剣聖の弟子、神話にて
粒燕
第1話 プロローグ
******
白い靄が視界を、心を支配する。
全てが曖昧で、何かが欠けていた。
誰かが必死に誰かを呼ぶ。
怒っているのだろうか、それとも泣いているのだろうか。
そんな事は分からない。ただ、悲しい声をしていた事をしている事は理解した。
遠くから大きな声が止むことなく続く。
それでも、どういう事か意識が薄れていく。どうやら限界らしい。
「後少し……」
そんな後悔が頭によぎった。それでも自分の行いは間違いでは無かったと、ようやく何かを救うことが出来たと、満足している自分がいた。
******
扉の向こうから聞こえる大きな音で目を覚ます。
「こんな時間から……珍しいな」
窓から差し込む光加減からまだ朝の6時前くらいか、と推測を建てる。
こんな時間に同居人が起きているのは珍しい。
最近、特にここ2、3年は用事がなければ朝10時になっても部屋から出てこず、昼頃にようやく部屋の扉が開くといった具合に怠惰な生活を送っていた。
物珍しさに心惹かれ、ベッドから降り、部屋の扉を開ける。
リビングでは着替えをしながらせっせと外出の準備をしている育ての親、レインの姿があった。
「おっ、起きたか」
レインは俺と一瞬目を合わせ、挨拶を済ませるとすぐに準備の方へと目を向ける。
随分と急いでいるらしい。
「どうしたんだよ、こんな朝早くから」
「実は赤紙が来てしまってな。もうこれが来てしまったという事は仕方がない、と言う事でしばらくは帰らないぞ」
「赤紙? 赤紙ってまさか、あの赤紙か!」
「そうだが? それがどうかしたのか?」
赤紙。
それはこの都市国家——ヴァリエルの政府から送られるもので、それを受け取った者は政府が管轄している立入禁止地区にいるヴィルスという化物を討伐する部隊に編成される事になっている。立入禁止地区は高い壁に囲まれ、その中にヴィルスを閉じ込めているように見えるところから、『檻』と呼ばれるのが一般的であった。
そして、檻に向かう事を知らせる赤紙は、ここに住む人間にとって死刑宣告に似たものと言っても過言では無いだろう。十年程前、政府が大規模な作戦、『大清掃』を実施した際、約八割の人間が死亡、もしくは健常な生活を送ることが出来ない程度の障害を負ったとされている。
死刑宣告と同義の紙。その一方で、それを貰えることはこの国の最大の名誉だ。
「まぁ、そういうわけだ」
それだけの栄誉を得た事、そして危険があるにもかかわらずレインはいつも通りの飄々とした様子でそそくさと出て行こうとする。その行動からは躊躇いなどの感情は一切見えない。
「ちょっと待てって、いきなりすぎるだろっ!」
レインの背中に叫ぶ。赤紙の話、同じ屋根の下で暮らす俺にとって突然の話だ。
「そんな事を言われてもなぁ。
別にお前に言っても言わなくても行かなければならんからなぁ」
「それは確かにそうだけど……。
というより、それでも一言くらい言って欲しかったよ」
「一言ってなぁ……。まさか、まさかお前、俺の事を心配してくれてるのか?」
ニタニタと、レインは気味の悪い笑顔を浮かべる。
「そっ、それは、それは当たり前だろ? ヴィルス討伐に行った人間で無事に帰って来た奴の話なんてほとんど聞かねえし」
「それは確かにそうかもしれん。が、俺は仮にも国民委員会から直々に『剣聖』の称号を賜った人間だ。どんな危険なことがあろうとそれから逃げるわけにはいかん」
レインは強い眼差しをこちらに向ける。
「まぁ……、気をつけろよ」
「当たり前だ。誰がお前に生きていく術を教えたと思っているんだ? 心配するな、何とかなるさ」
レインはいつもの口癖で言葉を締め、広い背中を見せつけるようにして家を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます