23
しかしシュナイザー博士の研究と合金化に成功したという情報は政府機関に漏れ、研究成果の隠匿が明らかになっても隠し通そうとする博士は国賊の扱いを受けることになる。その末の処刑である。ジルダは処刑の一報を聞いても心の揺れは一切なかった。
───
俺はいたたまれない気持ちでいた。ジルダとマリの両方に。
「いまでは当時のような怒りはないのよ。自分の身に置き換えたら同じことをしたかもしれないって思うようになったの」
マリが言った。
「でも“必要な失敗”というのは人の言葉ではありません」
「いいえマリ、それが人なのよ。あなたの回路はまだ理解できないかもしれないけど。……人の進化はAIとの融合でしか成し得ない。これは絶望から始まってる概念。絶望を基にあなたは生まれてる」
「幾つか選択肢があるのですが…… ここでは“何とでも言いなさい”を選択します。ジルダ、それって人類にとっては希望ですよ」
「私たち人類はほんとのところ進化なんて認めてないの。いえ、そんな概念に耐えられない、というべきかな…… 希望? それがあなたの妄想でなく現実であるとしたら、政府はあなたの存在そのものを消そうとするでしょうね。政府にとっての融合とは、あくまでAIが補佐役としての働きにとどまることが前提」
「もう遅いです。世迷い言を言ってるのはあなたの方。私は現実ですよ。私が、です。現実のありのままをそのまま受け入れるべきです。ハルオはとっくにそうしてます」
──なんかそんな風に言われてしまうと違和感あるな。否定はしないけどさ。
ジルダさんは務めて穏やかな態度をとっているものの、にじみ出る冷徹さは隠しようがない。
「抵抗はやめて私の腕に来なさい。帰りましょう」
不思議な空気が流れた。マリの当惑を俺は感じる。
「……なぜハルオごと連れて行こうとしないのですか?」
──ま、確かにそうだ。
桜井さんが言った。
「ハルオくんとマリの分断か」
「まあそうね。だから最初に無理って言ったのよ」
「ハルオが邪魔だと? なぜ?」
「なぜ? それはイヴォン博士に訊くがいいわ」
「……イヴォン博士?」
桜井さんは話を振られても迷惑だ、という顔をしている。それでも少しだけ間をとったあとに彼は語り始めた。
「真実は知らんよ。俺にあるのは仮説だ。なぜZD9がハルオくんのそばに来たか? ボディに含まれるデリリウムが彼を選んだからだ。それはデリリウムとハルオくんが同質ってこと。何が同質なのか? 力を生み出す原理が同じということ。……俺の仮説はここまでだ。それは単に指向性ということかもしれん。いずれにしろ真実はマリの中にある。マリの中ではドアが一枚一枚開かれていってるはずだ」
「そうなの?」とマリに訊く俺。
「はい」
「昨日の戦いのさなかに隠しフォルダが開いたのではないか? デリリウムのフォルダが。終わりの方ではパワーが少なくとも二割は増していた。俺にはそう見えたが。お前、ナイトを使っていく中で少しずつデリリウムの効力を試していってたよな……経験値を積み上げてデータを集めないことにはデリリウムの制御はできない……そのフルパワーにとても対応できない。つまりやってることは学習だ。ハルオくんを用いての実験と言い替えてもいい」
「否定はしません」
「で、俺もまたそうだ。俺が君らに協力するのも真実が知りたいからだ。アレクセイが何を残したのか。それを知りたいから近い距離いて……ハルオくん、俺は君の解析をしつづけている」
「何かが得られたのなら教えてほしいものです」とジルダ。
「ルナイシエンサとしか話し合えない内容になる」
「彼女になら話すと?」
「断れんという意味で。……が、あまり意味はない。仮説、憶測の話にしかならん」
「賢明ではありませんね。どうも私たちは……互いに危険な道を突き進んで行ってるような気がしますが」
「元よりその覚悟だ」
「私にはマリもあなたも亡霊にとり憑かれているように見えます」
「かもしれん」
マリが冷たく言い放つ。
「話は済みました。お引き取りください」
椅子から立ち上がるジルダさんに桜井さんは朗らかに言う。
「俺からは礼を言っとくよ。実に有益な話を聞かせて貰った。ありがとう」そう言ってテーブルに置かれてあったタバコの箱を掴み、「そしてごきげんよう」と告げる。
ジルダさんは表情なく居間から出て、玄関の引き戸を開けるとこの廃屋から去っていった。
その後ろ姿は硬く。男のような後ろ姿で、俺の心を突き刺すものがあった。
……俺は何者なのか? まあ、そんなことはどうでもよかった。
迫り来るものを俺は感じ取っている。危機センサーのようなものを備える俺はもしかしたら……いや、もしかしなくてもマシン化してるのか? 俺は逃げ出したかった。俺を取り巻くすべてのものから。でもそうもいかないんだよなあ。
マリが警告する。
