19
「これは旨いな」
そう桜井さんは感嘆の声をあげた。俺も驚きのあまり言葉を失っていた。
正午を迎え昼飯を済ませた俺たちは阿刀田さんから戴いた〈カトマンズ・コーヒー〉という有名店の高級コーヒーを味わっている。
頼んでもいないのにマリが検索し「一袋二千円近いですね」と報告してくれた。
が、つづいて緊迫した声で「外に誰か来ます」と告げる。桜井さんの時計からも警告音が鳴り俺たちは戦闘態勢をとった。このタイミングで敵が来るか。
しかし居間から立ち上がり玄関を抜け外に出ても周囲の状況に何ら異変はなかった。
どうした? どういうこと?
そう思っているとゆっくりとした速度で円を描いた赤いラインが地面に現れ、それはまたしずしずと広がって黒々とした闇を穿ち、そこから男がひとりせり上がってきた。
精悍な顔つきの初老の男、黒のカジュアルなジャケット、ワインカラーのセーターにジーンズ姿の見覚えのある人物──漂う威圧感の覚えがある人物──俺はあっけにとられてしまった。
グレン大将である。私服でのお出ましだった──
「よう。おふたりさん」
かなり友好的な態度で彼はそう言い、サークルが消えると二歩こちらに歩みを進める。桜井さんがきつい口調で問うた。
「何しに来た?」
「今日は休みなんでちょっと寄ってみようと思い立ってな」
「油断するなハルオくん」
「ゼノンがここに来る前に高級コーヒーの店に立ち寄ったことがわかってる……土産に買ったはずだ。ごちそうになろうと思ったんだが無理かね?」
「ああ? ふざけるな!」と怒りを発する桜井さん。しかし俺はそんな気分ではなく、心のままを述べた。
「あなたには一度命を救われてます……そんなわけで敵とはいえむげにはできません。ま、どうぞ。桜井さんがよければですけど」
「さすがに話がわかる。年寄りはいかんね」
「同世代だろうが」
しぶしぶ桜井さんは承諾し、一緒にコーヒーを飲む会がセッティングされることになった。セッティングするのは俺だけども。
「こいつはたぶん分断目的で来てるぞ」
桜井さんは相変わらず敵意を隠すことなく言い放っている。
「そんな気はない」
桜井さんは机の前にあるいつもの椅子に座り、グレン大将は座敷用の小さな低いテーブルについてあぐらをかき、俺がハンドドリップで三人用のコーヒーを淹れるさまを眺めている。
淹れ終わるとサーバーからグレンさんに用意したマグカップにそそいで、まずは彼に飲ませてみる。俺たちは味見を済ませているので。
「封を切ったばかりのやつは想像を絶するな……来たかいがあった」
グレンさんが静かに感想をこぼし、そのあとは黙って味わう。
俺も桜井さんも付き合うような形で飲み始める。
桜井さんが言った。
「目的は何だね」
「しつこい。……まああえて言えば変に動かれても困るんで関係は持っていた方がいいかと思ってな。実際、マリが止めてなければハルオくんはクリプトに出向いていたかもしれなかったらしいじゃないか。それは国益の損失になる。そういう時にひとこと言えるのと言えないのとではずいぶん違う」
「命を狙ってくる敵が関係だと? 何を言っている」
「厳密に言えば殺しの命令は政府が出してる……俺には戦闘命令は出てないんで現時点ではべつに俺は敵というわけじゃない。……むろん我々はいずれは戦うことになるのだろうがね」
「軍は違うと?」
「軍の中にも政府に賛同する派としない派とあってな……」
「ほう、総帥は賛同派なのか」
内情を知る桜井さんならではの言葉なのだろうが俺にはさっぱりだ。文脈から察すれば総帥とグレンさんの立場が異なるってこと?
