20

桜井さんは険しい顔で沈黙しそれを維持した。そんななかマリの声が響く。


「敵が来ます」


桜井さんの時計も警告音を鳴らし、今回の来訪者は通常どおりの速度で現れ、俺たちが玄関の引き戸を開けた時にはこちらを待ち受けていた。


表に出て、俺たちにつづいてグレンさんも出てくるとその姿を目にした軍服姿の若い男は驚いた。


「な……グレン大将……! なぜここに!?」


「敵軍の偵察かな」


「聞いてません」


「俺のことは気にするな。君は君の仕事をすればいい」


「いるんなら協力してくださいよ」


「俺に戦闘命令は下りてない。そして休日だ」

それから俺たちの方を向いて言った。

「……彼ナイト使いの新人でね。アシュケナージ少尉、十九歳だ。俺は邪魔も手助けもしないから存分にやってくれ」


マリがファントムを召喚する──俺の頭の中に彼女が“召喚”というワードを叩き込んだのだ。


空気が震えた。

ドン!ドン!ドン!という音が響き、その度に空気を震わせる衝撃波が俺の内臓にまで届く。二体の姿は俺の目には見えなかった。移動しつつ打撃を撃ち合ったのは音からわかる。


ガシッと重い音がして二体の姿がひらけた空間に現れた。


二体はプロフェッショナルレスリングで言うところのロックアップの体勢をとっている。両者の体が震え、小さく揺れる。俺の目にはファントムがこの体勢を“とらされた”ように見えた。


銀色のスマートな肢体を持つファントム、甲冑のような上半身でややマッスルな印象のメタリックな紺色に金のラインの入った敵ナイト。下半身は細身でありファントムと共通するものがある。


いきなり敵ナイトが動き、柔道で言うところの払い腰に似た投げを打った──ファントムが地面に投げつけられたように見えた瞬間、奇妙な現象が起こる。視覚に広がる全景が宇宙の光景、闇に星々がきらめく光景になったのだ。


無限に広がる大宇宙というやつである。俺は足場を失い宙に浮かんでいるような感覚に襲われた。


それはほんの一瞬であり元の山奥の風景に戻った時には、ファントムは下から敵ナイトの左腕をアームロックに極め、そこを支点にして体を入れ替え素早く身を翻して立ち上がる。


たぶんナイトの関節の可動域はおそろしく広いはず。折ることは困難なのだと思う。


そこからのファントムは速かった。コンビネーションのブローは敵ナイトを防御に専念させ、しかしそれでも一発の右ボディが入り敵ナイトの左腹部にクレーターを穿つ。同時に敵ナイトは後方に跳んでいた。致命の一発には成りえなかったようだ。


ファントムの姿が消え、再び現れた時はすでに間合いを詰め、周りの空気を揺らすような重いフックを左右に放ち、敵ナイトが身を屈めたところに右膝を突き上げる。


両腕でブロックする敵ナイトだが体が浮かび上がってしまう──左ストレートが顔面に直撃、ゴン!という音を響かせ衝撃波が辺りに広がった。


敵ナイトの動きが止まり、黒い軍服の男が地面に崩れる。ぴくりとも動かないアシュケナージ。大丈夫か、と俺は思ってしまった。彼はまだ若い。


敵ナイトが姿を薄くしていきやがてこの世界から身を消してゆく。それでもファントムは戦闘態勢をといていなかった。


マリがグレンさんに声をかけた。

「とどめを刺していいですか」


もとよりそのつもりはないのだがコミュニケイトとしての問いだ。


「やめてくれ」


赤いラインのサークルが地面に倒れ込んでいる男を囲い、その闇に包んで彼を元の世界に帰投させる。サークルが立ち消えるとグレンさんが俺たちに言った。


「お互いに経験値を上げた、というところだろう。なかなかに見応えのある天才対AIの戦いだった……と同時に感心するのはハルオくんにまったく疲れが見えんところだよな……どうなっとるんだそのスタミナは? 理解しがたい……」


「? 俺は何もやってませんけど」


「君が動力源なんだし……だいたい撃ち合ってるんだから君にも衝撃があるだろう?」


──? まったくないわけじゃないが、、そんなにはないよ? ああ、ベアハッグは強烈に痛かった。あれはとんでもなかった。


桜井さんが解説した。

「衝撃緩和機能というやつを組み込んでるんでね……人工ナイトの利点だ」


……そうなのか。だから絞め技は“効く”わけだ……困ったな。ウィークポイントということになる。


「そうなのか……そこはずるいな」


グレンさんはそうこぼすと廃屋の中に戻っていった。


俺はしばし目の前の風景を眺める。さきほどの戦いを脳内でリピートさせ記憶に刻もうとした。正直言って喜びの感情があった。

ファントムの戦いぶりには変化があり、体術の面でかるく二クラスは上にいるリラクシンの影響がかい間見えたからだ。


正確には制御しているマリに、ということなのだがつまりこれはまだまだファントムが強くなっていくことを示してる。相手にも恵まれたのだと思う。同等に近い戦闘力同士だったからこそ引き出された力なのだ。


