(4)こんな時に! いや、こんな時だから!?
机の上に置かれていた便箋を急いで手に取り、穴が開きそうなほど見つめる。けれど、書かれている筆跡は間違いなくマリエルのものだ。
しかし、書かれている言葉が信じられなくて、何度も読み返してみたが、黒いインクの綴りに変化はなかった。
「マリエル――」
――大変だ!
急いで、紙を掴んだまま部屋を飛び出す。
そして、今走ってきた廊下を逆に駆け抜けた。
こんなことがあった後なのに、一人で飛び出すなんて――。
いや、ああ、そうだ! 優しいマリエルなら、手紙に書かれた通りに考えても仕方がなかった。
誰よりもエマや離宮の人たちに優しかったマリエルのことだ! 自分の代わりに、周りが次々と襲われれば、自分で止めないとと考えるのも無理はない!
だけど――と、バタンとさっき飛び出してきた侍女の控え室に駆け込んだ。
中には、さっきと同じように、まだ医師とシリルが立っている。違うとすれば、医師の
「シリル長官!」
突然戻ってきた私に、シリルが紫の目を開いている。
「どうしました? アンジィ?」
けれど、私は急いでシリルの服の胸倉を掴むと、そのまま誰もいない隣のマリエルの部屋に引き出した。
不思議そうに医師が振り返っているが、誰が味方かわからないこの状況では、マリエルの失踪を聞かせるわけにはいかない。
だから、強引にシリルを隣の部屋に連れ出すと、上着を引っ張って前かがみにさせた。そして、耳打ちをするようにして告げる。
「マリエルが、自分でギルドリッシュ陛下のところへ行くと置き手紙を残していた……!」
「なっ……!」
声をできるだけ抑えたが、さすがにマリエルのこととなれば、聞き漏らさなかったようだ。急いで扉から出て駆け寄ってきたロゼも、私の横で驚いたように息を飲んでいる。
「そんな……、まさか……」
けれど、私が無言で差し出した手紙を見た瞬間、シリルの顔がみるみる青く変わった。
「馬鹿な――お一人でなんて……!」
どこに間者や刺客が潜んでいるかもわからない。命を狙われている状態なのに、一人で飛び出していくなんて、あまりにも無謀すぎる。
――だけど……!
「マリエルだから飛び出したんだ! これ以上自分以外の誰も傷つけたくなかったから……!」
あんなに怖がっていたのに。それなのに、自分の命が危険に晒されても、周りの命を守ることを選んだ!
誰にも告げず、供の一人さえ連れなかったのがマリエルの気持ちの証拠だ!
――これで女王に相応しくないだって?
ふざけるな! 思わず、握った手が震えてくるほどの怒りを感じる。
自分の身を捨てて、周囲の人を守れる人間のどこが、王としての器に相応しくないと言うんだ!
だから、私は心を決めるとシリルを見つめた。
「今すぐ、マリエルを追いかける!」
「アンジィ!」
「誰がなんと言おうと、マリエルは私の女王陛下だ! 私は、騎士として、臣下としてマリエルを守る!」
じっと、シリルのいつもより青い顔を見つめた。
「わかりました」
私の決意に、シリルが深く頷く。
「今すぐ、騎士隊にも連絡して、極秘で姫の捜索を行ってもらいましょう。敵に悟られる前に――」
シリルの言葉に頷き返すと、私は急いで廊下に出た。
そして離宮の中央にある階段に急ぐと、白い石段を下りて、
けれど、階段を途中まで降りたところで、足を止めた。
「なっ……!」
踊り場で手すりから階段の下を覗き込めば、離宮の大理石の玄関に、先日見た長い銀髪の姿がいるではないか。
――オーレリアン!
あいつ! こんなタイミングで何をしにきた!?
けれど、下では問答をしている声が聞こえる。相手をしているのは、メイドの一人だろう。
「お待ちくださいませ! 今、シリル長官にお取次ぎをいたしますので……」
「長官は結構。それより、マリエル姫にお目通りを願いたい」
「なっ……」
冷静に返されるオーレリアンの声に、思わず息を飲んだ。
――あいつ! なんで、今!?
