ハクビシンの神様と私の日常

真まこと

本編

 ネットが張られたコートの上を、縦横無尽にシャトルが行き来する。

 ――はぁ……はぁ――ハッ!

 バドミントンの試合では、1ゲーム21点の試合を2ゲーム先取した方が勝利となる。だけど例外もあり、お互いの点数が20点になるとその後は2点差がつくまで試合が続けられる。そして、どちらかが30点になるとその時点試合が終了だ。今はお互いに1ゲームずつ取り合って最終の3ゲーム目。相手の点数は29点、私も29点。だから、お互いにあと1点取れば勝利。そんな状況だ。

 前後左右あらゆる場所に放たれるシャトルは、一度も地上に落ちることなく宙を舞い続ける。

 さっきは右……今度は……落としてきた! でも!

 相手は左右に揺さぶりをかけた後、シャトルをネット際に落としてきたが、なんとか拾い上げる。シャトルは相手コートのやや後方に返る。

 次は……っ! ハイバック――

 コートのやや前方にいた相手は、こちらに背を向けながらシャトルを追い、そのままバックハンドでショットを打つ。

 ――ちがう! バックハンドスマッシュ!

 シャトルはネットギリギリの高さを真っ直ぐ飛び、速度を落としながらコートの最深部に落ちていく。

「でも……まだ!」

 体勢を崩しながらギリギリのところで追いつきシャトルを打ち返そうとする。

「っ!?」

 だが、その直前で急に身体の力が抜けるような感覚に襲われる。それによりラケットに力が上手く伝わらず、丁度相手にとって返しやすい場所にシャトルが返ってしまう。

 あぁ――

 そのチャンスを相手は見逃さなかった。

 ――私の、負けだ……。

 私はコート内に落ちたシャトルをただ見つめていた。


 ×××


 私、石原綾香は、とある県立高校に通う高校一年生だ。成績は真ん中くらいで、運動もまあまあという感じ、容姿は特出することがない。そんな平々凡々な女子高生だ。

 部活は中学の時にバトミントン部に入っていたから、流れでそのまま高校でもバドミントン部に入った。でも、中学時代に全国大会に出たとか、そういった輝かしい実績は特になかったし、高校に入ってからの大会成績もたいしたことないので、実力はお察しのほどだけど。

「ただいまー」

「おかえりなさい。そういえば今日の試合はどうだったの?」

 お母さんは夕飯の仕度をしながら試合の結果を聞いてくる。

「ん……二回戦敗退だったよ」

 ベスト32といえば少しは聞こえがいいのかもしれないけど、64人中のベスト32なので、その表現はあまり良いとは言えない気がした。

「あら、ということは一回は勝てたのね」

「……まあ……言い方を変えれば……」

 空になった弁当箱や水筒、タオルなどをカバンから出す。

「お風呂さっき沸かし始めたところだからちょっと待っててね」

「だったらその間ちょっと外で練習してるから」

 私は、シャトルとラケットを持って玄関に向かった。


 ×××


 何度か素振りをして基本の動きを確認してから、実際にシャトルを使ってショットを打つ。スマッシュ、ドライブ、ドロップ、ハイクリア……。

 あの時……身体が急に動かなくなったのは、疲労がたまっていたからじゃない。だから……あの場面ではまだ動けた。……はず。もし、あの時……ちゃんと返せていたら。あれがなかったら……――。

「おう、今日もやっておるのか、練習熱心なのは良いことじゃ」

 思考で動きが止まりかけていたその時、不意に声をかけられた。

 私は目の前にいる女の子を捉える。髪型はショートボブで色は白と黒のメッシュ、丸顔で身長は150cm弱、服は巫女装束のような白衣と黒の袴。そして何より特徴的なのは獣耳と尻尾。

「だが、無理は禁物じゃ。倒れられたらワシも困るからな」

 彼女は普通の人間じゃない。そう、文字通り人間じゃない。

「依頼が沢山来るのはいいが、やたらと強い悪霊やあやかしの討伐依頼が多いのはやはり困りものだな」

 彼女は人知を超えた存在……『神』だ。

「ん? どうしたのじゃ? こんなとこでぼーっとして……疲れておるなら早く上がった方が良いと思うが」

「べつに、もう上がるから大丈夫」

 私はそう言ってから落ちているシャトルを拾い始める。

「そうかい。いやーこの三日間はなかなか大変だったのう。依頼先から帰る途中、大型で強力な妖と戦うことになったりしてな。何とか追い払ったが、神力をかなり使ってしまっての。身体の方に影響はなかったか?」

