(2)マリエルはどこだ!?


 跨がったリールの腹をあぶみで蹴ると、慣れ親しんだ合図に、リールは急いで道を駆け出した。


 朝の空気は冷たい。


 特に川が近いせいもあるのだろう。僅かに霧のかかった山の間から覗く木々の葉は、しっとりと濡れながら茶色くなっている。茶金の葉の上に、白い露を乗せている様は見ようによっては幻想的だが、生憎馬の上からではじっくりと鑑賞している暇がない。


 だから、私は急いで山道を駆けながら、横を走っているレオスを振り返った。


「レオス! この辺りで、一晩マリエルが隠れて夜露を凌げそうなところはあるか!?」


 いくらなんでも、冬が近い今の季節に、マリエルが野宿をしたとは思えない。


 それならば、どこか屋根のあるところで夜を明かしたと考えるのが自然だろう。


「確か、峠の手前に炭焼きをしている夫婦の家があったはずだ! それ以外では、昔イルドに入ってくる旅人を検問していた今は使われていない見張り小屋か!」


「そこに行ってみよう!」


 マリエルは、ロードリッシュのことをよく勉強していた。だったら、オルンド峠を越える前に日が暮れると気がついた時点で、地図で知っていた泊まれそうなところを当たるはずだ!


 そこに、オーレリアンたちより先に辿りつかなくては! そして、マリエルと合流する! 一刻も早く!


 だから、リールの腹を軽く蹴った。


 私の意志が伝わったのだろう。上体を前に倒すのに合わせて、スピードを上げてくれる。走っていく細い山の道は、土がむき出しで細かい石がいくつも転がっている。しかし、国境の山野を走り回って育ってきたリールは、石の転がる湿った道も慣れた調子で四つの蹄で走っていく。


 私の側で併走しているレオスも同じだ。


 やはり、よく乗りこなしている愛馬なのだろう。朝日の中で一緒に走る姿も、私の馬に合わせてスピードを合わせていく様も、昨日今日ではない息の合いようだ。


 側を走るレオスをちらりと眺め、私は視線を前に戻した。


 山から昇り始めた太陽は、すっかり辺りを明るく照らし出し、暗かった木々の間にも黄金色をまぶしたような光を注いでいる。


 きっと、街や村ではそろそろ人が起き出して、かまどの準備をする頃だろう。


 ――つまり、敵も起き出してくる時刻というわけだ!


 だったら、猶予はもうあまりない!


「レオス! さっき話していた検問所だった小屋と人家というのはどこだ!?」


「ここからなら、小屋の方が近い! 峠のすぐ手前の道沿いにあるはずだが!」


「先に、そこへ行ってみよう!」


 今は廃屋になっているのなら、雨露をしのぐ場所としては最適だ。マリエルが過去に地図で見て覚えていれば、誰にも見つからずにすむ場所として、一晩をすごすのに選んだかもしれない!


 だから、細い山道を急いで馬に走らせた。


 山並みはいくつも続いて峠へとゆるやかに向かっているが、朝が早い為に、出会う旅人もいない。さすがに、冬の峠道で夜を越えようという無謀な旅人はいなかったのだろう。


 だから、私とレオスはまだ露を宿したままの草の間にうねる峠道を、速度を上げた馬で駆け抜けた。


「あれだ!」


 前方では、山道が急な上り坂に変わる手前で、古い石造りの建物が打ち捨てられたように木陰の間に立っている。


 木の合間に立つ手入れもされていない灰色の壁には、黒い染みがところどころに浮かぶ。きっと壊れかけたひさしから、雨粒が壁のひびにしみ込んだのだろう。


 だけど、見回した周囲に、ほかの馬はいないようだ。


 素早く周りを伺うと、私は急いで馬を下りた。


 マリエルがもしいるのならと急ぐ私の後ろで、レオスが木陰から誰か襲ってこないかと見張るように、腰の剣に手を伸ばしている。きっと、背後を守ってくれているのだろう。


 だから、私は前だけに意識を集中して、古い扉を開けた。


「マリエル!」


 もし、襲われていたら今すぐにでも、助けに飛び出せる姿勢で。


 けれど、開けた古い建物の中は、がらんどうだった。床には埃が白く積もり、窓から差し込む光の中で、きらきらと煌きながら舞っている。きっと、私が扉を開けた勢いで、床に積もっていた埃が舞い上がったのだろう。


 だけど、中は空洞の部屋だった。いくつか埃を踏みつけた足跡が残ってはいるが、その足形の上にも薄い埃が積もっている。昨夜誰かがいたという様子ではない。


「いないようだな」


「だとしたら、炭焼き小屋の方か!」


 レオスの言葉に頷きながら、私は急いで扉を閉めた。


 そして、また急いでリールに跨がると山道を走り出す。


「炭焼き小屋はどっちだ!?」


「この峠道を登りきる手前の、少し横に入ったところだ!」


 さすがに峠にかかる道は険しい。


 両側から生い茂る木々の落とした葉で、道自体が深い枯れ葉に包まれている。


 人間が走っても、積もった落ち葉のせいで足が取られやすく、うっかりすると滑ってしまうだろう。だから、どうしても馬の走りも慎重になる。


 ――でも!


