1-3 《その場しのぎのバル》と新人冒険者

「そこまで言うなら、試してみるかい?」


 彼がそう言い出すとイェニーとヘレナは目を丸くし、エーファは怪訝そうな視線を向けてくる。


「へえ、あんた、意外と話が分かるところがあったのね?」


「ただし、危ないと思ったらすぐ逃げるんだよ」


「ええ、分かっているわ」


 少しも分かっていなさそうな声でエーファは返事した。


「へ、平気なのですか?」


 不安そうなヘレナの声に、イェニーが小声で応じる。


「エーファ、言い出したら聞かないから……あんたも知ってるでしょ」


「は、はい」


 どうやらイェニーとヘレナも苦労しているようだ。


「野生のアウズンブラから乳を搾る方法、みんなは知っているのかい?」


 バルは真っ先に確認する。


「えっと、刺激しないように、後ろからそっと近づくんですよね」


「……そうだな」


 間違ってはいないだけにバルは反応に困った。


「仔が近くにいないんじゃ、そうするしかないからね。エーファ、君にやってもらおうか?」


「私が言い出したからね。分かったわよ」


 エーファは少しもためらわずに引き受ける。


 多少は尻込みしてくれる方が扱いやすいのだが、そのような性格だともっとバルの助言を素直に聞いてくれるだろう。


「えっと、乳は何に入れたらいいんでしょうか?」


 ヘレナがおずおずと疑問を口にする。

 彼女の口ぶりからして、持ち運びに使えるものを持参してきていないのだとバルには分かった。


「普通はビンを持ってくるんだけどな。持っていない場合は……そうだな。水筒は持っているかい?」


 彼はいくつかある選択肢のうち、最も無難なものを選ぶ。


「はい。あ、そうか」


 ヘレナは返事してから、彼が言いたいことを察した。


「じゃあ私の水筒に入れればいいのね」


 エーファは腰につけていた赤いポーチから、竹で作られた水筒を取り出す。


 中身をヘレナの水筒に移してアウズンブラの背後にそっと忍び寄った。


 次の瞬間、アウズンブラの逞ましい後ろ足がエーファを襲う。


「あっ?」


 少女の叫びが聞こえた時、エーファは強烈な蹴りを黙って見ていた。

 一人の少女の死を本人と仲間が覚悟したが、悲劇は起こらなかった。

 バルがとっさに彼女の肩を抱き抱えて真横に跳んだからである。

 草の上に二人の体が転がると、自分の攻撃が空振りに終わったことで、アウズンブラは低く唸った。

 いら立ちと激しい敵意の発露だとバル以外でも分かってしまう。


「ひっ」


 ヘレナとイェニーは短く悲鳴を上げて、その場でしりもちをついた。

 彼らの方を向いたアウズンブラの瞳は興奮で赤く輝き、猛々しい空気を放っている。

 並みの冒険者では歯が立たないから刺激するなと忠告されている理由が嫌でも分かるほど。

 エーファは空を見上げながら、バルの忠告を聞き入れなかったことを後悔した。


(ここで死ぬ。私たち四人とも)


 と彼女は確信する。

 アウズンブラは動きが速い魔物ではないが、四人とも今すぐ起き上がれないような状況だ。

 一人でも助かれば奇跡だと断言してもいい。

 そのように絶望した少女たちとは違い、バルはエーファから体を離して草の上を転がり、水辺に生えている草を掴つかむ。

 そしてじわじわとエーファに近づいている、アウズンブラの鼻先に向かって投げつけた。


「グルルルル?」


 薬草が鼻に当たったアウズンブラからはみるみるうちに敵意が消えていく。


「今のうちに立ってここを離れよう」


 バルは三人に大きな声で呼びかける。


「え、ええ」


 彼の声に応じて立ち上がれたのはエーファだけだった。


 イェニーはエーファが、ヘレナはバルが手を握って立たせてやり、転がるように彼らは逃げ出す。

 丘の上に登ったところでバルは振り返り、アウズンブラが追ってきていないことを確かめた。

 つられてエーファたちも後ろを向き、彼女たちはホッと安堵の息を吐き出す。


「もうダメかと思ったぁ……」


 最初に声を上げたのはイェニーで、


「ごめん」


 次にエーファが謝罪の言葉を放った。


「えっと、私たちじゃなくて、バルさんに謝るべき、です」


 ヘレナがおずおずと、それでもしっかりと指摘する。


「そ、そうね」


 エーファはもじもじとしてから、目をそらしながら、それでも謝った。


「ごめん、バル。私が間違っていたわ。それに助けてくれてありがとう」

 どうやらそう悪い子ではないらしいとバルは思う。


「どういたしまして。分かってくれたらいいんだよ」


 そして優しい笑顔で彼女の謝罪を受け入れる。


「で、でも……」


 エーファは言い返そうとして、ふと気づいた。

 バルの左腕の動きがさっきから不自然なことに。


「まさか、骨折……?」


「いや、打ち身だよ。完全にはかわし切れなくて」


 彼は何でもないように答えたが、少女たちは大いに慌てる。


「ど、どうしよう。治癒魔術、ヘレナ使えなかったっけ?」


 エーファの言葉にヘレナがいそいそと彼に近づき、右手でバルの左の肘に触れながら呪文を唱え始めた。


「慈愛の女神よ、我が祈りを聞きたまえ……。御身の優しき力をもってかの者の傷を癒したまえ。【ヒール】!」


 白い淡い光の輪でバルの肘の周囲が包まれる。


「痛みがけっこう楽になったよ。ありがとう」


 バルはそう言う。


「い、いえ。助けてもらったんですから!」


 ヘレナは照れたように頬を赤らめる。


「かっこよかったね、バルさん」


 イェニーがそう言うと、ヘレナとエーファがこくりと頷いた。


「そ、そうだね。ベテランって頼もしいんですね」


 ヘレナは素直に、


「ふん。そうかもしれないわね」


 エーファは生意気な言い方をするという違いはあったが、どうやらいい年して七級止まりのおっさんという侮蔑の意識はなくなったようである。


「ではハイレンの枝が無事か、チェックしてからギルドに戻ろう」


 バルは少女たちの評価が急変したからといって舞い上がることなく、落ち着いて三人に声をかけた。


「そうですね」


 三人はそれぞれ確認し、全員のものが無事だったことに安心してギルドへと戻る。



【次回:バルの機転で危機を脱したパーティ。エーファがバルに抱く心境にも、徐々に変化が訪れて――?】

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