(5)これでどうだ!?


 あいつ! オーレリアン! 老け好みなら、おとなしく王妃様の側で、年を経ても衰えない美貌を愛でていたら良いのに!


 階段を駆け上がりながら、脳内で思い出したオーレリアンの薄い笑みに毒づく。


 そして階段から廊下を走り抜けると、急いでさっき出てきたマリエルの部屋に向かった。


 年増好みに見られているのに、親子ほど年の違うマリエルを苛めて楽しんでいるなんて、本当は幼女嗜虐趣味なんじゃないか?


 だとしたら、生粋の変態だ!


 心の中で、盛大に罵りながらさっき出てきたマリエルの部屋の扉をばたんと開ける。すると、中にいたロゼが驚いた顔をした。


「ロゼ!」


 胸の前で両手を組みながら驚いている姿に、急いで声をかける。


「アンジィリーナ様!?」


「すぐにさっきのたらいの水を持ってきて! それと、前に私の採寸で使った白いドレスを!」


「は、はい!」


 叫ぶと隣の侍女の控え室から、ロゼがさっき医師用に取り替えたばかりの盥の水を持って来た。


 どうやらまだ使っていなかったようだ。


 だから、急いで髪を束ねていた赤い紐を解くと、そのままざぶっと金の髪を盥につけた。汲んだばかりの水だったのだろう。晩秋には、かなり冷たいが、額から滴るまでたっぷりと金の髪を濡らす。


「アンジィリーナ様!?」


 横で、ロゼが驚いた顔をしているが、盥から顔をあげると、すぐに青い騎士服を脱いだ。そして下に着ている白いシャツも脱ぐと、急いでロゼが差し出した白いドレスを受け取り、上半身に身につける。


 もちろん、ズボンは穿いたままだ。


 更に、化粧をする時の白いケープを首周りに巻いて、急いで窓の側に椅子を置く。


 音をさせながら窓辺に引きずってきた机には、大きめの鏡と、櫛とが置いてある。


 そして、窓を大きく開けた。


 ええい。騙されてくれよ?


 窓辺の椅子に座ると、鏡を前に置く。そして、歌を歌いながら、ゆっくりと櫛で髪を梳きだした。まるで、鏡に映る自分の美貌に酔っているかのように。


 梳くのに合わせ、窓から入る風の中に散っていく長い髪は、マリエルと同じ薄い金髪だ。私の髪はほとんど真っ直ぐで、マリエルみたいに巻き毛ではないが、濡らしてくしけずっていれば、髪を洗ったせいで巻いているのが伸びて見えるのだと勘違いするだろう。


 そして、オーレリアンはこの間会った私の声を、マリエルの声と覚えているはず――。


 これは賭けだ。


 この白いドレスならば、貴人の化粧着に見えないこともない。実際は、コルセットで整えなければならないドレスに着替える暇がなかったので、一番早く着られる衣装を選んだだけの話なのだが。頼むからこれで騙されてくれよ?


 下からは、私の歌声に気がついて玄関を出たオーレリアンが、じっと窓辺を見上げている。


 だからゆっくりと歌った。歌に合わせて、長い金の髪をゆるやかに梳る。秋の風の中に、軽やかに持ち上げるように。櫛から一すじ、二すじと落ちていく様を楽しんでいるかのように。


 ――正直、これで同じだと思わなかったら、お前も動体視力の化け物認定してやるからな?


 もし胸の大きさが違うなんて気がついたら、確実に変態扱いしてやる!


 そして、殴りつけるリスト第二号に入れてやる!


 けれど、下から見あげていたオーレリアンは、しばらくじっと私の姿に視線を止めてから、一緒に玄関を出てきていたシリルの方を振り返った。


「あれは――」


「ああ、来客のために、姫が化粧をされているのですね。慣れない歌なので、少し調子が変ですが」


 ――シリル! お前、誤魔化す気があるのか!?


 どうあっても、マリエル以外だと辛辣な奴!


 けれど、シリルの説明でオーレリアンは納得したらしい。


「確かに――」


 訝しげではあるが、頷いている。


「どうやら、そのようですね。女性の着替え中に失礼しました。今日はこれでお引き取りいたしましょう」


 助かった!


