2-1 来訪者
夜の八時を過ぎた頃、バルは打ち上げから帰ってきた。
彼の家は二等エリアと呼ばれるところにある、粗末な木造作りだ。
そろそろ改築が必要なのだが、家賃を抑えてもらうのを条件にいろいろ我慢してそのまま住んでいる。
彼の家には一応キッチンがついているものの、彼は料理が不得手で外で食べるか、完成品を持って帰るのが習慣だ。
帝都は魔術具のおかげで夜でも道は明るく、騎士の巡回もあるため若い少女たちが出歩いても安全である。
それでも三人を宿屋まで送って戻ってきた。
そして自宅のドアを開けたところで、彼はため息をつきながら言う。
「夜、家の中で気配を殺して待っているのは止やめてくれないかな、ミーナ?」
すると何もない空間に突如として人型に光が浮かび、それから光球を浮かべた若い女性の姿になる。
ミーナと呼ばれた女性は黄金の髪にエメラルドのような瞳と長い耳を持った、エルフという種族だ。
美しい容姿の持ち主が多いエルフの中でも、彼女の美貌は群を抜いている。
そして容姿だけではなく、魔術師としての実力も圧倒的だった。
魔術を使った気配遮断は、バルでなければまず気づけないだろう。
「その方があなたの為だと思いまして、バルトロメウス様」
「気遣いありがとう。だが、たとえお互いしかいない場でも、その呼び方は止めてくれ、ヴィルへミーナ」
礼儀正しい声をかけてきた彼女だったが、バルは困った顔で注意した。
バルトロメウスというのは彼の本名ではあるものの、あまり好きではない。
お返しにとばかりに彼女の本名を出すと、彼女は頭を下げた。
「失礼いたしました」
本名があまり好きではないのはお互い様なのである。
「分かってくれたなら、それでいい」
バルは大らかに答えると、まずは家のロウソクに火を点ともし、次に質問を投げた。
「今日は何をしに来たんだい? まさか私の顔を見に来ただけではないだろう?」
「いえ、そのまさかです」
ミーナが大真面目に即答したため、彼は絶句してしまう。
彼女は用もないのにやってこないエルフだと思っていたからである。
実はその方がバルにとって心証がいいだろうと、彼女が狙ってやっていたにすぎなかったのだが。
「冗談ですよ」
不意にミーナはにこりと笑い、そう言った。
「何だ、そうなのか」
バルはしてやられたと苦笑を浮かべる。
「それにあなたは調理が苦手ですから手料理のひとつでもと思ったのですが……」
彼女のエメラルドの瞳は彼が抱えている紙袋をとらえている。
「ああ、すまないな。実は冒険者たちと打ち上げに行って、その店で夕飯分にと手渡されたんだよ」
「打ち上げですか?」
ミーナはバルが普段何をやっているのか知っているはずだ。
それでも聞いてきたのは話を聞きたいからだろうと、彼は今日の出来事をしゃべる。
「アウズンブラが……奇妙な話ですね。そしてあなたが左手を動かしていない理由も分かりました」
目立たないように注意を払った結果、ほとんどの者には気づかれなかったのだが、彼女はあっさりと見破った。
もっとも、バルとしてもミーナ相手に隠せるとは最初から思っていない。
「擬態の最中の出来事でしたら、治療はしない方がよさそうですね」
「その通りだよ。そして擬態とはひどい言い方だな」
彼は苦笑した。
ミーナならば彼の怪我を簡単に治療できるだろうが、それでは何も知らない者への説明に困ってしまう。
「その気になれば皇族並みの暮らしをできるお方が、ずいぶんと慎つつましいことです」
ミーナの口調に侮蔑の色はない。
これがバルとの仲が良好な理由のひとつだ。
「ああいう生活は落ち着かないんだ。こちらの方が私の性には合っている」
彼はそう言って、紙袋を軽く持ち上げる。
「よかったらミーナも食べるか?」
「いただきましょう。私にも持参したものがあるのでちょうどいいはずです」
