第八章 反撃開始!

(1)心臓に悪いって、こういう感覚?

 次の朝。太陽が山の端に覗くのと同時に、私たちは川原にそって歩き出した。岩に近いような石がごろごろとしていて歩きにくいが、落ちてきた急な斜面を登るのに比べれば、随分と楽だ。


「つまり君は」


 歩きながら、なぜマリエルの姿をしていたかの説明をしていた私に、後ろでレオスが川原の上流に行く途中の岩に手をつきながら、頷いている。振り返って見たレオスのコートは、昨日崖を落ちる時に全身で私を守っていてくれたからだろう。ほとんどのボタンが飛んでしまって一つぐらいしか留まっていないが、気にはしていないようだ。


「マリエル姫の声が一時出なくなっていたから、シリル長官に頼まれて姫の身代わりをしていたということか」


「そういうこと。今は出るようになったから、もう身代わりの必要はなくなったんだけどな」


 改めてレオスのコートを見ると、胸が詰まりそうになった。だけど気づかれないように、頭を一度振って答える。


 だから余計に、レオスが一度聞いてあらかたの事情をわかってくれたのは、助かった。やっばり頭がいいのだなと感心してしまう。


「なるほど。だから、最初月夜に見た時も、ドレスを着ていたというわけか」


 ふむと頷いているレオスは、今も冷静だ。そういえば、おとついの夜、私の半裸を見ても少しも動じていなかったな。


 ふと不思議に思って、私は後ろを歩くレオスを振り返った。


「お前、あの月夜の時に、私が女だと気がついていたの?」


「いや……あの時は、君に似ているということしかわからなかった。ただ、どうしても彼女が忘れられなくて、もう一度会いたくて必死だったから……。手がかりはそれしかなかったし……」


 うっ。なんか、顔が赤くなってくるぞ?


「あ、そうなんだ。じゃあ、おとついの夜、私の姿を見て平気だったのも、別に知っていたからというわけじゃないんだな」


 照れながら誤魔化したのに、私の言葉が余程心外だったらしい。岩場で、私が落ちないように、少し後ろを歩いていたレオスの藍色の瞳がくわっと開くと、容赦なく顔が迫ってきた。


「平気なわけがあるか! 好きな子の裸を見てしまって、動揺しない男がどこにいる!?」


「えっ!?」


 じゃあ、あれはなんだったの?


「ただ焦ってパニックになってしまったから、咄嗟に言葉が出てこなくて。言われた用事をすませて、部屋を出てくるので精一杯だったんだ!」


「じゃあ、まさかあれで動揺していた!?」


「頭の中は、見た君の姿でぐるぐるしっぱなしだった。なんとか扉を出て、部屋に戻ってから、そう言えば君は一度も自分を男性とは言ってなかったと思い当たって――。考えてみれば、少数だが、女性にも騎士はいると聞くし……」


 まさか、顔が整いすぎていて、動揺も冷静に見えるなんて! 表情まで不憫な奴だとは思いもしなかった!


 つまり、怒っているか真面目な顔ばかりな気がしていたのは、ただ単に表現が不器用だからなんだ。


「あ、だから昨日の言動というわけね」


 やっと合点がいった。つまり、昨日の問題発言はこいつなりに悩んだ本気の告白だったのか。


 すると、レオスが真面目な顔で見つめてきた。うわっ! 相変わらず、綺麗すぎる顔だなあ。


 正直、この顔で近づかれたら心臓に悪いぞ?


「そうだ。あれは、一晩考え抜いて、俺が新しく出した結論だ」


 ちょっと、近いって! なんで、髪が触れ合いそうなほど、顔が近づいているんだ!?


 けれど、レオスは引いてくれない。


「君はどうやったら、俺を好きになってくれる?」


「どうやったらって……」


「君が望む男になってみせよう。強い男が好きなのなら、誰にも負けない剣技を手に入れてみせる。逞しい男が好きなのなら、今より体を鍛えて、敵に矢を浴びせられても、全ての弓矢から君を守りきれるだけの体躯を手に入れよう」


 うわっ! 近すぎて、心臓が破裂しそうだ!


 こいつの藍色の瞳って、夜色で綺麗だなあなんて感心している場合じゃない。壮絶すぎるこの美貌で、近寄りながらこんなことを言われたら、正直息が止まりそうなんだが!


 もう、心臓が暴走しすぎて、爆発寸前だから、勘弁してくれ!