まるで、マリエルの不在を見計らったかのようだ。
けれど、下を覗きこんだ私の横を、メイドの声を聞きつけたシリルが急いで下りていく。
「何の騒ぎです」
「あ、シリル長官――」
王妃の使者の相手をしていたメイドが、明らかにほっとした顔をした。
自分では格上の王妃の使者を止めるのが難しいと感じていたのだろう。白大理石の床にこつこつと靴音を響かせるシリルの顔を見ると、安心した様子で軽く膝を折っている。
「あの――今、突然先日の王妃様の使者がまいられまして……。マリエル姫様にお目通りを願いたいと」
「姫は今別な来客のために、おいでになることができません。用事なら承っておきますが」
「ほう――」
翡翠色のオーレリアンの瞳が、前に立つシリルに対して細められた。
「シリル長官の姫猫かわいがりは聞いていますけれどね。本当に来客ですか? 実は目の中に入れても痛くないほどの姫に突然家出されたから、私に会わせられないとかでは――」
――あいつ、気がついている!
ぐっと踊り場から手すりを握り締めた。
きっと、離宮に忍び込ませていた間者か見張らせていた者から、マリエルが離宮を出たらしいことを聞いたのだろう。いや、マリエルに毒が効いたか、それ自体を見張っていたのかもしれない! だから、届けられた情報の真偽を確かめる為に、わざわざマリエルに会いに来たんだ!
どうする――。今、ここでマリエルが一人で行方不明になっていることを悟られるわけにはいかない!
けれど、オーレリアンにじっと見つめられたままのシリルは、ふっと鼻で笑った。
「人聞きの悪い。私を、貴方と同じ変人の枠に入れないでください」
「ちょっと待て。私のどこが変人だ?」
「おや、ご存知ないのですか? 年増好みの人妻好み。宮廷の婦女子にそれさえなければと、陰で溜息をつかれている第一位ですのに」
「年増で人妻とは王妃様のことか!? もしそうなら、貴様でも万死に値する!」
「おや、年増とは王妃様のことだったんですね? なるほど、オーレリアン殿の好みは王妃様のことでしたかー」
しかし、怒っているオーレリアンの前でも、シリルはしれっとしている。
「生憎私にはそんな好みはないですからね。老け専ではないので、気がつかず申し訳ありませんでした」
ぐっとオーレリアンが拳を握りこんだ。
「私が年増好みなら、貴殿は幼女好みだろうが」
あ、老け専よりわざとダメージの少ない言い方を選んだ。
けれど、シリルは面白そうに鼻先で笑っている。
「幼女などと――生ぬるい。私はマリエル姫一筋です。生まれたての赤子のお姿でお会いした瞬間から、今に至るまで脳内の画像は全て姫の成長記録! この輝かしいお姿を全国民に広げ崇め奉らせるのが、私の生きた証し、人生の使命なのです!」
どうしよう。味方のはずが、一瞬で他人のふりをしたくなった。
けれど、仲間さえも脱力させるシリルの言動に、先に我を取り戻したのはオーレリアンのほうだった。
「ほう――だったら、私もマリエル姫の姿を崇め奉らなければな」
まずい!
はっと顔をあげた。
「何を驚いた顔をされている。今、シリル長官ご自身が口にされただろう。姫のお姿を崇め奉らせるのが使命と。ならば、私がマリエル姫のご尊顔を拝するのに、何の不都合があるだろうか」
しまった! 言い逃れする術を失ってしまった。
今から、私が急いで着替えても、とても化粧をしている暇はない。この間大急ぎで用意してくれた時には、ロゼとエマの二人がかりで、それでも十五分以上はかかった。
ましてや、今いるのはロゼ一人だ。とても、今からでは間に合わない。
どうする!?
身代わりをするための時間もない!
「ですから――姫は、これから別の方とご面会のご予定だと――」
「ほんの少しだけでかまわないのです。もちろん、姫がここにおられるのならばの話ですが」
くすりとオーレリアンが、シリルの硬い表情に笑った。
「それとも会わせられないわけでもあるので? もし、姫が行方不明で会わせられない――という理由でしたら、シリル長官は姫の後見人失格ですね。姫の監督不履行の責任をとって、後見人の座を降りていただくことになると思いますが」
あいつ、これが狙いだったんだ!
マリエルが離宮を出たことを知って、強力な後見人で、マリエル派の貴族とも繋がりのあるシリルを更迭すること――!
そんなことはさせられるか!
だから、私は急いで白石の階段を駆け上がった。
確かに今から化粧をしている暇はない!
だけど、なんとかしないと!
オーレリアンの疑惑の目をそらすために、私は全力で階段を上った。
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