2-2 来訪者

 次の日の朝、バルは起きると、寝室の雨戸を開ける。

 そして家の外に置いている水がめに溜めた水を使って、顔を洗った。

 清潔なタオルで顔を拭ふいてさっぱりした気持ちになり、家の中に戻ったタイミングでミーナが転移でやって来る。


「おはようございます、バル様。よろしければ朝食はいかがでしょうか?」


「ありがとう。一緒に食べようか」


 彼らは昨夜と同じ部屋で彼女が持ってきた朝食を摂った。

 今日のメニューはサンドイッチで柔らかいタマゴを挟んだタマゴサンドと、分厚いベーコンを挟んだベーコンサンドである。


「うん。どちらも美味いな」


 ミーナはしっかりとバルの好みを研究している。その成果が味に表れていて、彼はとても満足した。


「ありがとうございます」


 ミーナは頬を赤く染めて礼を述べる。


 自分の手で作ったものをバルに褒められるのは、彼女にとっては非常に重要だった。


 のんびりと朝食を平らげてお茶を楽しんでいると、やがて時間が迫って来る。


「それではバル様、参りましょう」


「そうだな」


 バルはシャツの上に黒いマントを羽織り、黒いフードと白い仮面を被った。

 魔術の名手ミーナは転移魔術も気軽に使いこなす。

 おかげでバルも一瞬で二等エリアから皇宮まで、近隣の住民に気づかれることなく移動した。

 彼らがやってきたのは帝国の支配者たる皇帝とその家族たちが住み、国の中枢機構が存在する皇宮である。

 ここの中央宮に朝廷があり、バルたちが参加する会議が開かれる部屋もあった。

 ミーナが転移先として選んだのはその会議室の目の前である。

 赤と金色の豪華な扉の前には鎧を着て剣をいた近衛騎士が四名、左右に二名ずつ立って見張りをしていた。

 彼らはバルたちを見ると直立不動の姿勢を取り、高らかに声をあげた。


「バルトロメウス様、ヴィルへミーナ様、ご到着!」


「私は最後の方だったか。みんな早いな」


 バルが言うと、影のひとつが答える。


「転移魔術を使えないのはお前くらいだからな」


 その影は銀色の髪を持ち、銀色のひげをたくわえた四十代の男だ。

 彼の言う通り、バルを除くこの場にいる七名は全員が転移魔術を使うことができる。


「相変わらず二等エリアで庶民ごっこをやっているのか?」


 馬鹿にはしていないものの、不思議そうな態度は隠そうとしていない発言をしたのは三十歳くらいの短い紫髪の男だった。


「我々が守るべき民に触れ合い続ける、実にすばらしき姿勢だろう?」


 とバルのことを擁護するように言ったのはミーナである。

 バルに接していた時とは違い、高慢で冷徹な表情と声だ。

 彼女の眼差しと言葉で、場の空気が急激に冷えていく。


「同感だな」


 それを打ち破ったのは、彼女の言葉に賛成する声だった。

 部屋の入り口でそれを発したのは五十代の赤い髪を持った男性であり、彼はこの国の最高権力を持っている。


「皇帝陛下」


 今まで席に座っていた六名が一斉に立ち上がった。

 そしてミーナ以外の七名が右手を己の左胸に当て、頭を下げる「拝礼」を行う。

「敬礼」よりも一段落ちるこの礼は、本来皇帝にはやってはいけないタイプだが、ここに揃う八名は特別に許されている。

 ミーナだけは小さく頷くだけで簡単な礼すらしなかったが、誰も咎めたりはしなかった。

 皇帝が上座に座り、彼を囲むように八名が一斉に座る。


「我が帝国が誇る八神輝レーヴァテインよ、よく集まってくれた」


 皇帝はまず彼らに対して礼を言う。


 八神輝レーヴァテインと呼ばれた彼ら八名こそ、帝国が誇る最大戦力であり、バルが持っているように色々な特権を有している。


「今日の話題は最近、いくつかの地で活発になり始めている魔物どもについてだ」


「……この集まりで出るほどひどいということなのですか?」


 銀色の髪とひげを持つ四十代の端正な顔立ちの男が聞いた。

 皇帝はゆっくりと首を横に振る。


「いや、そうではない。だが、将来的にそうなる可能性もあるかもしれぬ。そういうことだよ、クロード」


 この言葉を聞いたミーナ以外の七名はピクリと肩を震わす。

