第15話 木

 ㅤ先生の指示ではなく、日直の仕事でもなく。自分の意思で願の家に向かう。会ったら何を話そうか。考えてみると面白いほど思いつかない。


 ㅤウサギの世話はそれこそ冗談として、どうして学校をやめたか聞くなんて。そんなの聞いてどうする。なぜか陽太にノせられて歩いてきちゃったけど、本当は何したいんだろう、ぼく。


 ㅤきっと今は、ただ会って話がしたいだけなんだ。別れのあいさつはしたけど、こっちはそんな意味のある別れだと思わなかった。だからこれから改めて少し話して、ちゃんと手を振れるならそれもいい。


 ㅤ一本の木を間に分かれる道で、左に進む。やがて見えてくる茶色の集合住宅。階段で二階に上がる。今度は震えない人差し指でインターホンを鳴らす。


 ㅤ願の応答はない。少し間を空けて、もう一度鳴らす。それでも応答はないし、ドアは少しも開かない。


 ㅤ留守か。ただ留守なだけなはずなのに妙にさびしい。あの日、用紙を渡すために伸びてきた白い手を思い出す。きっとあの扉の向こうで願はマスクでもしながら、あの子なりの気遣いでわずかな隙間から手を伸ばした。


 ㅤぼくがさびしいのは、留守で会えなかったからじゃない。今日会えなかったら、もうずっと会えないかもしれないって気持ちに急に気づいたから。


 ㅤでも、そんなはずないか。きっといつか会えるよ。また明日、じゃなくても、たまにここへ通えばいい。それで一度だけでも会えたら、きっと何か伝えられるだろう。


 ㅤそうして木漏れ日眩しい夏が来た。葉が紅くなる、秋が来た。葉が枯れ雪積む冬が来た。


 ㅤそれでも願に会える日は来なかった。

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