 マリエル!


 どうか、無事でいてくれ!


 もし、炭焼き小屋に避難していたのなら、さっきの検問所であった廃屋よりも、奴らに見つかる確率はずっと高くなる!


 暗い暮れ始めた山道で、火のついている建物に追っ手が気がつかないはずがないからだ!


 ましてや、マリエルを探しているのなら尚更!


 だから、どうしても滑りやすい峠道を一気に駆け上がると、建物が見えてくるのと同時に、馬を下りた。そして細い脇道の奥に見えた丸太の家へと走っていく。


「すみません!」


 突然騎士服の私が走りながら声をかけたのに驚いたのだろう。


 山の石を組み合わせて作った井戸の側で水を汲んでいた女性が、坂の上から驚いた顔で私を見下ろしている。


「実は、女性を捜していまして! 私は彼女の護衛なのですが、若い女性が、昨夜こちらに宿を求めませんでしたか!?」


 どこまで情報を出すべきなのか悩む。けれど、もしマリエルが匿ってほしいと伝えていた場合には、護衛とはっきりと名乗ったほうが教えてもらいやすいだろう。


 けれど、炭焼きの夫人は驚いた顔をした。


「いいえ。昨夜は誰も宿を求めてはこられませんでしたよ?」


「そうですか……」


 落胆してしまう。


 ここでもないとしたら、マリエルはいったいどこで夜を過ごしたのだろう。


「お忙しいところすみません」


 けれど、後ろから響いた声に、炭焼きの夫人の顔が、一瞬で赤く染まった。


 振り返ると、レオスが端整な顔で、炭焼きの夫人に近づいていくではないか。


 そして、じっと藍色の瞳で夫人を見つめる。


「お仕事中の手を止めてすみません。ここらで、ほかにどこか女性が夜を凌げそうな場所はありますか? もしくは、誰か頼れそうなところとかは?」


 あまりに凄絶な美貌の登場に、夫人もさすがに息を飲んでいる。かわいそうに。夫人もまさか、朝からこんな生物兵器に出会って、心臓が全力疾走することになるとは思わなかったのだろうな。


 ――どうか、酸欠になりませんように。


 人ごとながら、幸運を祈ってしまう。


 けれど、レオスに見つめられて、一瞬ぼうっとなっていた夫人は、尋ねられた言葉に、やっと真っ赤な顔でしどろもどろに口を動かしている。


「い、いえ……泊まれるところは知りませんけれどねえ。あるとしたら、この先にある洞窟ぐらいだけど」


「ありがとうございます!」


 礼をして飛び出そうとした。けれど、やっと思い出したように夫人が「あっ」と声をあげている。


「そう言えば、昨夜同じようなことを尋ねによられた方がおられましたよ」


「え?」


 ぎくりと背筋が強張った。


「ひどく美しい銀の髪の方だったかしら。お付きの人と一緒に、はぐれた令嬢を探していると仰って。だから、ひょっとしたら、そちらのお仲間と合流されたのかもしれませんねえ」


 ――オーレリアン!


「ありがとうございます! 行くぞ、レオス!」


 急いで、騎士服を翻す。


 あいつら! やはりマリエルを探していた!


 そして、同じようにどこかで宿を取っているはずだと、夜を凌げそうなところを片っ端から当たっていたのだろう!


 ――マリエル!


 ここに泊まらなかったのは幸いだった。けれど、オーレリアンは長く王妃の側に仕えて、イルドの周辺にも詳しいのかもしれない!


 だとしたら!


 脳裏に、暗闇の洞窟に身を潜めているマリエルを殺そうと剣を振り上げているオーレリアンが映る。


 誰もいない山の中で、人知れず殺されていたとしたら! きっと、私は心に誓った主君であり、大切な幼馴染みでもあるマリエルを守りきれなかった自分を生涯恨むだろう!


 だから、急いでリールに飛び乗った。


「レオス! すぐに洞窟を探そう!」


「待て! この時期の洞窟は危険だ!」


「危険って何で――!?」


 どうしてすぐに探しに行かないんだ!? こうしている間にも、マリエルが殺されてしまうかもしれないのに!


 焦燥感で、心が焼けていきそうだ。


 けれど、レオスは私の前に立ったまま動かない。


「待て、焦るな!」


「焦るなといわれても――!」


 マリエルがどうなっているかわからないのに!


 けれど、私がリールの馬首を返そうとした時、峠道の下から陽気な歌が聞こえてきた。


 振り返ると、旅芸人の一座なのだろう。笛を鳴らし、楽しそうに歌いながら、峠の道を幌のついた馬車で越えていこうとしている。


 使い込んだ馬車の御者台には、馬の手綱を握っている男と一緒に、二人の子供が座り、ロードリッシュの歌を歌っているではないか。歌っている赤茶の髪の子供を膝に抱えている女性の姿を見つめ、ふと私は目を開いた。


「マリエル!」


 近づいてくる馬車では、金の巻き毛を揺らしたマリエルが子供達と一緒に楽しそうに歌っている。


 目を丸くしている私の前で、マリエルは気がついた私の姿に驚いた顔をすると、すぐに弾けるような笑顔で手を振った。 


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