ミーナがパンツのポケットから取り出した白い袋からは、新鮮な野菜と果物が出てきた。
どう見てもパンツのポケットに入る量ではないのだが、バルは疑問に思わない。
魔術のひとつに質量を変化させるものがあり、ミーナは魔術の名手だからである。
彼女ほどの実力者の場合、市場に出回っている魔術具よりも優れた効果がある魔術を普通に使えるのだ。
バルの三メートル四方ほどのキッチン兼ダイニングルームにある、白い円状のテーブルの上に安物の皿が置かれ、食べ物が並べられていく。
「羊肉と玉ねぎの串くし焼やき、ジャガイモを揚げたものにミーナが持ってきた野菜と果物か。なかなか豪華だな」
「もう少し食べるもののバランスにお気をつけになった方がいいですよ」
満足そうなバルに対してミーナは一言注意をする。
バルは少し困った顔をした。
「忠告はもっともだが、このあたりに野菜や果物を扱っている店ってあまりないんだよなあ」
「一等エリアにはあるではないですか? 引っ越しをなさっては?」
ミーナは事もなげに回答する。
彼女はバルの本当の経済力を知っているからこそ言えたのだが、彼は首を横に振った。
「ここでの暮らしの方が好きなんだ。できれば引っ越ししたくないなあ」
「……一等エリアでもあなたのお好きな、庶民らしい暮らしはできると思うのですが……」
ミーナは理解不能とつぶやいたものの、それ以上は勧めて来ない。
むやみに踏み込んではこない距離感が、バルにとって心地よかった。
「バル様はこういう味がお好きなのか……? 覚えておかなければ」
串焼きや揚げものを食べる時、ミーナは小声でつぶやく。
無意識のうちに漏れた言葉らしかったため、バルは聞こえなかったフリをしておいた。
食事がすむとミーナが薬草茶を淹れてくれる。
「ハーブの香りがいいな。慣れるまで独特だが」
「お気に召したのであれば何よりです」
応えるミーナの美貌に朱がさし、頬がゆるんだ。
そこで会話は途切れて、ゆったりとした時間を過ごした。
お茶の時間を楽しみ後片づけをすませた後、バルは彼女に改めて尋ねる。
「まさか本当に私の顔を見に来て、ご飯を食べたかっただけではないだろう?」
「ええ。お忘れのようですが、明日は定例会議ですよ」
ミーナの言葉に彼はハッとなる。
「しまった」
思わずうめいた彼を見て彼女はクスリと笑う。
「何ならば今回も欠席なさいますか?」
彼女がそう言ったのは、バルには会議に出席しない権利が認められているからだ。
もっとも彼が口裏合わせを頼めば、彼女は適当な理由を他の
「いや、今回は出席したい。やはりアウズンブラの件が気になる。心配しすぎだったらいいのだが」
帝国はここまで平和だと言ってもよい状況だった。
それだけにささやかな変化でも気になってしまうのだ。
「かしこまりました。それでは明日の朝、もう一度うかがいますね」
「ああ、ありがとう」
ミーナの厚意にバルは礼を言った。
人目につかないという点を重視するのであれば、彼女の力を借りて移動するというのが無難である。
「私では誰にも違和感を持たれずに移動するのは難しいからな」
彼が住む二等エリアには、そのような実力者はいないはずであるが、彼は用心深かった。
「向き不向きの問題ですね。戦いならあなたがこの世でナンバーワンでしょうし」
残念そうに言う彼に対して、ミーナはなぐさめの言葉をかけた。
「そうだな」
バルも割り切れないほど子どもではない。
「では失礼いたします」
ミーナは優雅にお辞儀して転移魔術で帰っていった。
【次回:ベテラン冒険者は世を忍ぶ仮の姿!「それではバル様、参りましょう」バルが会議に向かう先は――?】
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