第4話 なりきり娘
「ぉぉ、ぃいねえ、柚木菜くん。やる気満々じゃないか。嬉しいよ」
刃風教授には、自分のステータスの一覧が丸見えだ。体調はもちろんのこと、感情、などもモニターされている。水渓の話だと、脳波を「京」で分析して、思考していることも、記憶自体も解読できるらしい。
正直、もし褒められることがあっても、あまり嬉しくなかった。それすらモニターされているのだから。もしかしたら、そのこと自体も実験の対象なのかもしれない。
そもそも、今回の実験は、台風の接触は大義名分で、私の脳の解析が本命ではないのかと疑ってしまう。
私の持っている「目」の力にこの人たちは目をつけた。今回はそれを実証するためのいい口実ではないのか?
「柚木菜ちゃん、安心して。私以外はあなたの思考データーは読んでいないから。このクソオヤジになんかに見せるわけないでしょ。ここの研究員が二人しかいないのもなんとなくわかるでしょ? ここの秘密は国家レベルなのよ。それと、もう一つ。あなたの「目」とそれを処理している「脳」にはとても興味があるわ。でも今回の対象はあくまでも「台風」なの。そのためのインターフェースがあなたってわけね。ごめんなさいね、今回の主役は、あのたくましくて勇ましい台風君なの。もっとも、あなたはヒロイン役だけれどね」
柚木菜の心境を知った水溪は、それなりの説明をした。つまり、全て心は読まれているということだ。
水渓の言葉は、柚木菜の中では視覚化されて見えてくる。たとえるなら、綺麗な明朝体で明るいブルー色で文字が流れてくる。綺麗な澄んだ色だった。
水溪の言葉に嘘はないだろう。
それに今回は「京」と繋がっているから、特別なことには違いない。
「うん、わかってる。ちょっと不安が重なっちゃったから、疑心暗鬼になったのかな。こうしてみると、水溪さんって性格は悪そうだけど、根はいい人なんだなって思えてしまう。言葉には本当に言霊があるのかなって思えてしまうね」
「そうなのよ。言語がなくっても、意思は伝わるの。それこそが言霊の由来だと思うわ。だから台風君だって、言語はなくとも心があれば、なんらかの意思疎通はできるはずなのよ。こちらからのメッセージはちゃんと届いたし、理解もしてくれている。だから、あんな風に反応したわけよ。でも、残念なことには、私たちは向こうの言葉がわからない、理解できない、受信できない。ここからが、次のステップなのよ」
水渓の言うことはなとなくわかったが、次は一体何をさせる気だ?
「何って、単純なことよ。柚木菜ちゃんならどうする?」
「単純なことですか…… でも、簡単ではない、と言っているような気がします」
水渓は単純だと言った。それはきっと誰でも思いつくようなことなのだろう。問題は、それができるかどうかなのだが……
「そう、柚木菜ちゃんの思っている通りよ。現実的ではない。でも、やってみる価値はあると思うの。もう選択肢がないのはわかるわよね」
「もう覚悟はできています。なんなりと言ってください。期待にお応えできるように頑張りますから」
刃風教授はうんうんと頷き、説明を始めた。
「我々と彼らでは、やはり違うのだよ。そもそも人という概念すら持っていないのかもしれない。では、これはどうかな。我々は彼らを理解できない。なぜなら、我々は熱帯低気圧ではないからだ。では、なろうではないか。熱帯低気圧に。さすれば、彼らの心中も分かるというものだ」
柚木菜は目を丸くした。またまたとんでもないことを言い出したものだ。今度は台風になれという。 何を考えているのだ、この人は。
「当然そんなことはできるはずがない。だから、シミュレートするのさ「京」の中で。そして、その架空に作り出した台風と同期してもらう。つまり、台風の気分になってもらうってわけだ。同じ視点なら、きっと理解し合えるだろう?」
教授の説明に言葉が出なかった。そりゃあ、昆虫が何をしたいのか知りたいとき、同じ視点になって考えれば、見えないものも見えてくるとはいえ、この発想はどうしたものか。しかし、そんなことができるのか?
