1-10
異世界4日目
今日からは独り。
美人なのにおかしな言葉遣いのせいで全て台無しな女ネーレは居ない。
心細く不安も大きいが、昨日の魔猪との戦いがほんの少し拓に勇気を与えてくれている気がする。
しばらくでこぼこした山道を下っていく。 時折鳥の鳴く声がするが、それ以外は風が木々の葉を揺らす音がするくらい。
のどかな時間だ。
昨日までは大概聞こえていた、かすかな川のせせらぎの音色もいつの間にか聞こえてこない。
水場が近くに無くなるのなら、今度から水筒に水を入れてこよう……。
今朝目覚めたとき、持ち込んでいたはずのスコップと水筒はベッドの足下にあった。
水筒に少し残っていたはずの川の水は、綺麗に無くなっていた。
こちら側の物は向こうの世界に持ち帰ることは出来ないのかもしれない。
ちなみに、特に煮沸しなくても川の水でお腹を壊すことは無かった。
川の水が綺麗なのも勿論だが、ステータス補正である程度こちらの世界の飲食物は体が受け付けるようになっている、とはネーレの言葉だ。
単純な道のりに少し飽きを覚えた拓は、適当な場所から森の中に分け入ってみることにした。
マッピングも兼ねてのことだ。
ゲーム仕様にしてくれるなら、マップ上にモンスターの居場所くらい表示してくれれば良いのに、と愚痴るが仕方無い。
モンスターの気配を探りながら、注意深く草むらをかき分け、木々の間をすり抜けていく。
しばらく散策しながら、食べたことのある木の実を非常食用に少し採取する。
ふと目に付いた木の根元に茂った植物の、オレンジの小さな実。
モノクルには「コリントの実」と表示されている。
初めて見る果実だが、食べられるだろうか。
試しに、と思い近付いて屈んだところで、ガサガサと草むらを何かが動き回る音がした。
体に緊張が走り、拓はじっと息を潜める。
昨日までネーレがいたことがどれほどの安心感を与えてくれていたのか、改めて実感する。
やがて草むらを飛び出し、そのまま駆けていったのは一匹の猿だった。
少し先の木に飛びつき、あっという間に見えない高さまで登っていく。
ほっと、息を吐いたとき、猿が現れた場所から音も無く一頭の魔狼が顔を出した。
猿を追って来たらしい。
こちらと同時に向こうも気付いた様で、直ぐさま標的を変える魔狼。
一声吠えてから飛びかかってくるのを小手を付けた左手でいなし、その勢いのまま右手の剣を振る。
あっけなく終わった簡単なお仕事。
大分慣れたもんだ、と鼻歌を歌いながら解体する。
鼻歌に誘われて魔物が寄ってこなかったのは幸いだっただろう。
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そんな調子で散策、採取、時々魔狼を繰り返し、拓はLv.5になった。
魔猪の経験値のストックが残っていたのだろう。
思っていたよりも早いレベルアップだった。
片手剣のスキルがLv.2になったのも心強い。
山道を進みながら、時折森に少しだけ足を踏み入れ歩く。
マップを見る感じではまだ町らしき陰影は現れないが、少し先に湖のような物があるのを発見した。
とりあえずの目的地を得られ、心なしか足取りも軽くなった。
歩き易いとは言い難いが、それでもまともな道に戻ろうかと思った矢先、顔の前を何かが過った。
直後、右手にそびえる木に何かが突き刺さる小さな音。
そちらを向くと、小枝のような太さの真っ直ぐな木の棒が刺さっている。
それが木の矢だと認識した瞬間、拓は身を屈め、手近な大木に寄り添う。
矢が飛んできた方向から死角になりそうな大木の陰に潜り込んだ僅か後、再び矢が飛んできた。
今度は隠れた木の根元に刺さる。
同時に、背後と左手側から、混棒のような物を持った人影が迫ってきた。
小学生くらいの大きさの人型で、腰巻きのような布だけを身につけている。
その肌は土色と濃い緑色を混ぜたようで、顔は先ほど見た猿に似ている。
モノクルに表示された名前は勿論―
ゴブリン。
近い方のゴブリン―左側から迫ってくるゴブリンに反射的に剣を突き出す。
たたらを踏んだゴブリンに、すかさずフェンシングのような足運びで突きを繰り出すと、鎖骨の辺りを抉り1mほど弾き飛ばす事に成功した。
直ぐさま振り返ると、すでにもう一匹のゴブリンが太い棒を振り上げながら迫っている。
小手を装着した左手を棒が振り下ろされる軌道上に差し出し、カウンターの要領でショートソードを緑色の腹に向けて真っ直ぐ突き刺した。
―グエエエッ!!
濃い緑の血を吹き出しながら、目の前でゴブリンが倒れる。
咄嗟のことで意識していなかったが、間近でゴブリンを刺した事で、自分が今相対しているのが「人型」の魔物だという実感が、突如拓を支配した。
喉が引きつり、上手く息が出来ない……
呆然とした拓の右の太股に、突然激痛が走る。
「がっ!!」
思わず叫ぶが、叫んだことも本人は気付いていないだろう。
痛みの方に目を向けると、深々と細い矢が刺さっていた。
グギャアッ
そんな鳴き声を出しながら、どうやらゴブリン達は逃げていったようだ。
一匹が手傷を負い、一匹が倒されたのを見て撤退を決めたのだろう。
牽制の矢にやられてしまったらしい。
安堵と、人型の魔物を刺し殺した恐怖と、矢による傷の痛みで、拓はたまらず膝をつき、肩で息をする。
少し泣いたのはここだけの話だ。
拓がようやく動き出すのはそれから10分ほど経ってからだった。
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最後の傷用ポーションを使い、拓は立ち上がる。
矢に毒の類いは付いてなかったようで、精神的な疲労を別にすれば、体調は整った。
「さて……」
拓はゴブリンの死体を見てため息を吐く。
襲ってきたのはLv.2とLv.3のゴブリン。
今目の前に横たわっているのはLv.2のヤツだ。
死体をそのままにするのは良くないと聞いたが、さすがに人型のモンスターを解体する気にはなれない。
どうするかしばらく思案して、アイテム欄にある物で一度も使ったことがないアイテムの存在を思い出した。
木や植物が少ない開けた場所を探し、充分な大きさで浅く穴を掘る。
穴の中心に落ち葉や小さな木の枝を集め、取り出したるは―
ライター。
手のひらに収まったのは、百円ライター。
表面に安っぽい印刷で「スナック 美代子」と書かれている。
「って、何じゃこりゃー!!」
森の中に拓の叫びがこだました。
思わずライターをぶん投げなかった理性を評価したい。
もう一度泣きそうになってのは言うまでも無い。
しかも、ガスがほとんど残っていなかったのか、爪に火を灯すという言葉を地で行くようなショボい火しか出なかった。
とにかく無事に火をおこし、運んできたゴブリンの死体を焼却する。
もの凄い匂いが出たので、慌てて距離を取り見届ける。
やがて炭になったところで、スコップで土をかけ埋め終えた。
あまりに色んな感情に振り回され、すっかりぐったりとした拓は、本日の旅をここで終わらせることにした。
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