「……大丈夫だったよ。私も成長してるんだし」

 シャトルを全て拾ってから、私は少し速歩で玄関の方に向かった。正直今はこれ以上ハクと顔を合わせたくなかった。


 ×××


 獣耳娘な神様のハクと出会ったのは、まだ小学生だった頃だ。

 家のすぐ横には古びた小さな祠があって、そこではハクビシンが祀られている。祀られている理由は、道に飛び出してきたハクビシンを、車で轢いてしまったとある神社の神主が、それを心苦しく思い、祠を作って祀ったということらしい。

 神は人々の信仰心によってこの世に存在できる。でも、この小さな祠は、人々から関心を得ることはなく、祀られていたハクビシンが特別な力を得るようなことはなかった。

 だけど祠のことをほとんど何も知らなかった小学生の頃の私は、祠がどんなものなのか、中に何があるのか気になり、興味本位で祠の木戸を開けてしまった。

 私は生まれつき霊感が強い方で、霊や妖と言われるようなものに干渉してしまう力を持っていた。その力は神と呼ばれるようなものに対しても働き、私の力を拠り所として、祀られていたハクビシンは神となりこの世に現れた。

 図らずとも神の現出に携わってしまった私は、一つの個となった存在には名前が必要だ。と言って名付けを求める神になったハクビシンに、ハクという名前を付けた。ものすごく安直な名前だけど本人は喜んでいたので良かったのだろう。


 ×××


「はぁ……そろそろ上がるか……」

 暑くなってきたので、身体を起こし浴槽から出ることにした。私は結構暑がりなので、あまり長風呂はしない。

 浴槽から出た後、少し冷たいシャワーを浴びながら再び思考を巡らせる。

 ハクは普段、外からの依頼を取り付ける形で悪霊を祓ったり悪さをする妖を追い払ったりしている。

 一般的に神は信仰の対価として神力を使うけど、ハクに対する信仰は無いに等しく、自分から働きかけ依頼を取り付けて、報酬として僅かな信仰を得て生活をしている。だが現状、それだけでは存在を保つことくらいしかできず、神力を使うことができないので、私が持っている力を取り込んで神力を使っている。

 そのせいでハクが神力を使うと私にも影響が出る。昔はその影響が強く出て意識を失いかけたこともあったけど、最近は私が成長したのか、存在を保つために私の力をあまり使わなくてよくなったのか、直接的な影響はあまり無くなっていた。

 でもあの時、私に疲労がたまっている状況で、ハクが多くの神力を使うために私の力を取り込もうとしたので影響が現れた。

 ハクが私の力を使うのは構わない。こんな状況になった原因は元々私にあるし、ハクのおかげで悪霊や妖に襲われるようなことはほとんど無くなった。でも……もしハクがいなければ。と思うこともある。

「もしハクがいなければ……勝てたのかな」

 たらればなんて言っていたらキリがない。あの試合は全体的に押されている展開が多かった。あそこでちゃんと返せていても勝てた保証はない……けど……。

「おーい綾香、今日はワシも風呂に入る日なのだから言ってくれなきゃ困るぞ」

 そんなことを考えていた時、不意に脱衣場の方から声をかけられ、私は慌てて振り向くと、ハクが戸を開けて風呂場に入ってきた。

 ハクは神様なので本来であれば神力によって身を清めることができる。だけど、力を節約するために決まった日に風呂に入る。その時、霊体のままでは身を清めることができず、実体になる必要がある。

 霊体の時は特殊な力を持った人しか見ることができないけど、実体になると特殊な力がなくても見えてしまうので、いつも私が風呂に入る時、一緒に入っているのだ。今日がその日だったことが頭から抜け落ちていた。

 結局私は、いつもの二倍くらい浴槽に入っていた。


 ×××


 風呂から上がると、出かけていたお父さんが帰ってきていた。その後少ししたらお兄ちゃんも帰ってきた。お父さんとお兄ちゃんが風呂から上がった後、いつもの様に家族四人で夕飯を食べた。

 ――日曜スペシャル寺社仏閣特集。今回は全国に多くの分祀社を持つ、お稲荷さんでお馴染みの稲荷神社についてです。

 夕飯の後、私はリビングでテレビ番組を見ていた。タイトルは『日曜スペシャル寺社仏閣特集』で、その名の通り主に日本の寺社仏閣を紹介する番組だ。

 元々霊感があったことや、ハクという存在が身近にいることから、神社やお寺などにはそれなりに興味が湧き、テレビなどでそう言ったものを扱う番組を見るようになった。

 ――伏見稲荷大社では狐が稲荷神の神使とされていて――……。

 狐……か……尻尾がふさふさで、耳が三角で、霊獣だったり、人間に化けたり……。普段実際に狐を見かけることは、まずないが、狐は日本人にとって結構特別な意味をもつ動物だったりする。