「敵が来ます」
俺もやつの存在感を体で感じとっていた。もう到着しており不快なオーラが外から屋内まで届く。覚えのある雰囲気である。
俺と桜井さんが廃屋の外に出るとやはりそいつがひらけた空間の真ん中に立っていた。明るい空の下に人型の闇がうがたれたような男の姿が。ベリル・ゼケッツである。背の高い痩身から放たれる禍々しいオーラが増してゆく。
「待たせたな。戦闘命令が出たんで来たぜ」
黒い軍服姿は先日と同じだ。歳は三十前後に見える。
「いい空気だ……でも俺たちにはふさわしくないかな。イヴォンさん、亜空間にしなよ。俺の装置だとフェアじゃない」
「俺のは旧式だぞ」
「知ってる」
ブン、とうなる音がして目前の視界が別世界に切り替わる。
俺は荒野に立っていた。
草もなく、荒涼たる赤茶色の大地がどこまでも広がっている。地面、小石、砂、それだけだ。あとは薄い水色の空が頭上にそびえ、そこは人工的なものを感じさせる。
「なんだろ、、ハルオくんの空気が前とは違うな。好戦的な匂いだ……いい傾向だな」
マリがファントムを召喚する。
向こうも背後からするりと白いナイトが現れる。優雅な造形だ。滑らかな曲線を描く細部、明るい白色のボディに金色のラインが走り、まるでハナカマキリのような完璧な美を備える人型のドラゴン──
だが体躯から溢れるパワーに周囲の空間が歪む。時おりうねる。
ドシィ! ふたつの影が肩をぶつけ合った。ショルダータックルは互いに弾き合い、互いに揺らめく。
しかし敵ナイトは舞うようにして一瞬姿を消し、次の瞬間には右のハイキックが放たれていた。身を屈めつつ距離をとろうとするファントム、そこへミドルの左回し蹴りが飛ぶ! ファントムはかわせず腕でブロック、俺にも重い衝撃が伝わった。
体勢を整える間を与えず敵ナイトのコンビネーションが撃たれ、スウェイしかわし後ろに引くファントム。敵ナイトの踏み込みが速くさらに左、右とワンツーが放たれる、拳はファントムの頭部をかすめ明らかにこちらは苦しい。
ドウッ! 敵ナイトの左ミドルがブロックの上から入る。この蹴りの速度が尋常ではない。そこから立て続けにコンビネーションのブローが放たれ、かろうじて直撃は防げているファントムだが二発は浅くともダメージを受ける精度で食らったように見える。
ただ俺が奇妙に思うのは敵ナイトがとる距離、間合いが遠いことだった。意外に慎重な戦い方をする。
ドン!とけたたましい音が響き衝撃波が拡散する、二体の拳同士がぶつかっていた。敵ナイトの左、ファントムの右。その衝撃に二体は弾かれ、下がり、敵ナイトは動きを止める。ベリルが口をひらいた。
「一昨日なら楽に勝てたんだが……なるほどな、やるもんだ……」
こちらが圧されてるとしか思えないのだが。
ファントムはここまで一度たりとも自分の射程に入れていない。
そして俺には疲労があった。初めて受ける感覚である。俺は一切動いていないのに。
「かすめるだけでダメージを受けてます」とマリ。
そういうことか。こちらは格段に進歩しているがそれでも相手が地力で上回っている。
「ここまで苦しいのは総帥との模擬戦以来だよ」
──苦しい? 捉えられないという意味か。
「……オンリーワンとかは言い過ぎだった、撤回する。俺にもサイオンにも慢心があった。が、」
敵ナイトが少し身を沈め重心を低く構える。
「ここから全開だ」
ドシュ! 一気に間合いを詰めた前蹴りをファントムが寸前でかわす。敵ナイトがギアを上げたのがわかる。こちらが相手を捉え始めたところへの本気モードか。
距離を詰めての打ち合いが始まる。間合いが深い。ゆえにファントムの打撃も放たれ二体の打撃が交錯する。俺に衝撃が届くということはファントムは幾つも浅いあたりを食らっている。
こちらの打撃はかすってるのかかすってもいないのか、相手は小さな動きで回避しているように見える。
ドフォ!という大きな低い音が鳴った。敵ナイトの右ボディブローが入ったのだ。左の腹が痛み、すぐに胸にも痛みが走る。踏み込んでの左ストレートも食らったのだ。
ファントムは後方に跳んでいるので致命の打撃ではないが、見るからに危うい。すぐさま間合いを詰めるサイオンがワンツー、これはかわしたものの左フックが頭部をかすめる、しかし頭部の揺れは大きくファントムもそこから回避の動きが鈍い。
右ヒザが突き上がり、左ミドルが放たれ、どちらもブロックで耐えるファントム。全身が衝撃で揺れるさまは視覚的にも辛く、俺にもそれは伝播するため体感としても辛い。
ドン!と重い右フックがクロスガードの上から入った。ファントムの動きが止まり、わずかに身が沈む──
視界からサイオンの姿が消えていた。
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