ファントムに余裕などといったものはなかった。


「途中のマジックは何だったんだ」とマリに訊く。


「イリュージョンです。日本語だと幻術。相手を戸惑わせる機能ですね。そもそもはこれがロジェントファントムの基本的な性能、特徴なんですよ」


「あ、そうなの」


……ということは追い詰められていたとも言えるのか。つまり敵に新たな情報を与えてしまった。


風が吹き、林の葉ずれの音がかすかに聞こえてくる。ここには殺伐とした空気が流れている。山の息吹や精霊たちの気配など一切なく、ただの何もない空間がぽっかりと出来上がっている感じだ。


八百万の神々でさえ忌避する空間に思える。


俺は自分の役割がわからなくなってきていた。そんなことよりも戦いに対する興味が強く涌いてきていた。それでいいのか? それは正しいことなのか? と問う声がする。


しかし答えをいまの俺は持っているのだ。生きるために戦うのがわるいことなのか?


豹の如くしなやかな肢体と可憐さを併せ持つ歌姫が唄うように、……サビと唄のクライマックスが異なりどちらにも大きなパワーを要するため“自分のものにすること”が大変に困難なその唄に彼女が挑んだように……、ほぼ一年に渡るあいだ、彼女がその唄にシンガーとしての命を賭したように……“生きるため”だ。俺は廃屋に引き返していった。


屋内に戻ると桜井さんとグレンさんが静かに言い合いをしている。遠巻きに見ているとどうやら机の上に置いてあったタバコを一本くれと申し出たグレンさんに対し桜井さんは断り、そこで揉めているようだった。一本くらいやればいいのに。


「廃番だからやれないと言っている」


「だから、もう手に入れられないから味見させてくれと頼んでおるのだ」


「ものを頼む態度じゃないだろ。よろしくお願いしますだろ」


「このひげだらけのオヤジは……どこまでがめついのだ」


「オヤジなのはお互いさまだ」


「一本くらいあげればいいのに」とマリ。


桜井さんは怒っていた。

「お前まで……なんてこった! せっかくJTが俺に送ってくれたサンプルなのに!」


「サ……サンプル品なのか?」


グレンさんは驚いている。


「ああそうさ。この世でたったひとつのさ」


それは確かにそうですけど。


「タダで貰った物をわけてやらないと……? ……参った。そこまでとはわからなかった。銀河一のどケチを相手にしているとはわからなかった。失礼した」


深いため息をついてから、無言でタバコの箱をグレンさんに渡す桜井さん。


グレンさんも無言でそれを受け取り、一本抜いてから返す。


廃番のその一本に火をつける前に、さっそくフィルターの端を噛む。そこでカプセルが弾けて香料が広がるらしい。それからグレンさんは火をつけて吸い始める。


「おいおい、半分くらい吸ってから噛めよ」


「お……確かにメイプル風の味わいが広がるな……」


しばし味わう。それから感想を述べた。


「なるほどなあ……深い味だ。しかしこれ吸わないことにはわからん味だよな。宣伝が難しいわけだ。言葉では想像できん味だ。開発コストはでかかったろうになあ」


「礼は?」と桜井さん。


「俺がこうして味わえるのも、あんたにサンプルを送ったJTのおかげだ。ありがとうJT、だね」


ネットでは喫煙という行為に対して否定的な意見が多い。叩きやすい案件ゆえ、喫煙者をクズ扱いする意見もめずらしくない。肯定的、あるいは正当化する意見は少数である。俺はいまのところ吸ってないのでどちらにもつかないのだがこうした状況はバランスをひどく欠いてると感じる。


反論の弁が難しいことも一因にあるものの、要するに喫煙者が反論の言葉を鍛えていないことに最も大きな原因があるように思う。


吸い終えるとグレンさんは携帯灰皿を俺に渡し、床から立ち上がると、コーヒーごちそうさん、と言って居間を抜け、玄関から出ていった。そうやって彼はこの廃屋から去っていったのだ。


俺から見ると彼は立派だった。彼は得るものを得……俺たちにも俺たちが求めていたものを与え、いいのかわるいのかわからないがともかくも敵軍と関係を持つことに成功した。


たぶんそこには彼にとっての国益というものがあるのだろう。



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