「獣耳キャラだとやっぱり狐耳キャラが一番好きだな。ピンと立っててふさふさな耳と、もふもふな尻尾! あと和服が似合う! そして髪が白とか銀だとなお良し!」

 私の横でお兄ちゃんはそんなことを言っている。

「オレは狐耳派だが綾香は何耳派?」

「え? んー何だろ……狐……かなぁ……」

「おうそうか! じゃあオレたち狐耳派同盟だな」

「なんだそれ……」

 そんなやり取りをしながら私はテレビを見ていた。


 ×××


 テレビ番組を見終わり、自分の部屋に向かう。忘れないうちにバドミントンの試合の反省点をまとめておくため、ノートに試合のことを書き始めたとき、ハクが霊体から実体になり現れた。

「さっきは随分と楽しく狐耳談義をしていたのう」

「そんな楽しそうだった?」

「それはもう楽しそうだったぞ。耳や尻尾がふさふさなのがいいとかなんとか」

「じゃあそうだったとして、そのこととハクに何か関係があるの?」

 ハクとしては、いつもの調子で他愛もない話をしたかったのかもしれない。だけど 試合のことを思い返していた私は正直そんな気分にはなれなかった。

「え……ま、まあ、ワシも獣耳とか尻尾とかあるし……」

「あーあ、もしもハクがハクビシンなんかじゃなくて狐だったらなぁ……」

 なんだか、だんだん負の気持ちが高まっていく。

「なんと!?」

「だってハクビシンなんて正直、野菜や果物を食い荒らす害獣じゃん」

「い、言わせておけば……狐なんぞ、ちょっと霊力が高いからって調子にのっておるが、裏では誰にでも尻尾を振るようなヤツらじゃぞ」

 ここまでくると完全に言い争いだ。でも私の口は止まらない。

「狐だったら、可愛くてカッコよくて優しくて神力も強くて、バドミントンの試合があるってことを覚えていてくれたかもしれなかったな」

「な…………そ、そう言えば三日前そんなことを言われた記憶が……まさか試合中とワシが力を取り込んだ影響が……」

 さっきまでの調子と違い、明らかに動揺しているハクを横目に私は話を続ける。

「……今日の試合はお互い1ゲームずつ取り合って、最終ゲームは29対29までもつれこんで……その時に丁度重なって……いや……この話はもういいや。もう過ぎたことだし……その……ごめん。ちょっと一人にさせてほしい」

「あ、ああ、うん。そうじゃな。じゃあ……おやすみ」

 そう言うと、ハクは俯きながら霊体化し部屋を出ていった。


 ×××


 あの日から数日がたった。今日は平日なので、いつもの日常をいつものように過ごしている。だけど……。

「今日もハクと会ってないな……」

 学校からの帰り道。通学鞄とラケットホルダーを持って、帰り道を一人で歩く。

「なんであんなこと言っちゃったんだろう……」

 あの日は、ギリギリのところで負けたショックで心が荒んでいて、ハクの細かな言動や行動が気になり腹を立ててしまった。よくよく考えてみれば、ショットを打つ瞬間、力が抜けたのもハクのせいじゃなかったように思えた。もちろんあの時ハクが力を取り込んだのは事実だ。だけどそこで力を抜いてしまったのは私自身だ。

 あの時そのまま全力で振り抜けばよかっただけで、あくまでもハクが力を取り込んだのは一つの要因でしかない。それに、そもそもハイバックへの対応が遅れたのが根本的な敗因で、そこにハクは関係ない。あの時の言い合いは完全に八つ当たりだ。

「……結局自分のミスを他人に押し付けて、試合のことから逃げていただけ……だな……帰ったら謝ろう……」

 ――不意に後ろの方から何者かの気配を感じた。

 それは明らかに人間のものとは違う、この世のものとは思えない禍々しさを帯びたものだった。

「……まさか――」

 私はゆっくりと振り返る。

「っ!?」

 そこにいたのは私の身長の三倍以上も大きい異形のもの。妖だった。

 妖の背中からは触手のようなものが生えていて、それらが私の方をめがけて飛んできていた。寸前のところでそれらを回避する。

 ――いつの間に!?

 寸前のところでそれらを回避し、妖から逃げるため全力で走り出す。妖自体の移動速度はたいしたことなく本体に追いつかれはしなかったけど、その代わりにさらに増えた触手が襲いかかってきた。

 触手の迫る速さは私が走るよりも断然疾く逃げ切れそうにない。

 ――だったら!

