(4)えっ! その宣言はなに!?
急な斜面をレオスに抱えられたまま転がっていく。
痛い!
薄く開いた目から見えるのは、岩肌に生えている低木の葉や枯れかけた緑ばかりだ。
落ちている崖は直角というわけではないが、人が歩くにはかなりな急勾配だ。綱がなければ、とても体を支えながらこの崖を登ることはできないだろう。
背中に、転がっていく時に踏みつけた木の枝があたる感触がする。痛い。
斜面に生えている草が私が転がるのに合わせて千切れて、薄い金の髪に絡んでくる。
このままじゃあ、下まで落ちてしまうって!
くそっ、どうするんだよ!? 一緒に地獄まで心中コースか!?
お前、このまま私が女と知らずに心中して、周りから誤解されるなんて不名誉じゃないのかよ!?
思わず悪態をついて見上げてしまうが、レオスの瞳は、じっと落ちていく先を見つめている。そして、転がる先で、素早く右手で生えている低木の枝を掴み、方向を切り替えている。
少し間違えれば、地獄へ一直線だろう。
けれど、レオスの左手は生死をかけている今の瞬間さえ、寄り添った私の体をしっかりと抱きしめて、少しでも衝撃をなくそうというように、広い腕で包み込んでくれている。
折れていく草木と生々しい枯れ草と落ち葉の匂いの中で、どこか雨の夜を思わせるようなレオスの香りが抱えられた広い胸板から、私の吸う空気の中へと混じってきた。
一瞬驚いて目を開いてしまう。
レオスの香りだ。密着して抱えられているせいで、今までで一番レオスを近くに感じる。それに、お前が実はこんなにも胸板が広いなんて知らなかった。今、必死に私を守ってくれている腕が逞しいことも――。
女みたいだなんて嘘だ。
お前は、本当はこんなにも男らしい。今だって、落ちていく衝撃をできるだけ自分で受け止めながら、二人で助かる方法を必死に探し続けてくれているのに。
こっそりと自分からレオスの背に手を回した。そして、ぎゅっと抱きしめる。
――これは持っている剣で、間違ってもレオスを傷つけないように――だ。
だから、剣の切っ先がレオスの体に当たらないように背に添わせるふりをして、レオスの背中を強く抱きしめる。
一瞬、前のどの木を掴むかはかっていたレオスの瞳が、胸の中の私を見たような気がした。
「アンジィ……」
どこか驚きながらも、甘い響きを持った声が洩らされる。けれど、私の体は間断なく当たり続ける岩と草の衝撃で、だんだんと意識が遠のいていく。けれど、ずっと回り続ける視界の中で、最後の意識が切れるまでレオスの体を抱きしめ続けた。
遠くで、鳥の声が聞こえるような気がする。ほうほうと闇の中に響くように鳴いているのは、梟だろうか。
ゆっくりと意識が、暗闇の中から戻ってくる。なんだろう。ひどく暖かい気がするのだけれど……。
今は冬だから、戸外ならこんなに温かいはずがない。けれど今私の体を包んでいる温もりは、まるでよく暖められた部屋で毛布にくるまっているような心地よさだ。
いつも使っている枕よりは少し固いけれど、安心してよりかかれる。私は暖炉の横か何かで、うたたねをしてしまったのだったろうか。
今日は宿直ではなかったと思うけれど――。
騎士棟の詰め所にいるのだったっけと、ぼんやりとしながら目を開けると、私の体は広い胸に凭れていた。
「気がついたか」
頭上から聞こえてきた声に、まだ寝呆けた声で返す。
「レオス……?」
まだうまく定まらない焦点で見上げると、視線の先では藍色の瞳が肩に凭れていた私の顔を覗きこみながら笑っている。
いつも端整な美貌が、息がかかるほど近くで私に微笑みかけているのを見て、私の中で急速に意識の焦点が戻ってきた。
「な、レ、レオス……! お前、なに……!?」
どうしてこんな近くにいるんだ! って言うか、その綺麗な顔でずっと寝ている私の顔を見ていたのかと叫びたいが、声がうまく形になってくれない。
「よかった。なかなか目が覚めないから、頭でも打ったのだったら、どうしようかと思っていた」
けれど、私を見て微笑むレオスの顔は、本当に心から安堵しているようだ。
何がなんだかわからず、急いで周りを見回せば、どうやらここはさっきの崖の下のようだ。
