね。「京」は所詮は電子機械よ。機械単体はそんなことできない。柚木菜ちゃんを通して今の状態に昇華したのよ。つまり、あなたには底無しの容量があるということかしら…… そもそも、人にはそれくらいの受け入れる容量があるけれど、必要ないから蓋をしているのかもしれないわね」

(ぇっと…… つまり、今の私は、私自身が生み出したということなのかな? 「京」はアシストしただけで……)

「そういうことよ…… はっきり言うわよ。柚木菜ちゃん、あなたはいま、神に近い力を手に入れたの。神って言ったって、日本にはヤオロズの神と言って、様々な神様がいるけれど、あなたはその類になってしまったのよ」

(はは…… 笑えない…… ってどうするのよ、私が神様になったって、なんのご利益もないわよ)

「心配しなくたって、あなたを拝む人はいないわよ。まあ、それもこれからのあなたの行動次第だけれどね。とりあえず、あの台風24号をなんとかしてくれないかな。今のあなたなら、もしかしたらできるかもしれないわよ。それと、もう仮設台風じゃないんだから、その形にこだわらなくてもいいわよ。その辺はあなたに任せるけれど」

(ぇ? 形? 姿のこと? ……じゃ、こんなのでもいいのかな?)

スーパーコンピーター「京」の建屋の上空に渦巻いていた緑色の小さな台風は、その密度を凝縮させて小さな塊になっていった。

薄い緑のモヤだったものが、密度を増すにつれて青白い光を放つ。

小さなといっても、人ほどの大きさであり、やがてそれは人型になった。

人型であっても人ではなく、背中に大きな白い翼があり、空をつかむように羽ばたいていた。身を白い衣装で包み、それはまるで海画に描かれる女神のようだった。

「なにそれ? 天使にでもなったつもり? だいたい質量はないんだから、羽はいらないでしょ。それと、電波観測はできなくても、映像ではあなたを捉えていることを忘れないで。あまり目立つと世間が騒ぐわよ」

(だって水溪さん、言ったじゃないですか。あとはあなたの行動次第だって。人は偶像を求めるものなのよ。女子はイケメン、男子は美女を求めるように)

「それで、あなたは美女になったつもり? 男性ファンがほしいわけ?」

(違うわよ。人の心をつかむには、神聖な対象が一番いいのよ。老若男女のハートを掴むなら、女神様か天使が一番でしょ?)

「それはあなたの個人的な意見であって、それを第三者に押し付けて欲しくないわね。まあ、いいわ。天使だから、柚木天でいいかしら?」

(なんか、軽いなぁ。天麩羅みたい。一応いまから、天使をやるんだから少しは敬ってほしいな)

「へいへい、天使さん。私の願いを叶えたまえー。あの台風24号を粉々の八つ裂きにしてくださいな。それとも、性悪の天使様には簡単すぎて、私の願いは叶える価値もないのかしらね」

 水渓の小馬鹿にしたような口調に、柚木菜は苛立ちを覚えた。

(やってあげますとも! それくらいできて当たり前ですからね。なんせ私は人知を超えた存在なのだからね)

「そうよ! あなたは私たちの希望の光! 崇める対象! だって「神」なのだから!」

柚木菜は水溪の声を見た。真剣さを増しているときは、白色で明朝体のような綺麗な文体だったが、今の水溪の声は黄色でポップゴジック体のように丸々とした文体だった。

明らかにこれは嘘だとわかったが、煽てられるのは悪い気分ではない。それに、悪意は感じられない。自分が期待されていることに変わりはなかった。

ここは本当に頑張って期待に応えなければならない。

(そうよ。私は荒ぶる神々の一人、サー・ユーキナ。この世を生かすも殺すも私の気分次第よ。今回は特別に我が力を見せてあげよう。思い知るがいい)

「……は? 調子に乗ってんじゃ…… て、チッ ……ぁあ! サユキナ様。我ら貧民の願い叶えたもうな! ……ちっ」

(こら、貧民よ舌打ちが聞こえたぞ。まあ、我が力に嫉妬するがよいぞ。貧民は貧民らしく地べたに這いつくばっているがいい)

「ほらほら。神様ごっこはそれくらいにして、仕事をしなさい。「京」のレンタル料は時間制なんだよ」

刃風教授が二人のやりとりに割り込んだ。

これはきっと冗談だろう。天使柚木菜から観た文字体は、白色の明朝体だったが、柚木菜を急がせるために言ったのだろう。

(はは、そうだね。仕事してちゃんとバイト代をもらわないとね。神様になっても、お買い物ができなきゃ意味ないものね)

 今の自分は、天を羽ばたく天使柚木菜だ。この格好ではスタバにも行けないし、もちろん買い物だって行けやしない。そもそも地上に降りたら人々の注目を浴びてしまう。

 まあ、注目を浴びるのはいいのかもしれないが……

「はいはい。ユキーナ神よ。さっさと働きなさいな。あなたのバイト代もそうだけど、ここの経費は国民の税金からも出ているのよ。神様なら土地の民を苦しめないでくださいな」

(はーい。それを聞いたら責任を感じてきちゃった。そうよね、あの台風をなんとかしたら、大勢の人が助かるんだよね。失わなくてもいい命も救えるんだよね)

「そういうことよ。だから、真面目にやって。あなたの親族や友達が台風の被災者になるのは嫌でしょ? 国民代表なんだから心してかかってね」

柚木菜の心に熱いものを感じた。背中に重さはないが、ずっしりとおもみを感じた。

(わかりました。ちょっと行っていますね。アシストをお願いします。なんせ、デビュー戦にして日本代表ですからね)

「そうだよ柚木菜君。大事なのは気持ちなんだよ。僕たちもしっかり応援するから、頑張っていっておいで」

(はい、教授。いってきます。水溪さん、よろしくお願いします)

「ええ、行ってらっしゃい。人類の、日本人の底力を思い知らせてやりなさい」

上空で羽ばたいていた天使柚木菜は頷いて、進路を台風へ向けて空を蹴った。

衛星からモニターされていた天使柚木菜の姿は一瞬にしてはるか彼方へと姿を消していった。

同時に回線が切れた。「京」の施設から離れたからだ。これで、会話をする手段を失った。

依然として本体の柚木菜は同じ部屋のリクライニングチェアーで目を閉じて寝ている。

 やはり依然として、「京」にアクセスはできていなかった。

それでも、解き放たれ自由の身となった天使柚木菜は、電光石火の勢いで紀伊半島上空へと飛び、台風24号と会敵したのだった。

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