第2話 日常
「はっはは、いつも通りのあいつじゃないか」
朝の出来事をバイト先の上司であり、レインの友人であるガイルに話す。
ガイルは俺の話を聞くなり、目の前で腹を抱えて笑う。
「笑っているけどあのヴィルス討伐だろ? 今までいい話なんて聞いたこと無いけどな」
遥か視線の先、ヴァリエルの中心にある高い壁を見る。
ヴァリエルの人間ならば誰もが一度は見た事あるだろうその壁は、ヴァリエルの人間が生活している新地区とかつてヴァリエルの人間が暮らしていた旧地区を隔てるものであった。
現在、俺たちが暮らす新地区はこの旧地区を囲むようにできている。
あの壁一枚向こう側に地獄はある、それはヴァリエルの人間なら一度は聞いたことのある決まり文句だ。
——悪戯をすればあそこに投げ捨てるぞ。
ヴァリエルの大人たちが行う躾の常套句。
ただこの話は脅しとしての力を持つと同時に、子ども達に憧れを抱かせていた。ヴィルスを倒した英雄になる、それがヴァリエルで育った人間の多くが持つ認識であり、憧れだ。
俺自身、ヴィルス討伐というものに憧れを抱いているが、現実というものも理解している。そこでふと気づく。いつもならこれ関連の話題にすぐ反応する人物がいない事を。
「そう言えばバレルはどうしたんだ? 今日は一緒にシフトいれていた筈なんだけど」
「あぁ、そうだそうだ。……それにしてもお前も知らないのか、俺が聞こうと思っていたんだがな。昨日、いや四日前のバイトも来てないんだ」
「あいつ、何しているんだよ……」
「まぁもし会う事があったら伝えていてくれ。かんかんに怒っているとな」
ガイルは椅子に座り、新聞に手を伸ばす。
「それにしてもあいつがヴィルス討伐に参加するとはぁ」
「どうかしたのか?」
「いやな。よく愚痴を言っていたからな。政府の奴らは行かないというのに何度も赤紙を寄こしてくるんだって」
「って事は今回が初めてという訳では無いのか……」
「それは当たり前だろ。仮にも『剣聖』の称号を持ってるんだ。そういった武力行使の際はまずあいつが呼ばれるはずだ」
「それもそうなんだけどな」
再び壁を、その先を見る。
分け隔てなければならない壁の向こう側。
そこがどのようなものかは知らない。
ただ、そこに行けば命の保証が無いことは知っている。
そんな場所に育ての親であり、師である人物がいけば不安にもなる。
例え、その人物が『剣聖』と呼ばれていたとしても。
「まぁ、その称号を持つ人間だ。俺たちに出来る事と言えば信じて待つという事だけだろうな」
「ま、まぁ確かにそれもそうだな」
「心配をするな。あいつは何だかんだお前の年齢の時に世界中を旅していた男だ。ヴィルス討伐程度の死線なんぞいくらでもあっただろうよ」
ガイルはそう言って豪快に笑う。
「ただなぁ……」
「心配なのか?」
「……そりゃあな。仮にも育ての親だぞ、心配くらいはするさ。それに最近は昼頃まで自分の部屋から出ない生活してるからなぁ。剣なんて振ってる姿、本当に見てないし」
「そうは言ってもみえないところで努力をする奴だよ。ああいう人間は大体そうだ」
「そういうもんか。……というかおっさんはお呼ばれしてないのか? ヴィルスの片腕を持ち帰って来たんだろ?」
それは今でも語り継がれる伝説ともいえる偉業であった。
ガイルはその功績を称えられ、ヴァリエルの政府——国民委員会から直々に表彰されていた
「……あぁ、まぁ、そうだな。でもそれはもう二十年くらい前の話だ、俺はもう歳だよ。それにあんな場所には二度と行きたくはないな」
昔を思い出したのか、ガイルはどこか遠くを見ていた。
「何か思い出したか?」
「? あぁ、そうだな。いや、でも本当に昔の話だ。随分前というのに、これだけはっきりと覚えている事もあるもんだなと思っていただけだ」
「あぁ、そういう事か。というよりガイルのおっさんでもそう思うようなことがあるんだな」
「それはどういう意味だ?」
「いやさ、俺の知り合いの中でも、随一って言えるぐらい強いからさ。そんな強さを持っていてもヴィルス討伐がきついって事に衝撃を隠せないっていうね」
「そう言ってもらって嬉しいが、レインの方が遥かに強いぞ」
「レインが、か?」
