第5話 コンタクト

スパコン「京」の作りだした仮想世界で、台風になった台風柚木菜は、同じくその世界にいる仮設台風24号と接触をしようとしていた。

 現実にはあり得ない現象だ。台風と台風が接触したら一体どうなるのかは、これから起きることで検証されることだろう。

(仮設台風さん、すごく嫌がっていますよ。このままいっちゃいますけど、いいんですよね?)

 台風姿の柚木菜は意見を求めた。「京」を経由して刃風教授と水渓にその音声は届いた。

「いいわよ、やってちょうだい。そんな奴、粉砕させてやりなさい。息の根を止めてやりなさい」

(ちょっと怖いですよ、水渓さん。何か恨みでもあるんですか? 仮設台風とは言っても、本物と変わらないんでしょ? それにこの検証はあまり意味のないことなのでは?)

 柚木菜は、頭というか体全体で、相手の台風からのノイズを全身で受けていた。それこそ、痛いくらいの強いノイズだった。

 音声に変換された台風の言葉は、それこそ頭にくる内容だった。

「さわんじゃねー! ふざけんなっ! くるな、くるんじゃねー! 殺してやろーか 殺す ぶっ殺すっ!」

(はいはい。仮設台風さん。そんなにこーふんしないでくれる? こっちはただ手を繋ぎたいだけなんだけれどな)

台風柚木菜は相手の激しく発するノイズに我慢しながら近づいた。渦巻く雲同士がもう少しのところまで接触しようとした。

突然相手側の仮設台風に放電現象が現れた。細かい靄のようなイカズチが台風全体を覆い、明らかに尋常ではないことがわかった。

イカズチは台風柚木菜にもスパークするように飛び火した。細かい放電はやがて光の塊になり、やがて強大な放電現象となった。

ガッシャーーン!

それはまさにカミナリだ。電気の塊は台風柚木菜に直撃した。体ともいえる雲の一部が気化して吹き飛んだ。

(キャッ、痛いっ! なんなのあいつっ。腹立つなぁ)

台風柚木菜も負けじまいと、自らの体を放電させ、カミナリを相手に食らわせた。

「ちょっと、柚木菜ちゃん。私の仮設台風君をいじめないでよ」

(さっきと言っていることが違うし…… それに向こうが先に撃ってきたのよ。やり返すのは当然よっ)

そう言っているうちに、仮設台風は撃ち返してきた。しかも渦巻き状の雲から、無数のカミナリを台風柚木菜に叩きつけた。

(きゃーーー!!)

数万本のカミナリが台風柚木菜を削っていく。

それをモニターしていた刃風教授は感嘆の声を上げた。

「……素晴らしいっ。これは仮想空間の台風とはいえ、本物の台風を再現したのだろう。実際の台風がもし制御できれば同じことができるわけだな……」

「ハカセ、何興奮してんのよ、制御なんてできるわけないでしょ」

 二人はカミナリの応酬を受けている柚木菜のことなどお構いなしだった。

(ちょっと、助けてよっ! 死んじゃうじゃない)

 台風柚木菜は相変わらず一方的にやられまくっていた。体積も質量も数値的に減っているのが確認できた。

「大丈夫よ、柚木菜ちゃん。こそで消滅しても、あなた一つが消え失せるだけよ。死、とは違うから」

(ちょっと待ってよっ! それって死ぬのと同じじゃない。いやよそんなのっ!)

「柚木菜ちゃん。死んでも魂は残るのよ。でも台風柚木菜ちゃんは消えてなくなる。これは消滅。だから、死とは違うのよ」

(だからなんだって言うのよっ。もういい。私、怒ったぞ)

台風柚木菜はカミナリの断続的な攻撃を受けながら、自身の雲の回転を上げた。さらに雲の内部で水蒸気を電気分解して水素を作り、燃やした。

熱量を上げた台風柚木菜はさらに渦の回転を速めた。

「ちょっと柚木菜ちゃん、私のプログラムを書き換えないでよ。これじゃあ台風の検証にならないでしょう」

(何をおっしゃる水渓さん。私、大して書き換えていないわよ。制御コマンドでペースアップしただけよ。でも、この後はいじらせてもらうわよ。あんな奴、粉々にしてやるんだから)

