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もうすぐ二二時になろうという頃、脈略もなくマリが「ビオレッタがそろそろテレビ出ますよ。タイムテーブルによれば出演は十時付近ですから」と俺に声をかけてきた。
ビオレッタとは十八~十九人構成のアイドルグループの名だ。ファンではないけれども時代の顔ではあるので歌番組ではチェックしてる対象だった。
それを受けて桜井さんが液晶テレビの電源を入れチャンネルを合わせる。いまはCMが流れていた。
そうか、今日は音楽祭がある日だったか。忘れていた。いまが特に気にすべき時期であるのに。というのもこのグループのカラーを決定づけた主力メンバーである加賀美涼子が最近卒業し、グループの今後の展開に不安があったからである。
彼女の卒業コンサートを終えて初めて迎えるこの音楽祭では“新生ビオレッタ”となるはずだった。加えて、まだ新曲は出ていないので加賀美涼子がセンターを務め卒業ソングとなった楽曲『いつ、いかなるときも』を歌うことが予想できた。
つまり今回は新たなセンターによるパフォーマンスである。……とはいえ俺はまったく期待していない。誰であれ加賀美涼子の代わりが務まるはずはないからだ。彼女が稀代のアイドルだったのは間違いなく、
おそらくは彼女の幻をちらちら脳裏に浮かび上がらせながらの視聴になるのではないか。グループとしての評価は新曲からと考えた方がいい。俺はそう思っている。
CMが終わり彼女たちが淡いブルーの衣装で出てきた。大人数のためいつもながら引きの画面では個々の顔がよくわからない。トークの時間はなくどうやらこのまま歌が始まるようである。
生放送でほぼほぼタイムテーブル通りなのは見る方としては助かる。……イントロが流れ始めた。
センターは若手のメンバーが務めていた。名は覚えていないメンバーである。
……数分が経ち、結論から言えば俺は彼女に謝らなければならない。
代わり、などという域には彼女はなく、そのような過去へのこだわりをかるく置き去りにした。
正直、現時点では器用なタレントではない。まだキャリアも浅いためバラエティでもいまひとつ。
しかしこの日の彼女は自信に満ち、確信を持って番組に臨んでいた。歌番組でのパフォーマンスについては、私が背負う、担えないものでも私は担っていくという覚悟と、私はそれを難なくできるという自信に彼女は満ちていて、可憐な容姿に秘めた強靭なものを画面に示していた。
見事に加賀美涼子の卒業ソングを〈加賀美涼子がいた時代〉からの卒業ソングへと切り替えさせていた。これは彼女の力だ。
恐れ入った。こんなことがあるのか。
昔、加賀美涼子は夏の音楽祭で内面に猛烈な怒りをたぎらせる姿を見せたことがある。生放送ゆえの急な展開がその理由で彼女にまったく非はなく、むしろそのアクシデント的な展開は俺をちょっと感動させてくれたのをよく覚えている。グループの、儚さとふんわりしたイメージを作り上げた彼女はしかし、芸能界の伝統に則った荒ぶる性質(たち)を備えていたのだ。それは魅力だった。
いつも俺たちはそこを見てきた。奥を見たいのだ。或いは奥を表現できる才能や本人にはどうにもできない機会というものを。機会(今日のケースでは加賀美の卒業である)を得ることも重要な才能なのだ。名も知らぬ新しいセンターの彼女はそこを証明してみせている。
桜井さんがぽつりと洩らした。
「こいつは本物だな」
そうだな、と俺も思う。なぜなら、俺が屋根裏に上がって以来、目にしてきた事柄のどれよりも驚きがあったから。
仮に世界がAIに支配され、AIによる創作物やAIによる物語の中で人類が一生を終えるような時代になったとして。
人間が生み出す、こういうリアルタイムの価値を上回ることはできない。決してね。
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