「脳は微弱な電気信号でネットワークを形成している。細胞が小さいから僕らの頭に収まるわけだ。台風は水とチリと空気で形成されているわけで、ほとんど気体だよね。でも質量は結構な物になる。さらに、結構強力な電気を帯びている。それなりに大きくないとあの形状は維持できないよね。だから「京」クラスの機械がないとシミュレートもできないんだよ」
「……そんな大規模な作業が今すぐにできるんですか? って、もう準備はできているってことですよね。こうなることは、最初から予測していたってことですか?」
「その通りだよ、柚木菜君。それぐらいは準備しておかないとね、せっかくの機会なんだから。そういところは無駄のないようにしないと、怒られちゃうからね」
「誰に怒られるんですか?」
「納税者を代表して私が怒ります」
「ハハ……」
柚木菜は苦笑いしか出なかった。この実験でかかる費用は一体どれだけになるのだろう。
「ほら、もうスタンバイできたわよ。画像を廻すから、柚木菜ちゃんはアレに同化して」
柚木菜の頭の中に24号とは別の台風の映像が出てきた。これがシミュレートされた電子の台風のようだ。
同化しろと言われても、やったこともないのに、どうやってするのかと思ったが、台風24号にコンタクトをした時と同じように、この仮設台風に意思を送ってみると、まるでもう一人の自分が、自分から離れていく感覚を覚えた。
気が付けば自分が二人いる。正確にいえば、本来の身体にいる自分と「京」とリンクして頭のなかにいる自分と、仮設台風と同化して、よくわからない自分がいた。
「ぅわ、何これ。少し混乱するわ。ちょっと待って、ぅーん、よくわからない……」
無限に広がるような空間に、全ての感覚や束縛から解放された自分がいた。上も下も音も光もない、ただ、今までとは何か違う感覚があった。そして、なんとも得難い開放感があった。
「もうシンクロしたようね。さすがだわ。じゃあ次、マップと、あいつのデーターを送るわね」
柚木菜の視界に空間が広がった。視覚は無かったが空間を認識する感覚はあった。色は認識できなかったが、色ではない色彩を感じた。そして、自分が巨大な低気圧の渦になっていることに気が付いた。
「京」の作り出した何もない空間に、それはいた。大きな渦を巻いた巨大な雲の塊。それはまさに台風だった。
しかもそれは、柚木菜の別の姿でもあった。柚木菜は仮想空間で台風になっていた。
(うわー、すごいことになっている。なんていうのかな、目がいっぱいあるみたいで、あっちもこっちも見えるの。それに、とても爽快だわ。気持ちいいっ)
「今、柚木菜ちゃんが話したのは、台風になったあなたからの言葉を「京」が翻訳したのよ。つまり、台風に知能があってもおかしくないってことなのよ。もちろん、今の仮設台風には柚木菜ちゃんの記憶と意識が宿っている。だから、私達とこうやって会話が成り立っているのだけれど、さて、彼はどうなのかしらね」
仮設台風の柚木菜は、気配を感じた。この仮想空間には、あの台風24号をモデルにした大型の台風もいた。気配とは、電気が空気中を伝って感じるものである。大型台風ともなると、その帯電量はとてつもないものだろう。
体が帯電質になった柚木菜は、それこそ体全体がセンサーのように働いて、近辺の状況が手に取れるように知ることができた。今いる場所は海の上だったが遥か北に日本列島らしい陸地を感じた。そして、東の空に、自分と同じような存在を感じた。
それは、この仮想現実の中に再現された台風24号だ。各拠点の気象庁からの観測データーやセンサーなどが捉えた情報を集積して「京」が再現したのだ。
電子の空間を柚木菜から見ると、全てがワイヤーフレームでできているように見えた。色も確認できるが、サーモグラフィーのように温度によって色彩が変わるようだ。
これが台風の視点なのかと思った。それはまるで巨大なセンサーだった。それは、コウモリのように微弱な電波を飛ばし、周囲状況はすべて把握できたし、強力な電波を発して、はるか遠くの状況も知ることもできた。
さらには、自身が回転することによって、膨大な電力を作ることもできるようだった。
これは一体何なのだ。低気圧の塊に過ぎないはずなのに、やっていることが完全に別な事だった。
雨を飛ばして大地の状況測り、風を使ってその地にある、あらゆるものを観測し、さらに電波を飛ばして、対象の物体を鑑定していた。
湿った空気を寄せ集め、大量の雨風を撒き散らす自然の驚異の存在が、実は巨大な観測器の役目も果たしていたとは思いもよらなかった。
これは一体なんなのだ?