「ほらぁ。やっぱりいじる気なんだ。オリジナルはちゃんとコピーしておいてよ。あと、いくら「京」だからといっても、あなた達二つ分の台風の再現は非常に負荷がかかるのよ。あんまりいじるとバグるわよ」

(これって、なんの実験だったかな。もう打ち切ってもいいような気がしてきたんだけど……)

「何を言っているのかなぁ、柚木菜君は。台風の可能性を引き出すための実験だろう? それによって、現実の台風に応用させられるのだよ。期待しているよ」

「だってさ、柚木菜ちゃん。せいぜい頑張りなさいな」

(はぁい。なんだか最初の意図と随分変わってきたような気がするけれど、まあ、いいわ。それじゃ、台風柚木菜のスペシャルチューン、見せてあげるわよ。驚かないでね)

柚木菜と「京」の相性は良かった。自分自身がまるで「京」を動かすプログラムのように自在に制御することができた。

 仮想空間と台風の基本プログラム「姫」は水渓が書いたものなのだが、これをさらに自分で書き加え、自らの体ををアップデートしていった。

元のプラログラムの「姫」が良かったせいか、それを応用して新しいプログラムを書いていくことができたのだ。

 もともと柚木菜にはそんな技能は無く、「京」と水渓のプログラム「姫」の上で同期していた恩恵だ。思考はそのまま制御プログラムになり、そのプログラムはさらに自らを発展させていき、短時間で仮想空間にいた自分はとてつもない力を身につけていた。

台風柚木菜の雲の渦巻きは異常に早く回転していた。それこそ狂ったように回転した台風は、異常な力を生んでいた。

下の海面から海水を吸い上げ、回転の摩擦で産んだ電力でプラズマを作り、それらで重水素と三重水素を生成した。

当然柚木菜はそれらの原理を知らない。しかし、感覚的にそれを行っていた。

人間は手を動かすことはできても、脳がどのように働いて手を動かすのか本人は知らない。そのような感覚だ。

柚木菜は二つの水素を塊にして、電磁カタパルトの要領で射出した。電気が作れるなら磁界レールもお手の物だ。

仮想現実の世界だから、どこまで再現できていたのか分からなかったが、分子レベルで再現できるこの「京」と、そのソフト「姫」でできた仮想現実は恐ろしく精巧にできていた。

台風柚木菜から打ち出されたミックス水素は実に1000トン程の質量があったが、台風の大きさ、質量に比べたら、微々たるものだ。

マッハ6強の速度で射出されたそれは、仮設台風の直上に到達したところで、台風柚木菜は超大出力のカミナリを放った。

今までにない太さのカミナリは、ミックス水素にあたると、一気に火を噴いた。

正確には燃焼ではなく、核反応だった。

世界が真っ白な光に包まれた。超高温のエネルギーの塊は近くにいた仮設台風を吹き飛ばした。ミックス水素は核融合反応を起こしたのだった。

モニターはしばらくのあいだ、真っ白の画面で埋め尽くされて、何も見ることができなかった。計器は類は仮想とはいえしっかりと数字を刻んだ。本来ならば電磁パルスでそんな物も火花を散らして使えなくなるのだが……

光が少し落ち着くと、巨大なキノコ雲が現れた。真っ白な熱の塊は周囲もろとも全てを焼き尽くし、大地も大気も覆い、台風柚木菜もその熱風に飲み込まれた。

結果、自身の体の雲も大きく吹き飛ばされる格好になってしまった。

モニターしていた刃風教授と水渓は唖然としてしまった。

「ちょっと、これじゃ検証どころじゃないわよっ。何やってんのよ柚木菜ちゃん。仮想現実だからといって、水爆なんか精製しないでよ。仮設台風君が消し飛んじゃったじゃない」

「台風を制御できれば、核融合反応も引き起こせるのか? 柚木菜君、凄いじゃないか」

「ちょっとハカセ、変なところを褒めないでっ。つけあがるから。それにそんなことできるわけないでしょ。架空の話よ、そんなこと」

二人はディスプレイに映る仮想現実の映像に目を凝らした。

ようやく巨大なキノコ雲は無くなり、代わりにえぐられた大地と、爆風でなぎ倒された森が広がっていた。

「柚木菜ちゃん、いる? それとも、一緒に吹っ飛んでしまったのかしら?」

 しばらくして、ディスプレイにモニターされていた画像が消えしまった。音声、仮想空間内各所の気象データーなどもだ。

水渓はディスプレイに映る柚木菜のステータスを確認した。

  数字がゼロになっている。これはどういうことだ? 