「いや……私も、騎士だから、守られるのは望まないけれど……」


 というか、この顔でむきむきの肉体なんて、その方が視覚的犯罪だろう?


 気持ちはありがたいが、確実に貴族の令嬢全てに恨まれる願いなんて、無謀すぎてとても頼めないぞ?


「だったら、どうやったら好きになってくれる? 君が振り向いてくれるのなら、何でもする」


「何でもといわれても……」


 正直、レオスのこの顔で、今までに振り向かなかった女なんているのか?


 いや、レオスが今まで女性に関心がなかったのか。


 でも、生憎と私も口説かれたことなんてないから、どんな答えを返せばよいのかわからない。


 だから、自分でも赤くなっていく頬を逸らして、必死に隠した。


 これ以上、こいつの顔を見続けていると心臓に悪い。はっきりいえば、ここまで壮絶に綺麗すぎると生物兵器だ。こいつに狙われたら、間違いなく女性の心臓は動きすぎて、破裂してしまうだろう。


 まずい、両頬がどんどん熱くなっていく。


「アンジィ?」


 だから、私を呼ぶレオスの声にも振り返らずに、急いで岩の間の道に駆け込んだ。


 そして細い獣道を、一目散に登っていく。


「すまない! 嫌いになったか!?」


「嫌いにはなっていない! だから、少しだけ考えさせてくれ!」


 もう、ほかにどう言ったらいいんだ!? なんで恋愛初心者に、こんなに難しい相手を用意するんだよ!?


 けれど、後ろでレオスは明らかにほっとした顔をしている。


「わかった。焦らずに、君を口説くから」


 ――だから、それが心臓に悪いというんだ!


 逃げ込むように、細い草の間の道を駆け上がると、少し広い道に出た。


 見回してみると、昨日見た崖の景色に似ている。朝日の中に浮かび上がる針葉樹林の姿が、昨日より少し近いところを見ると、おそらく下の沢に向かう道のどこかに出たのだろう。


 昨日より少し低い開けた景色を見渡す。


 朝の山並みには、ねぐらを飛び立った小鳥の声が囀り、白い光が黒い針葉樹林に降り注いでいる。


 静かな山の朝の光景だ。少なくとも、今どこかで血なまぐさいことが行われている気配は感じない。


 同じように山道を登ってきたレオスも、光が降り注ぐ朝の風景を慎重に見回している。


「奴らはいないみたいだな」


 口にしたのは、きっとオーレリアンが率いている王妃側の者のことだろう。


「ああ」


 だから、私は顔の熱を振り切ると、無理矢理頭を切り替えた。一度、朝の冷えた空気を吸い込みながら、騎士としての自分に思考を戻していく。


 そして、口に指を当てると、吸い込んだ息を思い切り大きく吐く。


 ぴいーっと鳴らした指笛の音が、連なる緑の山あいにこだました。隣では、レオスも同じように指笛を鳴らしている。


 お互いに鳴らしたのは、二度だけだが、高い音は朝の山にこだまして、かすかに跳ね返りながら遠くまで響いていく。


 ここが、昨日の位置からあまり離れていなければ、きっと聞こえているはず!


 国境の野山で、一緒に育ってきた愛馬のことを思い出しながら、はぐれた時にした合図を送って見回していると、すぐに遠くから蹄の音が聞こえてきた。やはり、それほど離れてはいなかったのだろう。


「リール!」


 嬉しそうに寄せてくる鼻面を抱えて、満面の笑みで撫でてやると、リールがぶるると汗のついたたてがみをふった。


「ごめんな。はぐれてしまって」


 ぶるんと答える鼻息は、心配していたという返事なのだろう。無事な私の姿に、嬉しそうに鼻面を押しつけてきている。


 そして、ぺろりと顔を舐められた。


 舌は、ちょっとざらざらするが、かまわない。だから片目を瞑って笑顔で振り返ると、どうやらレオスの方も無事馬と再会できたようだ。


 向こうは、こちらとは違って、ただひたすら首筋を顔にこすりつけられている。馬によって、愛情表現も様々だな。


「じゃあ、リール。早速で悪いけれど、お願いするね」


 軽く鼻を撫でると、ぶるると答えるリールの背中に飛び乗る。


 急がないと! 連中がマリエルを見つける前に!


 だから、昨日つけたままにしていたリールの手綱を握ると、急いでレオスの方を振り返った。


「行くぞ! 敵よりも先にマリエルを見つける!」


「ああ! 姫が夜の間どこかに隠れていれば、きっと間に合うはずだ!」

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