 肩にかけていた通学鞄を投げ捨て、急ブレーキと共に反転し、ラケットホルダーを振り回す。

 反撃されるとは思っていなかったのか、妖は触手を慌てて引っ込め、狙いを定めるかのようにゆらゆらと動かしている。

 ホルダーからラケットを取り出し構える。

「どうにかしなくちゃ……だね」

 

 ×××


「はぁ……どんな顔で綾香に会えばいいのか……」

 ここ数日ワシは綾香と会っていなかった。今回のことは『日曜日はバドミントンの大会だからなるべく力は使わないで』という言葉を忘れていたワシが悪い。さらにそのことを綾香に言われるまで思い出せず、呑気な言葉をかけていたとなれば最悪だ。怒られ、呆れられて、嫌われて当然だろう。

 謝りたい気持ちはあるのだがその一歩が踏み出せない。

「はぁ……」

 最近ため息ばかりだ……。

 と、そんなことを思っていた時――。

「あれ! もしかしてハクさん!?」

 声をかけてきたのは綾香の兄であった。兄の方は特別な力など無く、本来ワシの姿が見えないはずであった。

「な!? なぜお主がワシの姿を……」

 と、そこまで言ってあることに気づく。

 霊体化状態のつもりでいたのだが、考え事をしていた最中になんらかの拍子で実体化状態になっていたのだ。

「どうしたんですか? すごい顔で悩んでいるように見えましたけど」

「いや、まあなんじゃ……友情と裏切りについて少しな」

 綾香がワシと出会った後、唯一そのことを打ち明けたのが兄であった。そのため家族のなかでは綾香と兄だけがワシのことを知っていた。

 適当なことを言って、どこかへ行こうかと思ったその時、この辺りから少し離れた所で一瞬妙な気配を感じた。

「いや、今一瞬なにかが……」

「なにかあったんですか?」

 気のせいかと思ったが念のため神力を使い、辺りを調べてみる。

 いったいなにがあっ『――妖……現れ……助……てハク』た――!?

 まさか……綾香が妖に襲われた――!

「……少し出かけてくるが……綾香の帰りが少し遅くなっても心配せんでくれ」

 そう言い残してからワシは、持てる力の全てを使い綾香のもとへ向かった。


 ×××


「はぁ……はぁ……はぁ……正直ヤバイな……」

 バドミントンをやっているおかげで、それなりに身体は動くし動体視力も悪くないと思う。けど、ラケット一本で妖に勝てる道理はない。なんとか攻撃を避けたり、打ち返したりするのが精一杯だ。

 妖の攻撃は次第に激しさを増し、だんだんに疾く鋭くなっていく。それはまるで遊んでいるかのようであった。

「っ! 疾い――うっ……」

 攻撃を捌き切れず、脇腹に触手による一撃を受けてしまい体勢が崩れる。

 まずい。このままじゃ……。

 普通なら、ある程度の距離が離れていても妖がいるということが分かるはずだけど、今回は寸前の距離まで近付かないと分からなかった。だから、もしかしたらハクも気付いていないかもしれない。

 それに、私は自分からハクを遠ざけた。それなのに都合良くハクが来てくれるなんてことはないだろう。

 倒れ込んだ私に向かって触手が容赦なく飛んでくる。

 こんなところで死にたくないよ。でも、これで終わりなんだ。

「ごめん……ハク――」

 そう言って自分の最後を見届けようとしたそのときだった。

 妖の攻撃が寸前のところで障壁によって防がれた。

「綾香ぁ!」

「――ハク!?」

「すまない、奴の認識阻害能力が強力で感知が遅れた。それと綾香、奴を倒すには多くの力が必要になると思うが大丈夫か?」

「アイツを……倒せるなら!」

「心得た!」

 そう言うとハクは、障壁によって受け止めた触手を鈍色の槍で撃ち抜いた。


 ×××


 ハクと妖の戦いは、ハクが押していた。触手を障壁で防ぎ、攻撃して無力化する動きは効果的だった。でも、ハクが有利というわけではない。私の力が取り込めなくなれば攻撃の手がなくなり、その時点でハクの負けだ。