 台風柚木菜もだが、京柚木菜も数値がゼロになっている。

生身の柚木菜は脈、呼吸、体温等、血圧は正常時だったが、意識は失っていた。

代わりにα波とβ波の数値が上がっている。

「京」の中にはいない。ということは。リンクから外れたのか、単に意識がないだけなのか、水渓には判断できなかった。脳波を見ると、まるで夢でも観ている波形だ。

「柚木菜ちゃん? 返事して。今どこにいるの? 柚木菜ちゃん??」

 水渓と刃風教授の端末からはモニターできなくなっていた。映像、音声、テキスト等、はもちろん、見ることはできなかったし、こちらかのアクセスも何一つできなくなっていた。

 水渓は「京」と仮想空間を起動していたソフト「姫」の状態を確認した。「京」はフル稼働中で、9000個近いCPUがほとんど100%に近い稼働率を示していた。つまり、その中で動いているソフト「姫」が作動しているということだ。しかも「京」の膨大なメモリをほとんど使っている。

 何かが動いていた。そして、水渓は気が付いた。ソフトが更新されている。さらには新しいソフトが起動していると。

「なにこれ…… 柚木菜ちゃんが無意識に作ったプログラムがどんどん増殖しているってことなの? っていうより、アップデートしている…… 私の起動ソフトの「姫」も書き換えられている…… ちょっと柚木菜ちゃん、私の「姫」をいじらないで!」

水渓はまるで自分の可愛いペットが誰かにいじめられているのを怒るように声を張り上げた。

「君のソフトとデーターはバックアップが取ってあるのだろう?」

 この状況でも刃風教授はいつもと変わらない口調だ。

「あんな膨大なデーターのバックアップなんか取れるわけないでしょ。「姫」基本ソフトはこっちにあるけれど、「京」があっての「姫」よ。大学のスパコンでも動くけれど、本領発揮はできないわよ」

「君もそうだけど、「姫」にも手間がかかるねぇ」

水渓の目に冷たい眼光が宿った。

「……何か言いました? 手が掛かるのは私じゃなくって、柚木菜ちゃんですっ! まったく…… 可愛い顔してとんでもない奴だわ。私の大切な「姫」に虫を植えるけるなんて。病気になったらただで済ませないから……」

「水渓君の起動ソフト「姫」は鉄壁の防壁があるのだろう? それに柚木菜君は女子なんだから「姫」に乱暴を働くことはないよ」

「あら、ハカセは知らないのかしら? 世間では同性愛者の抗議がどんどんエスカレートしているのよ。人は愛すべきものを愛する。それが認められないのなら、民主国家ではないって」

「それは極端な意見だな。そうなると、子孫繁栄の期待はできそうもないね。それで、君の「姫」は同性愛を受け入れると?」

「私の「姫」よ。そんなことあるわけないでしょう。でも、今の柚木菜ちゃんは「京」と同化しているから、無理矢理強引に入れられるかもしれないわ」

「……ナニを無理矢理入れられるんだい?」

「ハカセ…… 殴るわよ。「京」とコンビを組んだ柚木菜ちゃんは、どんどん新しいプログラムを作っているわ。聞こえはいいけれど、実際のそれはウイルスよ。私の「姫」が、柚木菜ちゃんのウイルスに感染するのは時間の問題だわ……」

 刃風教授は腕を組んで考え込んだ。ディスプレイには何もモニターできない画像が止まったままだ。後ろではすやすやと意識を失った柚木菜が寝ている。

「どうしようもないじゃないか。とりあえず実験は成功。「京」と「姫」が復旧したら、実験再開。それでいいじゃないか」

「脳天気ね。一人の女の子が原因不明の状態に陥っているのに。どうしてそんなに落ち着いていられるのかしらね……」

「それは違うよ水渓君。僕は柚木菜君の可能性を信じているだけだよ。それに、君の「姫」があってこそのこの実験だ、大丈夫だよ」

「その大丈夫に、科学的根拠は一切ないわよ」

 水渓の冷たい視線は、しばらく刃風教授に突き刺さり続けた。


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