vol.03 ~「Greensleeves」(1961) John Coltrane ~

 国道113号線に沿った海に一番近い田舎道を走る。

 この辺りは、古くからの漁民の家が点在しているが、もう少し行くと、埋立てによってできた新潟東港と火力発電所を中心に、いろいろな倉庫や工場、石油タンクが立ち並ぶ港湾道路に出る。

 

 中古で買った初めてのマイカーで、よくこの港湾道路を走った。もう、その頃は助手席に乗るべき人はおらず、もっぱら一人でドライブした。

 冬は、除雪されていない石油備蓄基地の広い道路で、意味もなく急発進、急停車、ドリフトまがいの急ハンドルを楽しんだ。

 夏は、文庫本と折りたたみ椅子を持って砂浜に行って、意味もなく午後の時間を過ごしたりした。

 

 いつかの大相撲の秋場所の千秋楽。横綱の誰かが優勝したのをNHKラジオで聞いた後に、アパートに戻るべく砂浜に停めていた車に乗り込んで発車しようとしたら、タイヤが砂を巻き上げてスタックしてしまった。

 いつもなら、何度かエンジンをふかしながら前後に動かせば脱出できたのだけど、この日はそうはいかなかった。後ろのタイヤが肌色の砂を絶望的に遥か後方に吹き飛ばすだけで、車体全体がどんどんと下に埋まっていった。

 

 もうとっくに陽が落ちて薄暗くなった海岸で、僕は、砂と格闘しなければならかった。ラゲッジスペースに置きっ放しだった雪かき用のスコップで、車底に接地してしまっている砂をかき出し、海岸に落ちていた木板を4つのタイヤすべてに噛ませて、願うようにアクセルを踏むも、車体は上下するのみで、タコメーターだけがレッドゾーンまで勢いよく針を振らすだけだった。

 

 

 結局、3時間で3mぐらい進んだだけだった。時速0.001kmでは、亀どころか、もしかしたら、カタツムリにも負けてるかもしれない。汗と砂で、すでに、僕の服と車のシートはぐちゃぐちゃになっているし、スコップの刃か車体で切った手の傷から流れる血も暗くて見えないこの状況で、僕は、とうとう自力脱出を断念した。

 

 携帯電話も普及していない時代で、通信手段を持たない僕は、ひとまず、“人里”を目指さねばならなかった。“人里”に出たら、次は、電話でレッカー車を呼ぶ。選択肢は他に無い。


「石油備蓄基地ならなんとかなるはず」


 夜に何度も来ているので、備蓄基地の事務所らしい建物に明かりが点いているのはわかっている。


「ここからだったら、おそらく1kmか1.5kmぐらいのはず」


 僕は、最早、耳障りにしかなっていない波の音を左の耳で聞きながら、海岸沿いの狭い連絡路を歩きはじめた。

 普段は味気ないと思っていた石油タンクを照らす白い白銀灯が、そのときは、唯一無二の“希望の光”に見えた。

 

「あのう、すみません。車が砂にはまってしまって動けなくなったので、電話をお借りしてレッカーを呼びたいんですけど」

 

 心の中で、何度も練習しながら“希望の光”に向かって歩いた。

 

「それは大変だね。どこに車があるんだい?なんだったら手を貸そうか?」

 

 もしかしたら、そんな風に言ってくれるかもしれない。いや、ここまで自力で頑張ったんだから神のご加護があってもおかしくない…



「あのう、すみません。車が砂にはまってしまって動けなくなったので、電話をお借り・・・」


「なんですか君は?ここは、一般の方は立ち入り禁止ですよ!」


「あ、はい… あの、お金払いますから、レッカー車呼ぶのに電話1本だけでも貸してもらえませんか?」


「ん? 電話!? じゃあ、そこにあるの使って。」


 僕は、白いヘルメットを被った職員に顎で指された机の上の黒電話を借りてそそくさと用件を済ませ、10円玉を2枚机の上に置いてから事務所らしい建物を後にした。

 事務所を出るときにもう一度お礼を言ったが、返事は返ってこなかった。



 すっかり汗も引いてしまい、海からの夜風が涼しさを越えた冷たさになっているのを感じながら、僕は、なぜか、コルトレーンのアレンジの「Greensleeves」を口笛で吹きながら歩いたのを覚えている。

「助手席に乗る人なんて要らない」

「独りでいるほうが楽」

 なんて、それまでに思っていたことが、ただの“強がり”だったんじゃないかって自問自答しながらの淋しい帰り道に、この曲は、あまりにも似合いすぎていた。



 「Greensleeves」

 電話の保留メロディー使用率No.1ではないでしょうか(笑)

 古くは、僕が保育園に行っていたときのお昼寝させられるためのBGMがこれだった。

 誰もが知っているこのメロディーは、もともとはイギリスの古い民謡で、歌詞もバージョンも数多く存在しているとか。

 その中でも有力な(!)歌詞は、「緑色の袖の服を着た貴婦人に振られた男の未練たっぷりの失恋歌」になっている。

 僕も、その歌詞を読んだけれど、小学校かなんかで習った『グリーン・スリーブス』とはまったく違って、はっきり言って「知らなきゃよかった」(笑)


 コルトレーンの曲の中では、一番好きな曲だし、一番よく聴いた曲だ。

 口笛を吹きながら暗い海岸道路を歩いた、その時期に、前回のCASIOPEA同様、ヘッドフォン大音量で安眠前の布団の中で聴きまくった。

 

 1961年のニューヨークVillage Vanguardで録音されたものと、同年のAfrica/ Brass Sessionsで録音されたものが世に出ていると思う。

 コルトレーンの驚異的なアドリブは言うまでもなく良いけれど、この曲の最大の素晴らしさは、Reggie Workmanのベースにあると思う。

 演奏の間中、このベースのリズムが、まるで、普段は聞こえていない心臓の音を増幅させて流しているかのような見事な基底音をかもし出している。それは、もう、癖になってしまうリズムと音だ。

 McCoy Tynerのピアノも、Elvin Jonesのドラムスもこの素晴らしいベースのリズムに乗っかって主張し、そして、そっとコルトレーンのメロディを支えている。



 防砂林として植えられている松林の向こうで起こった当時の小さな悲劇は、明るい陽の光の中で聴く「Greensleeves」で、僕の中ではちょっとした喜劇に変わっていた。





♪「Greensleeves」/ John Coltrane

https://www.youtube.com/watch?v=BVMeDPemvgA


現在地:新潟県新潟市北区島見町付近 走行中

https://www.google.co.jp/maps/@37.98032,139.1918079,15.25z?hl=ja&authuser=0

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