 ハクは防御、回避、迎撃を織り交ぜて、相手の攻め手を削いでいく。妖は触手による突きと薙ぎを複雑に組み合わせて、間合いを詰めさせない。

 と、その時、ハクは動きが少し乱れたことにより、一瞬体勢を崩した。妖は一瞬の隙を見逃さず、ハクを叩き潰すために触手を降り下ろした。

 だが、ハクはそれを障壁によって寸前のところでそらした。そして、流れるように妖本体との距離を一気に間合いを詰めた。

 一瞬の攻防で形勢が変わる。

 至近距離で放たれた鈍色の槍が妖本体を貫く。

 妖はゆっくりと動きを止めていった。

「これで終わり……じゃな」

 ハクは、妖が再び動き出さないか確認しながら、ゆっくりと後ろに下がっていく。

 その時だった。私は僅かな異変を感じた。先程の戦闘とハクに力を受け渡した影響で身体にうまく力が入らなかったが、感覚はいつもより鋭くなっているような気がした。

 いくつかの千切れた触手に目を向ける。

 違うあれじゃない……あれでもない……じゃあ……――っ!?

 私は異変の正体を発見した。ハクのちょうど真後ろに落ちていた触手が、僅かに動いていた。

 アイツはまだ生きている!

 だけど、声が出ない、身体がうまく動かない、意識が朦朧としてくる。

 ……ダメなのか……負けるか……どうすれば……何をすれば……――

 何故あのスマッシュに反応できなかった?

 何故あの時の動こうとしなかった?

 それは……――。

 千切れた触手がハクに襲いかかる。ハクは異変に気付くが、対応が間に合わない。

 身体の感覚はない。声は出ない。視界は定まらない。音は聞こえない。

 だけど――

 今度は、諦めない!

 ハクに襲いかかった触手は、突然横から振られたラケットによって吹き飛ばされ、そのダメージによって妖は消滅した


 ×××


 ――……あれ、ここは……。

 私はあのあと、意識を失っていたようだ。アスファルトの固さが身体に伝わってくる。

「綾香っ!」

「うわぁ!?」

 目を開けて辺りを確認しようとしたら、いきなりハクが抱きついてきた。

「無事でよかった……無事で……」

「ちょっ! ハク苦しいって……」

 私はゆっくりと上体を起こしていく。ハクは一旦私から離れ、視線を合わせる。

「その……すまなかった。日曜日のこと謝りたくて……ワシが約束を忘れて……力を取り込んでそのせいで……試合の結果に影響が出て……ワシのせいで――」

「――それは違うよ。ハクが約束を忘れていたことの謝罪は受け取る。でも、試合に負けたのは私が弱かったから。私はそれをハクのせいにして弱さから逃げようとしていた。だから私の方も……ごめん」

「しかし、悪いのはやはりワシで――!?」

 私はハクの唇に指を当てた。ハクは目を見開いたあと少し頬を赤らめて口を噤んだ。

「ハクがいつも戦ってくれているから普段、悪霊や妖に襲われずに済むんだよ。それに今回だって、もしハクがいなければ死んでいたかもしれない……だから今回はお相子。それじゃだめ?」

「……分かった。綾香がそれでいいというのなら」

 私はハクの方に手を伸ばす。ハクは手を取り固く握る。

「立てそうか?」

 ハクはそう言って腕に力を入れ私を引き起こしてくれたが、うまく力が入らずよろけてしまい、ハクに抱きつく形になってしまう。

「ごめん、ちょっとふらついちゃって……ハク?」

 私はハクから離れようとするが、ハクの方が離れてくれない。

「うまく力が入らないなら……その……良ければワシが背負うぞ」

「平気だって。別に少し待てばこれくらい――」

「ワシには、先ほどの戦いで最後に助けてくれた分の借りがあるのだが、返させてはくれないか? お相子だと言ったのだから貸し借りは無しにしたいのじゃ」

 うっ……そう言われると断りづらい……。

「じゃあ……分かったよ。ちょっと恥ずかしいけど……お願いしようかな」

 私がそう言うとハクは、いわゆるおんぶの形で私を背負い、神力を使って通学鞄とラケットホルダーを持ち上げつつ認識阻害の力も発動させ、ゆっくり歩き出した。

「……今日は助けてくれてありがとう。もしまた悪霊や妖が出たら助けにきてくれる?」

 少しからかうような 調子で言おうとしたけど、なんだか恥ずかしかったので小声になってしまった。でも耳元で言ったのでたぶん聞こえたはずだ。

「そんなの……当たり前じゃ」

 ハクは、赤くしていた頬を一段と赤らめつつ小さな声でそう言って、私の脚を支えている手にキュッと力を込めてきた。

 なんだか今のやりとりのせいでもっと恥ずかしさが増してきた気がする。

 私は恥ずかしさを紛らわすために、制服の汚れを何と言って誤魔化すか考えることにした。

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ハクビシンの神様と私の日常 真まこと @Tmakoto0415

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