「何だ、疑っているのか?」
「いや、強いのは分かってるよ。称号、『剣聖』の称号を持ってるしさ。それでも、ガイルのおっさんの方が業績持ってるだろ?」
「業績だけを見ればそうかもしれん。が、実際あいつと何度も試合をしたことはあるが一度も勝ったことは無いぞ」
「いやいやいや、そこまでなのか?」
「あぁ、そうだぞ。あいつはどこか遠い人間だ、そう思えるものだったよ」
「はぁ……」
納得は出来ない。
昔はともかく最近は観葉植物に水をやるのが趣味みたいなおっさんになっている。
どうしてもその強さを実感しにくくなっている。
「あいつの実力が分からない間はまだまだ未熟って事だ」
勝ち誇ったようにガイルが笑う。
それに対し、少しイラっとする。
「未熟? 言っておくけど俺、同年代の間では一番上だっていう自負がある」
「どういうことだ?」
「優勝経験数がけた違いなんだよ」
「何だ、その程度か……」
ガイルが鼻で笑う。
「そっ、その程度っていうのはどういうことだよ?」
ヴァリエルはヴィルス討伐が国家目標の一つという事もあり、武芸を極めるという事が国民性の一つであった。そのヴァリエルで行われる大会は、他の国家からも腕に自信がある人間が集まるという極めてハイレベルの大会が開催される。
そういう背景もあり、ヴァリエルで行われる大会に優勝することは並大抵ではない。
「所詮、ここで行われる大会を優勝しただけだ、って事だ。井の中の蛙大海を知らず——聞いたことくらいあるだろ?」
「確かにな。それでも、ここいで油売ってるような人間には負けねえよ」
「ほぉ、それならその腰に飾っているもので俺から一本でも取れば、晩飯くらいは奢ってやる」
ガイルは明らかな挑発をする。
それに対し、鼻で笑う。
「いや、いいさ。武器を持ってない人間に模造刀とはいえ斬りかかるのは恥だ」
「やっぱ女顔になると心までもが女々しくなるのか?」
ガイルが俺のコンプレックスを刺激する。
しかし、依然涼しい顔を浮かべる。
「そんな見え見えの挑発に乗るわけないだろ? 休憩貰うぞ」
奥の部屋に向かって足を進める。と見せかけ、ガイルの背後、死角に移動する。
「なーんてな、晩飯は貰ったぞっ!!! というか人のコンプレックスを抉るんじゃねえよ、このハゲがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
末代までの恥など知った事ではない。
人間、動き出さなければならない時がある。
それは、自分の尊厳が傷つけられた時だ。
俺にとって、今がまさにその時であった。
腰の模造刀を抜き、上段に構え、ガイルの頭頂部に一撃を叩き込む。
叩き込む、ハズであった。
「はっ?」
俺の口から素っ頓狂な声が出ていた。
放った刃はガイルの親指と中指に挟まれて防がれていた。それもガイルは俺の方を一切見ていない。
つまり、剣筋見ずに刀を指で受け止めたことになる。
「あのな、ユウト。せめて人を攻撃するときは殺気を隠せ。それだと攻撃する気満々だとバレバレだぞ」
「そ、そういう問題じゃねえだろっ! 普通の人間はそもそもあんな攻撃を見ずに指二本で受け止められるわけねえんだよ」
「そんな興奮されても知らん。ったく、今回は俺がけしかけた部分もあるから何も言わんが、今後こんな事してみろ。しばらくバイト代は無いからな。そうだ、奥の休憩室行くならついでにお茶でも入れてきてくれ」
それだけ言うとガイルは太ももの上に置いた新聞を再び開く。
それを見てただ、呆然とする。
「お、おう」
少し遅れた反応をし、奥の休憩室に向かう。
******
「まさかあいつがヴィルス討伐に行くとはななぁ」
ガイルは新聞に目を通していたが、その内容は全く入っていなかった。
頭の片隅にあるのは、朝早く、店を開ける前に来たレインの事であった。
ガイルは自分のポケットの中にある日記帳に触れる。
(これは何なんだろうな)
レインが手渡した日記帳。
曰く、遺書代わりのようなものを触りつつ、旧友に想いを馳せる。
苦い記憶。
ガイルは遠くの壁に目をやり、大きく息を吐いた。
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