 帝国の最大戦力に情報が提供されるということは、それだけ皇帝が事態を憂慮しているということだ。

 帝国の軍事力は大きく分ければ領主の私兵か、皇室の所属かになる。

 皇帝の指揮下に属するのは近衛騎士、帝国騎士、宮廷魔術兵団に八神輝レーヴァテインといくつもあった。


「事態を甘く見ていたがゆえに、被害が大きくなったという愚ぐは避けたい。だから今のうちにそなたらに動いてもらいたい。クロード」


 銀髪の男、クロードはゆっくりと頷うなずく。


「いきなり最大戦力の投入というわけですか。我が国の伝統ですな」


 彼ら八神輝レーヴァテインは帝国が大陸最強の国家と言われている大きな理由のひとつである。

 その彼らを動かすのだから、それなりの意味があるというものだが、一方で帝国は比較的安易に大戦力を投入する傾向が以前よりあった。


たいざんめいどうして鼠一匹にならなければいいのだが」


 その姿勢を皮肉るようなことを言ったのはミーナである。

 言うまでもなく皇帝に対して無礼な態度だった。


「もちろん、としてはその方がよい。余が臆病者だと笑われて終わるだけの方がな」


 彼女に対して怒りを見せたクロードを手で制する。

 彼女はバルとは違う意味で特別だからだ。

 皇帝は落ち着いて答える。


「我々なら、他の奴らが見逃すことでも気づけるでしょう。我々が動くというのは賛成ですね」


 と紫髪の男が賛成を示す。


「そうか、マヌエルも賛成してくれるか」


 皇帝は嬉うれしそうに言う。


 場の空気が賛成に傾きかけたところで、彼はバルにたずねた。


「バルトロメウスよ、そなたはどう思うか?」


「賛成です、陛下。災いの芽はできるだけ早く摘つむべきだと考えます」


 バルは迷うことなく答える。

 彼が賛成したことで、皇帝は少しだけ安心した。


「ヴィルへミーナもよいか?」


「ええ。賛成します」


 ミーナは短く答えた。

 なぜ皇帝はバルに先に問いかけたのか、彼女を含めてこの場の全員が承知している。

 つまり、彼女はバルが賛成したことに反対しないのだ。


「しかし陛下、全員で動くのですか? 帝都がからになるのはまずいと思いますが」


 というクロードの質問に皇帝はじゅうめんになった。


「確かにそうだな。まだあやふやな段階でもある。他に何か情報はないか?」


「根拠になるか分からないものならあります」


 右手を挙げてバルがそう発言すると、皇帝はもちろん他の面子も興味を持った顔になる。


「と言うと?」


 皇帝に促うながされて彼は続きを言った。


「アウズンブラの雌の成体を一頭、帝都の近くのエルベ川で見かけたのです」


「アウズンブラを?」


 彼とミーナ以外の顔に怪訝そうな色が浮かぶ。


「アウズンブラはもっと西の地域に生息しているはずだぜ」


 と言ったのは元冒険者のマヌエルだ。


「そもそも成体はつがいか、群れで行動するはずだったな」


 クロードは真剣な顔で言う。


「現時点では単なるはぐれの可能性もまだ否定はできないのですが」


「そうだな」


 バルの慎重な発言を皇帝は肯定する。

 ひとつの新情報が出たからといって、すぐに結論を出そうとする性格ではないのだ。


「……もう少し情報が集まるまで待った方がよいかもしれんな」


 少しの時間が経たって、皇帝は自分の判断を口にする。


「これからは我々も独自に情報を集めるということで、よろしいでしょうか?」


「うむ」


 クロードの確認に彼は肯定を返す。


「現状では具体的な指示を出すのも難しいからな。集めた情報は次の定例会議で報告してくれ」


「火急の要件は緊急通信で、ですね」


「そうだ」


 皇帝とクロードのやりとりをもって、会議は終了する。


「ではこれからもよろしく頼む」



【次回:実力者集う八神輝レーヴァテイン。皇帝からの信頼も厚く、庶民にまで目を配る幅広い視野持つバルは、この局面をどう見る?】

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