私達の周りは平坦な土だが、少し先に行けば、水が流れているのか石ころだらけの川原に黒い筋がうねっているのが見える。焚き火の明かりに、僅かに、反射する波のようなものが見えるから、きっと山の中を流れている川なのだろう。見上げれば、いつの間にか空には星が出ていた。
首を巡らせた周りは真暗だ。黒々とした山並みが、闇よりも濃い色で私達の回りにどっしりと横たわっている。針葉樹にまとわりついているほのかな白い霧が、レオスが私を守るようにして頭の上からかけてくれていたコートの合間からしのびやかに入って来る。
もう間もなく冬なんだ。凍えるように冷える山の空気の中で、レオスが焚いてくれたのだろう。小さいが、明るい焚き火の炎だけが、心も温めるように、ぱちぱちと夜の空気を焼いていた。
漆黒の闇に閉ざされた山の中から、何かの動物の鳴き声が響いてくる。鹿か狐か。熊や狼でなければ、とりあえず危険なことはない。
山に広がる暗い闇を、レオスが二人の頭の上からかけてくれていたコートの中から見回す。そして今も私の肩を支えてくれているレオスを見上げ、すぐに前の焚き火を見つめた。
焚き火の向こうは真の暗闇だ。どこからかはわからないが、多分私達が落ちてきたのだろう山の方向を探して、呟くようにレオスに尋ねる。
「襲ってきた奴らは……?」
闇の中を走る馬の蹄の音は聞こえない。焚き火の明かりで、見つかることを警戒して訊いたのだったが、レオスは「ああ」と私が見つめている暗い山を眺める。
「崖下に落ちたから、きっともう死んだと思ったのだろう。探しに来るのは諦めたようだ」
それにと、つけ加える。
「奴らにしたら、俺達を片付けるのはおまけだ。本命のマリエル姫を探しに行ったのだろう」
レオスの言葉に、私は慌てて立ちあがろうとした。
「大変だ! 急いで探しに行かないと!」
「この闇では無理だ! 奴らだって、俺たちに手間取ったお蔭で、きっと姫に追いつく前に日が暮れてしまっただろう! 奴らだって、この闇の中では姫を探し出せはしない!」
言われた言葉に、やっと頭の中に冷静さが戻ってくる。
「そうか……。そうだな……」
そして、もう一度膝をぺたんとついた。山の土は冷たいが、ずっと座っていたせいか、下の草が少しだけ暖かくなっている気がする。
確かに、思い出してみれば、山道で襲われて転落するときに、もう陽はだいぶ翳っていた。特に、秋の終わりである今の日暮れは早い。
日が山際にかかったと思えば、井戸にかかる釣瓶のようにするすると山の下へ入っていくのだ。
だから――確かに、私たちが襲われてからの短時間で、敵がマリエルに追いつけたとは考えづらい。
それに、マリエルは国内のこともよく勉強していた。自分の命が狙われて怯えていたのなら、尚更、夜を過ごすのに、安全な隠れ場所も考えていただろう。
ふうと大きく溜息をつく。そして、くしゃりと額の金の髪をかきまぜた。
「すまない――気が逸った」
「いいや。君が無茶をしてくれなければいいんだ」
ふと目を落とすと謝った私に微笑むレオスの腕は、両方とも傷だらけだ。幾筋も皮膚が裂けて、赤い血が滲んでいる。きっと、崖から落ちたときに、ずっと私を守り続けてくれていたからだろう。
「その傷――」
「ああ、たいしたことはないから」
本当になんでもないように笑っているが、いくら擦り傷とはいえ、そんなに両腕中についていたら、かなり痛いだろうに。
それなのに、おくびにも痛いと感じさせない。
本当に、心の強いやつだなあ。
なんか、レオスが私を守って傷だらけになってくれたのだと思うと、泣きたくなってしまう。
ごめんな、私が不甲斐ないせいで。
けれど、私の表情をレオスは違うことと感じ取ったらしい。
「ああ、すまない。やっぱり冷たかったか?」
「え?」
不思議そうに首を傾げると、レオスは申し訳なさそうに目を伏せながら呟いている。
「実は落ちる途中にぬかるみがあったみたいで……君の上着が少し汚れてしまったんだ」
「え?」
「泥がついたままでは嫌かもと、上着は寝ている間に川の水で洗ったんだが、シャツにも少し染みができていて……。気持ち悪いかもと思って、絞った布で拭き取ったんだが、ちょっと濡らしすぎてしまったかもしれない。だけど、女性のシャツを脱がすわけにもいかないし、ほかに方法がなくて……」
「えっ!?」
何回目だ、この言葉と思うが、問題はそんなことじゃない!
「今、私のことをなんて――――!」
「女性だから、脱がせられないと言ったんだが。おかしなことだっただろうか?」
「いや、おかしいって! お前、私のこと男と思っているんじゃなかったの!?」
「はあ!?」
更にレオスの絶叫が響き渡った。
「だって、仲間の騎士云々とさっき言っていたし――」
「君の昨日の姿を見て気がつかないって、俺はどれだけ鈍感な男だ! 第一、それだと俺が男の君に告白したことになるじゃないか!?」
「えっ!? 違うのか!?」
ぷちんとレオスの表情で何かが切れた気配がした。
そして、ぐいっと私の左手を握られる。
「これ!」
転げ落ちた時に、ボタンが飛んでいたシャツの袖をぐいっと捲り上げられた。持ち上げられた私の袖の下からは、月の夜に刺客に襲われたレオスを助けた時についた傷が、赤いかさぶたとなって現れる。
「この傷を見て、なんで俺が君を気になって仕方がないのかわかった! あの月夜の女性も、この間使者が来た時に会ったマリエル姫も、どちらも正体は君だな!?」
「えーと……」
どうしよう。お怒り
だとしたら、騙していたことを今から怒られるのかな? ましてや、惚れたのが女だったとばれたらショックだろうか。あれ? でも、今の言い方では、そんな感じはしなかったけれど……。
「昨夜、君の姿とこの傷を見て確信した。どちらの女性も君だったんだな!?」
違うとは言わさないという迫力だな。
額から、つうっと冷たい汗が流れていく。
「こっちは散々悩んだんだぞ!? 好きになったのが同性なのか、それともマリエル姫なのかと! 姫なら、身分違いで確実に失恋だ!」
「え……でも、お前貴族の生まれだろう? 身分違いというほどじゃあ……」
というか、なぜ私が前者だった場合に、失恋項目は入っていないんだ。けれど、レオスの迫力は私にその疑問を尋ねさせない。
「当たり前だろう! 伯爵家の分家の次男に過ぎない身と、次期女王陛下とではあまりに身分が違いすぎる! 貴族世界では当たり前のことだ!」
悪かったよ。私は、貴族社会は雲の上でよく知らないんだ。
だから、レオスの怒りに、ひいいと叫びたい気分で必死に宥めようと言葉を継いだ。
「そ、それはすまなかった……」
頼む。これ以上怒らないでくれ。騙して嘘をついていたのは、素直に謝るからさ。
けれど、レオスは座ったまま憤然と両腕を組んで、私を見つめている。
「それで、君は俺のことをどう思っているんだ?」
え? 今、それを訊くの?
どうと言われても――はっきりと考えたことがないから、よくわからない。
「えっと……多分、仲間としては好きだと思うけれど……」
「仲間?」
けれど、レオスの藍色の瞳が、ぎんと私を見つめた。
「いや――個人としても――多分、好ましくは……」
けれど、私の答えにレオスは大きく片手を振っている。
「それじゃあ、足りない」
「え?」
「俺は、あの月夜に出会ってから四六時中君のことを考えていた。だから、君も同じくらい俺のことを好きになるべきだ」
「えっ!?」
なんてことを言い出すのだ。けれど、レオスの両手はがしっと私の肩を握っている。藍色の瞳が、触れ合いそうな距離で私を見つめた。
「だから、君は責任をとって、これから俺に熱烈に口説かれろ」
ぷっ。
思わず噴き出す音が、自分の口から聞こえた。
「お前って――強引」
くすくすと優しい笑みが唇からこぼれてくる。何故だろう。すごく自分勝手な言い分なのに、少しも気分が悪くない。
「そうだ。元から俺はそういう性格だ。欲しいもの、なりたい自分、全て諦めずに狙ってきた。だから、君は根負けして俺に恋をしろ」
「胸毛と脛毛だけは、残念ながら手に入らなかったけれどな」
すると、レオスはきょとんとした顔をした。
「君は手に入らなかったその二つと同列でいいのか?」
「さあね」
別に胸毛も脛毛も嫌いじゃない。
だけど、今は自分に恋させてみせると宣言しているこいつの言葉が、ひどく嬉しい。
「今はまだわからないけれど……お前に恋できたら、きっと楽しいと思うよ」
「そんな余裕をもった言葉がいつまで出せるか。明日からが楽しみだ」
どこまでも自信家なレオスの顔を見上げながら、私は二人だけでゆっくりと更けていく暗い山の中に、楽しい笑い声をこぼした。
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