「柚木菜ちゃん、どんな気分かしら? その前に、柚木菜ちゃんは今、三体存在しているわけなんだけど。自我を維持できているのかしら? 自分がどれなのかわかるのかしら? そうね、オリジナルのオリ柚木、「京」に拡張された京柚木、仮説台風の台柚木と呼びましょうか。えーっと、台柚木ちゃん? 自分はどう?」
水溪はディスプレイに映る仮説の台風に話しかけた。
(気分と聞かれたら、それはとても気持ちがいいですよ。たとえるなら、ステージで踊っている気分かしら。大勢の観客の前で応援されながら、自分のパフォーマンスを最大に発揮している、そんな気分かしら。周りの状況が手に取れるようにわかって、体はとても軽やかで、そしてとてもパワフルなの。スーパーマンになった気分なのかしらね」
あなたは女性なのだから、そこはスーパーウーマンだ、とはつっこまなかったが、しっかりとした意識があるのは確認できた。
「ねえ、今の状態でオリ柚木ちゃんは話すことができるのかしら?」
柚木菜の本体は目を開けてこちらを見て口を開けた。
「はい、普通に話せますよ。不思議な気分です。私が三人いるのだけれど、意識は共有されているから、三人が私自身なんです。でも、三人の感覚はしっかりバラバラに認識できて、どれがどの自分なのかがちゃんとわかるんです。マルチコアってこんな感じなんですかね」
「あなたの場合は、コアっていうより、スレッドって感じかしらね。マルチタスクは「京」のお手芸だからね。「京」あっての今の状況なのよ。それにしても、こうもあっさり同期するなんて、あなたもある意味、変態ね」
(特殊。と言ってください。変態じゃないわよ。と、言ったところで、いまの私は確かに変体だわ)
これは台柚木からの会話だ。水溪の頭にかけていたインカムに音声として再生されてきた。ディスプレイにもテキストの文字が流れてくる。
「軽口が叩けるなら、問題はなさそうね。ところで、お相手さんはどんな状況かしら? 構造も構成も今のあなたと同じだから、ようやく同じ視点で見ることができたわけだけど、あちらさん、何か言ってる? 今のあなたなら、感覚的に何かを感じ取れると思うわ」
(ぅ、うん、やってみる)
今の私は、ズバリ台風そのものだ。たとえ「京」の中で作られた仮設の台風とはいえ、膨大な量のデーターを使っている。今現在、これが一番リアルに近い台風なのには変わらない。
そして、この架空の世界にもう一つの台風がある。同じように作られているなら、当然コンタクトが取れるはずだ。
さて、どうしたのもか。
とりあえず、会話でもしてみるか。
(はぁい。たいふー君。元気かなぁ? 私の言葉は理解できてるぅ? たいふー君にはそもそも言語があるのかな? なんでもいいから返事してほしーなー)
台柚木から見た仮設台風は、特に変化は見られなかった。
京柚木から見た仮設台風は、青色から少し色が薄くなり、空色っぽくなっていた。変化が出たということは、言葉が届いたということだ。
よし、もう少し近づいてコンタクトしてみよう。
台柚木は、進路を仮設台風に向けた。と、そのとき激しいノイズのようなものを感じた。思考に突き刺さるようなノイズの波から何かを感じ取れる。なにか訴えているように思える。
台柚木が感じ取った波は、すぐさま「京」に送られ分析され、台柚木にフィードバックされた。
どうやら、何かを訴えている。怒号のような悲鳴なように感じられたが、何を言っているのかはわからなかった。
「京」かさらに日本語で翻訳して音声で再生してくれた。
「てめぇっ! このクソガキっ! こっちくんじゃねーよ! 体がおかしくなっちまうじゃねーか! バカヤロウがっ! さっさと消えてなくなれ!」
(…………水溪さん? 遊んでます?)
「わ、私じゃないわよ。私がそんなこと言うわけないでしょっ。「京」があなたの頭を経由して翻訳したのよ。それはつまり、あなたの影響なのよっ」
水渓は声を荒らげた。多少は自覚があったのだろうか。それを見ていた刃風教授は笑っていた。
「この仮設台風の基本理論は水菜君が書いたものだからね。似たのかもしれないよ。それに、ニューロネットワークの形成は水溪君の思考が元になっているんだ。遺伝伝心とはこのことだね」
「以心伝心です…… ちょっと待ってよ。今回の仮設台風は24号がベースなんだから、私の思考は関係ないわよ。ニューロのパターンを組んだのは私だけど、私の性格が移ったわけじゃないわよ」
(やっぱり少しは自覚しているのね…… ところで…… このまま仮設台風を刺激してもいいのでしょ? せっかくだから、接触してみるね)
「許可する。予想はついているが、向こうの意思を知ることができるかが、今回の目的だからね」
(予想はついてる? どうなるの? やっぱり形状が維持できなくなって消えちゃうの?)
「やってみればわかるわよ。それが検証というものでしょ」
(へいへい。モルモットはモルモットらしく働きますよ。高給貰っていますからね)
台柚木は進路を仮設台風24に向けて前進した。途端に先ほどのようなノイズの波が襲ってきた。
翻訳される前のメッセージは、なんとなく内容の予想がついた。
こちらにくるな。向こうに行け。と言っているのだろう。
少しして。「京」から翻訳の内容が音声化された。
「ど阿呆っ! タコ死ねっ! 消えちまえっ! くんじゃねっ!」
(……本当にちゃんと翻訳しているんですか? 雰囲気に合わせて言葉を置き換えているだけじゃないです?)
「何をおっしゃる。「京」はそれこそ、犬語でも猫語でもなんでも翻訳してしまうわよ。ようは、受信するためのディバイス次第ってとこなのよね」
(でぃばいす? それって、つまり、私のことですか?)
「当たり前でしょう。あなたの耳がそう聞き取ったのよ。つまりは柚木菜ちゃんの影響よ」
(ははは…… 私の闇部分がそう言わせているのかな……)
「わかっているじゃない。深層心理はきっとドロドロね。私はトゲトゲだけどね」
水渓はさらりと言った。
どうやら、知らない自分がさらし出されていくようだ。しかも、しっかりと見られている。
この先、さらなる自分が出てくるかもしれないと思うと、少し恐怖した。
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