 だから、階下で離宮の城門へと引き上げていく姿を見ながら、私は急いで櫛を置いた。


 そして、ケープを取って立ち上がる。


 ぐすぐすしている暇はない。


「ロゼ! すぐに、私の騎士服を!」


 窓を閉めて、渡されたシャツと上着に急いで着替える。


 オーレリアンの奴が、もし、まだマリエルの不在を疑っていたら、きっとすぐに探し始めるだろう。今は切り抜けられたとはいえ、心の中ではまだ疑っているのに違いない。


 だから、上着を着ながら急いでマリエルの部屋を飛び出した。


「アンジィリーナ様、おぐしが!」


 ロゼが叫んでいるが、乾かしている暇はない。確かにまだ濡れてはいるが、さっき窓辺で風を浴びながら、丁寧に梳ったお蔭で、滴が垂れてくるほどではなくなっている。


 だから、騎士服のボタンを留めると、上着と一緒に受け取っていた紐で、髪を後ろに束ねた。


 これで、いつも通りの姿だ。


 ――早く、マリエルを探しに行かなければ!


 きっとオーレリアンの奴は、まだ疑っているだろう。そして、私達より先に、一人でいるマリエルを見つけたら、今度こそ亡き者にしてしまうのに違いない。


 だから、白い石の階段を一段飛ばしで駆け下りた。


 スピードが出すぎていて、踊り場で曲がるのに勢いが余ってしまうが、手すりに手をついて、無理矢理方向転換をする。


 そして、うまやに向かおうとするが、まだ玄関にいたシリルに後ろから声をかけられた。


「アンジィ! 探しに行くのなら、誰かと一緒に行きなさい! 敵を侮って、助けが遅れては全ての意味がありません!」


「わかっている!」


 いくら私だって、シリルが信頼しているほどの男が闇討ちでやられた相手に、無条件で勝てるとは思っていない。


 ましてや、マリエルの命がかかっている状態なら尚更、確実な戦力が必要になる!


 だから、私は足をそのまま騎士棟の近くにあるうまやへと向けた。


 時間からそろそろだろうと見込んだのだが、思ったとおりだ。


 質素な木を組み合わせて作られた厩からは、干し草の香りと共に馬のいななきが聞こえてくる。馬の手綱を引きながら、厩舎の入り口につけられた小さな扉を押しているところを見ると、きっと今、外の見回りから帰ってきたばかりなのだろう。


「レオス!」


 だから、私は走っている勢いのまま、見つけた姿に声を張り上げた。


 突然かけた私の声に、レオスが不思議そうに、馬の手綱を引いたまま振り返っている。


「アンジィ……」


 私を見つめた端整な面立ちに、一瞬昨夜のことが頭に甦った。だから、駆け寄りながら叫ぶ。


「レオス! お前、今すぐ私に殴られるか、土下座するか、そうでなければ私に付き合え!」


「は!? 何のことだ!?」


 けれど、なんのことかさっぱりわからない顔をしている。予想通りだが、レオスの反応が更に私の怒りに火をつけた。


「お前は男として、決してしてはいけないことをした。だから、素直に私に怒られるか、それとも私の願いをきけ」


「そ、そこまで、俺のしたことは、ひどかったか……?」


「ああ。人の尊厳を踏みにじった大罪だ」


 むしろ今のレオスの言葉で、まだ気がついていないのかと更に怒りがこみあげて来る。だから、焔を背後から揺らめかせる気魄で告げると、レオスの背が明らかに怯んだ。


「そんなに……?」


「ああ――!」


 くそっ! やはり今殴りつけてやろうか?


「で、でも、君の言うことをきくっていったい……?」


 レオスの困ったような言葉で、ようやく頭に冷静さが戻ってくる。だから端的に告げた。


「マリエル姫が行方不明になった」


「え!?」


 レオスの表情がはっきりと驚いたものに変わった。藍色の瞳を大きく見開いて、信じられないことを聞いたように私の方を凝視している。


 顔色を変えたレオスの様子に、胸がずきっと痛んだ。


 やはり――女性ならば、マリエルが一番気にかかるのだろうか? あの月夜のマリエルは、本当は私なのに?


 けれど、今はそれどころではない。


 だから胸の奥で騒ぐ感情を振り払うように、急いでレオスの横を通り抜けた。そして、厩舎に入ると、古い壁にかけられていたくつわを取る。


「自分から離宮を出られたんだ。王妃様側に見つかる前に、急いで探しに行く! だから、お前も来い!」


「わかった!」


 轡を故郷から連れて来た愛馬のリールにつけながら叫んだ私の言葉に、レオスが背後で強く頷いた。

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