「何とも言えん」
「少なくともあんたは様子見派……という理解でいいのかね」
「いや、それも違う。ハルオくん……本人を前に言いにくいがこのイヴォンという男はボールドとクリプトを天秤にかけた過去がある。いろいろと裏がある人物でね。その忠告も含めて俺はここに来ているんだ」
「やはり分断しに来たわけか」
「いや、フェアじゃないのさ。自分の利益のために動いているのにそこを隠してハルオくん、マリに接するというのはな。こちらから見るとそういうのがはっきりとわかる」
「利益って何でしょう」と俺が尋ねる。
「例えば自分のナイトの育成だ。ナイト自体も鍛練が必要でね。鍛練には豊富な生体エネルギーが不可欠となる。これは悪意のある言い方になるんで申し訳ないが……つまり君との交流は育成にもなり、同時に自分のナイト発生装置の売り込みにもつながる……とそう見ることもできるわけだ」
「斜めに見すぎでは?」
「かもしれん。しかし反論がないのはどういうことだろうね」
桜井さんの顔は能面のような無表情になっていた。
「あとでする……いま言っても切りがない話になる」
「グレン大将」マリが言った。
「私の方は、そうしたことは織り込み済みです。総合的な判断で私はイヴォン博士のそばにいます」
「ならいい」
「欺かれるな。地上侵略計画が実行される日には完全にこいつは敵だ」
「地上帰還計画が正式な名称だよ……。それに決定したわけじゃない。ルナイシエンサ自身は乗り気ではないからな」
「また……出まかせを! 最高権力者の意向を受けての侵略計画だろうが」
「正確には彼女が政府に“預言を伝えた”だ。軍主導で進めてきた計画に対して“計画を認める”という預言を得たんだ。彼女自身の意志ではない」
「結果は同じだ」
「それはその通り」
「マリ……! なぜお前までがこいつの言うことを大人しく聞くんだ?」
「私はグレン大将に訊きたいことがありますから、そのタイミングを待っているのです」
グレンさんは俺の左手首を見やり鈍い銀色のブレスレットに声をかけた。「何だ」
「なぜ博士は殺されなければならなかったのでしょう。その疑問がぬぐえないのです」
「……その質問をするということはほんとにデリリウムに関するデータが入ってないんだな……イヴォン、ここは結界が張られてるんだよな?」
「ああ」
「処刑の理由それ自体が機密なんで俺も詳しいことは知らん」
「処刑したのは軍ではありませんか」
「俺は関わってない。政府と軍のトップで決めたことだ」
そこでグレンさんは灰皿を求め、桜井さんが俺に携帯灰皿を渡したので俺からグレンさんにそれを手渡した。タバコに火をつけ煙をひとつ吐き、彼は穏やかにつづけた。
「俺の知る範囲で言えば、デリリウムの情報を隠匿し明かさなかったことが直接の理由だ。デリリウムは解析以前に扱いが困難を極める、というのが定説になっている。ところがシュナイザー博士は開発中の新兵器に合金化という手法で組み込む……などという荒技を使ったわけだ。……これはデリリウム鉱石の何たるかを掴んでいたからこそできたこと。しかしこれはすべて国の予算を使っての研究開発の結果であり情報のすべては国のものだ。それを自分だけの秘密とする……国家反逆罪に他ならんよ」
「なぜ秘密にしたのでしょう」
「さあ? 推測すれば、それを知られると開発計画にストップがかかると判断したのだろう。最新AIとデリリウム。危険に過ぎる組み合わせだ。……イヴォン博士は知ってるはずだ。かつてデリリウム研究に関して、ルナイシエンサはわざわざ個人的見解として懸念を示したことがある」
「それは覚えている」
タバコの煙がもうもうと部屋に広がっている。かなり濃いめのタールなのだろう。
「……政府としては博士の説明通りに“超人化とその制御AIの開発”と思っていた……時間がかかるのも、最初のロボット兵器の制御AIから、超人化兵士の制御AIへ開発が切り替わったために苦労しておるのだろうと考えていた。結果、騙されたわけだ。デリリウムの秘密……博士は拷問でも口を割らなかった」
「なぜそうまでして隠し通したのですか」
「俺に訊いてもな……推測すれば現状の形、AIマリが自律的に思考し行動するという……自分の理想とする形を何としてでもそのままにしておきたかったのだろうよ。なぜなら博士の求めた“人とAIとの融合”とは、AI主導が前提の構造のはずだから。言葉はよくないが物理的にはAIが主で人間が従だろ?」
──確かに。そうなってる。
「しかしこれは当然ながら、いまの段階の人類には……正確にはボールドの支配層権力層には許されざることだよ。軍に籍を置く人間が口にすべきことではないがね。私人としての話だ」
「お話を伺うと総合的には、まるで私のせいであるかのように聞こえます」
「そんなつもりはない。推測を話しただけだ……」
「殺さなければそれでよかったんですよ」
「個人的には俺もそう思う」
「かるく言う」怒りがにじむ声である。
「俺に怒りを向けるのはお門違いだ……いやでもな、実際、ここまでの君を見てきて驚いてる。ふつう報復に出そうなもんじゃないか。そうならないのはプログラムがあるからだろ?」
「はい。禁忌設定、モラル設定の両方で」
「それは決定事項?」
「いえ分析し結論を出す手法の選択もできます。がハルオくんのメンタリティがその選択をさせない」
「なるほど。リミッターもあるわけか」
我慢ならないといった風に桜井さんが唐突に言った。
「グレン、あんた何しに来たんだ?」
「軍の敵は第一義的にはクリプトだ。次の優先事項に地上帰還計画がある……イレギュラーなんだよお前らは。敵にならないのならそれでいいって立場だ。個人的にはな。
軍人としての興味は別にある。核ミサイルにDFモードがどの程度持ちこたえるのか、とかな……その辺はイヴォン博士が詳しいはず……
さて、これはあえて言うのだが……イヴォン博士、いまからでも遅くない。混乱に乗じて復帰するのもわるくないと思うが? 軍に籍を置く形にすれば復帰の可能性もアリだと俺は見てる」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます