(5)守りたいもの


 間もなく三体の蹄の音が、森の奥から聞こえてきた。


 山道で出会った時は五人いたが、二人は私とレオスが倒したから今回は加わっていないのだろう。


 窪んだ岩場の道にいる私達を見て、どうやら馬で入るのは無理だと判断したらしい。


 岩場の入り口で馬を下りると、腰の剣に手をかけながら、オーレリアンともう一人の男が歩いてくる。最後の一人が近づかないところを見ると、おそらく接近戦は得意ではないのだろう。最初から暗殺用に用意された弓の射手なのかもしれない。


 じゃりじゃりと、岩場に転がった小石を歩いてくる音がする。


「マリエル姫。お探ししましたよ」


 よし! どうやら、ドレスを纏った私をまだ完全にマリエルと信じているようだ!


「さあ。私たちが、安全なところにお連れ致しましょう。まだ日が高いとはいえ、森ではいつ狼が出るかわかりませんから」


「そして、喰い荒らされた死体が発見されるというわけか。先についていた致命傷の剣の傷も、死体が荒らされていればばれないからな」


 すらりと腰から、持ちなれた剣を引き抜きながら答えた。


 私の言葉に、オーレリアンは一瞬虚を突かれたようだった。けれど、すぐに酷薄な笑みを浮かべる。


「なにか誤解されていませんかな? 私は城を出られた姫をお迎えに来ただけですが」


「白々しい! 昨日、俺の前でなんと言ったか忘れたのか!」


 私に近づこうとしたオーレリアンの前で、レオスが抜いた剣を構えた。藍色の眼光は、はっきりとオーレリアンを敵として捉え、一歩の動きも見逃さない。


 鬼気迫るレオスの様子に、オーレリアンの口元がふっと歪んだ。


「あの時の――。てっきり、崖を落ちて死んだと思っていたのに……」


「レオスから聞いただけではない! お前達のこれまでの所業は全てお見通しだ! よくも何度も命を狙ってくれたな!」


 あそこまでマリエルが怯えるほど! 


 家族と死に別れて、突然押しつけられた重責に応えようと懸命になっているマリエルに、声が出なくなるほどの恐怖を与えるなんて!


 どれだけ一人で怖い思いをしていたか! たった一度出会っただけの従姉妹の私が救いに見えるなんて、尋常な精神状態ではない。

 

 孤独な状態で追いつめられたマリエルの気持ちを思うと、心の底から怒りが湧いてくる。だから、私は憤りをこめて目の前のオーレリアンに剣を向けた。


「来い! 私の命がほしいのなら、ここで迎え撃ってやる!」


 もちろん、本心は祖父のところへ向かったマリエルのために時間を稼ぐためだ。きっと、馬車は今頃城門を越えて、タリゼの街中を走っているだろう。


 間もなく、街の奥に白亜のノースライス城が見えてくるはずだ。


 だから、私は私のすることをする!


 マリエルのために敵を引きつけるだけじゃない! 隙があるなら、マリエルの恨みを少しでも雪いでやる!


「なるほど――。ですが、私もお仕えする王妃様のために、姫をここで見逃すわけにはいきません」


 言うや否や、オーレリアンが素早く太刀を振り上げた。


「レオス! もう一人は任せた!」


「承知!」


 ぱっとレオスが怪しまれない言葉で答えると、もう一人の振り下ろしてきた男の剣を素早く体の前で受け止めている。


 だが、私の方もそれ以上見ている余裕はない。


 走り寄ってきたオーレリアンの剣が、銀色に光ると、私の頭上から振り下ろされてくる。


 がきんと鈍い鉄の組み合わさる音がした。


 きぎとつるぎが押し合うが、力での勝負になれば、私の方が不利だ。女の力で扱いやすい細身のけんは、太い剣で力押しされたら、折れてしまう恐れがある。


 だから、持っている握りを僅かに下に変えた。相手が力を込めているから、向きさえうまく変えてやれば、勢いのままに剣は下に向かって落ちていく。


 けれど、これでは終わらない。


 すぐにオーレリアンは剣を握りなおすと、私の肩に向かって左右から連打を浴びせてきた。


 喉元から、肋骨の合間を切り裂くように狙ってくる。あたれば、上半身が縦に真っ二つになるのは裂けられないだろう。


 だから、カンカンとつるぎの音を響かせながら受け止める。


 ぶつかる衝撃を利用して、攻撃してくるけんを左右に反らすが、相手も余程修練を積んでいるのだろう。


 一瞬の隙をついて、私の横腹を狙ってくる。


 左の腹を狙った攻撃に、私はドレスを翻した。


 左腹を狙った攻撃を右手の剣で受け止めるのと同時に体を回転させると、薄紅のドレスの裾がふわりと花のように開く。


 やはり、騎馬戦よりも一対一の剣で戦う方が好きだ。


 体を動かすのは好きだし、なにより秋の金色の森に舞う銀色の剣というのも幻想的だろう。


 ただ、動くと広がるドレスが、少し慣れないだけで。


 しかも、国境で着ていた軽い綿のスカートではない。身分を隠す為に、宮殿よりは軽装で飾りの少ないものをマリエルが選んでいたとはいえ、やはり生地が上質だ。


 つまり、固い。戦って舞えば開くが、足捌きがどうしても制限されてしまう。


 ――そうでなくても、ドレスは苦手なのに!


 故郷でも、祭りか新年ぐらいしか着なかったぞと思い切り悪態を叫んでやりたい!


 どうして、女だというだけで、こんなに不自由なものを着なければならないんだ! もっと楽な動きやすい服で、十分に役割を果たせるじゃないか!


 がんと切り込んでくるオーレリアンの剣を鋭く払った。


 けれど、足元が邪魔だ!


 あと、一歩踏み込めれば、返した刃で、そのままオーレリアンの喉元に剣の切っ先を突きつけてやるのに!


 裾を広げるフープのついていないドレスでは、膝までの生地がひどく硬い!


 しかも伸びない!


 立派な生地も考えものだな! 馬で逃げた時も、膝までの布地が少なくて、跨がりにくく感じたが、戦闘をしている今の比ではない。


 しかも、膝から下は、百合のように優雅に動くのだから動きにくいことこのうえない!


 私の動きが制限されているからだろう。容赦なく打ち込んでくるオーレリアンの切っ先を払いながら、私は踏み込める隙を探した。


 少しだけ大きな隙が欲しい。


 二歩踏み出せるような――。そうすれば、間違いなくオーレリアンの剣を打ち落としてやるのに!


 けれど、なかなか勝負のつかない私にオーレリアンの瞳が変わった。


「剣姫という噂は本当のようですね。さすが、私が送った刺客を倒しただけのことはある」


 こいつ! 遂に本音をもらしやがった!


「だけど、取り合えず、私は姫をこの場に足止めできればよいのですよ」


「なに……?」


 オーレリアンの言葉に、剣を組み交わしながら眉を顰める。けれど、私の怪訝な表情に気がついたのだろう。ふっとオーレリアンは笑った。


「今朝、王妃様がノースライス城に入られました。ギルドリッシュ陛下を説得して、キリングに嫁がれた第三王女リアーヌ様の王位継承を認めてもらうまで、姫の邪魔ができれば、取り敢えず私の仕事は成功というわけです」


「貴様!」


 まさかもう王妃が、ノースライス城に入っていたなんて!


 マリエル!


 ――間に合うのか!?


 きっと王妃も、今頃ギルドリッシュ前王陛下に嘆願しているだろう。自分の娘を、次の女王に認めてほしいと!


 ぎりっと唇を噛む。


 そして、力で押し合っていたオーレリアンの剣を、向きを変えて弾く。


 けれど、何度も同じ手は通じなかった。


「なっ――!」


 そのまま下に落ちるかと思ったオーレリアンの剣は、僅かに切先の向きを変えると、落ちる勢いで私のドレスの裾を切り裂いたのである。


 後ろに身を引こうとしたのが災いした。


 ふわりと広がった裾が剣の前に広がる。そうだ、膝から下は広がるデザインだったんだ!


 剣は私の膝上から薄紅色の裾を引き裂くと、白い足を露わにオーレリアンの前に晒す。


「なっ……!」


 しかも狙ったのは腿だったのだろう。広がったドレスのせいで、狙いが狂ったのか、腿から下の白い足がドレスの切れ目から現れて、秋の金色の光に晒されている。


 裾のデザインのお蔭で、怪我は免れたが、誰にも見られたことのない太腿を白日の下に晒された私にしたらパニックだ。女として、結婚相手にしか見せない場所なのに!


 咄嗟に破れたドレスを掴んで隠そうと身をかがめた。


「危ない!」


 レオスの声が聞こえる。


「えっ」


 しまった! つい、反射的に動いてしまった!


 目の前ではオーレリアンが振りかぶっている。


 それだけではない。遠くの岩場の入り口では、弓を持ったもう一人の男が狙いを定めて、弦を引き絞っているではないか!


 飛んでくる矢に、はっと身を屈めた。


 動くと、切れたドレスの間から白い腿が露わになる。


「俺以外が、彼女の裸を見るなんて――!」


 うん、なんか場にそぐわない発言が聞こえる?


「許さん!」


 けれど、一瞬で今戦っていた相手の剣を弾くと、レオスが私の側に走ってきた。


「大丈夫か!?」


 そして、私に振り下ろしたオーレリアンの剣を素早く跳ね返している。


「う、うん……」


「急いで、これで」


 私の足を隠させようと思ったのだろう。レオスが、一つしかないコートのボタンを急いで外そうとしている。


 けれど、さっきレオスが戦っていた男が、不意に後ろからレオスの背中に向かって剣を振り上げた。


「レオス!?」


 あぶないと叫ぶのよりも早く、レオスの背中が、着ているコートの上から真っ二つに引き裂かれていくのが、生々しく目に映った。


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