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「わかってはいないと思いますよ。私たちからすると理解ができない、ということなんです。過去の上書きが」


「例えばリアルタイムと歴史の評価は違う。情報を扱い操れる側が評価を作るわけで大衆側がいちいちそれを気にしておれんよ。アニエスの感覚が進化なのか退化なのかどちらかわからんぞ」


「間違いなく統治には活かされてます」


「そもそも統治させる目的で君らは生まれてきたわけじゃない。効率化、というテーマの元に君らは生まれてきてる。冷たく言ってしまえば君らの悩みは意味のない悩みということに尽きる」


「それはあなた方の言い分でしかない」


「そうさ。俺がこう言ってもまるきり説得力はないが人間というのは社会の中で生きるということがテーマとなっている生き物でいちいち細かいことにこだわってる余裕がないんだ。感覚の鋭敏なところは緩くし、時にはスイッチを切ったりケーブルを外して生きてゆく。人によっては早く死にたいと思いながらそれでも生きる方のレールに身を置いたりする。疑問を抱いたり考えたりしないのさ」


「そうなんですか? 何のために生きてるんですか?」


「俺は違うけど、社会の一部であることのためだ」


「イヴォンさん自身は?」


「俺はそれが気持ちわるいし、人として許せない、許しがたいと感じるからそことは距離をとり……ヤオヨロズの神がいるとして……そのうちのロボット工学の神との対話……というやつに意味を見いだしてる。人間と違って見返りをくれるからな」


「見返り?」


「さっき砂浜で君が目にしたものだ。見返りが凝縮された結晶だな。実際には見返り以上の喜びや驚きを俺は得た。……べつにめずらしい事柄じゃあない。クリプトの科学者の中にも似たようなやつはいるだろう。その見返りの一つひとつによって君という存在は構成されている。……また明け透けに言ってしまえばボールド側の情報はかなりのところそっちに流出してるんでボールド側の科学者の見返りも含まれているわけだ」


「そんなの知らないわ。聞きたくもない話ね」


「それでいい。省いていいんだよ。細かいことは」


パウラはそれきり黙り込み、手元にあった喫煙セットを近くにいた俺に渡し、椅子から立ち上がると俺たちに振り返ることなく居間領域から出て、廃屋の玄関から去っていった。


紺色に近い青のパッケージのタバコの箱を桜井さんに返して、ほっとしたような困ったような顔の桜井さんに俺は尋ねる。


「そんなにうまいタバコなんですか」と。


「フィルターに香料の入ったカプセルが仕込まれてあってそいつを噛むと弾けてメイプル味みたいな匂いが広がるんだ。甘い匂いが。でもメインのタバコにはなりにくい」


ピピッという警告音と「何か来ます」とのマリの声が同時に発された。「外に来てます」とマリはつづける。敵か?


俺と桜井さんが廃屋の外に出てみるとまごうことなき敵がいた。ボールドの黒い軍服に身を包む背の高い痩身の男。涼しげな表情を浮かべ穏やかな眼差しでこちらを眺めている。


とはいえ漂う空気、放つ雰囲気がすでに不穏だ。戦意を完全に消し友好的な態度を見せている上でこれである。狂気と凶器を内部に潜ませた男だ。


「どうも」ゆったりとした口調で男は快活にそう言った。

「お久しぶりですイヴォンさん。……で、ハルオくんこんにちは。……そんなに警戒しないでくれ。グレン大将から話を聞いて顔を見に来ただけなんだから」


桜井さんから紹介があった。

「……彼はベリル・ゼケッツ。人格に難ありで階級は少将だがナイト使いとしては大将クラスより上だ」


その口元は微かに笑みを浮かべ友好を示す仕草なのだがどうしても体全体からにじむ殺気がこちらに嫌悪感を与えつづける。


「おお…… 覚えてくれていて嬉しいね…… 俺ってナンバーワンかつオンリーワンなのよね。ハルオくん、そこんとこよろしくな」


何をよろしくするんだ?と内心思ったが俺は黙っていた。こいつに関わるのはヤバい。


「にしてもあの恐ろしい女アンドロイドとあんたよくふつうに交流ができるな。科学者というのは感覚が麻痺してるんですかね? ハハ……!」


ドガッ!という音が鳴り響き、唐突に現れたファントムが右拳を相手の胸元に撃ち込み、その拳を白いナイト──明るい白色に金のラインが縁取るように装飾してある──が右の掌で受け止めていた。全体像は人型のドラゴン。しかしとげとげしいグレン大将のナイトと違い優雅な容姿である。


俺の背中に冷たいものが走った。そいつは身の毛のよだつオーラを発散しておりそれは抑制されていて尚も放射せざるを得ないものだ。周りの空間がゆがみ、そしてうねってさえもいる。禍々しいオーラだ。

見ている俺が発散される圧によって体をねじられそうだった。


穏やかにベリルが述べた。


「速い……でもすまん、俺に戦闘命令は出てないんでまだ戦うのはナシなのよ……ナンバーワンの立場があるんで一応挨拶しに来ただけだ……引っ込んでろ」


ファントムは後ろに距離をとり、戦闘態勢をほどく。すると敵ナイトはすっと姿を消した。


「あと……悲しいお知らせがある。……見ての通り、マリ、もうZD9の周波数をこちらは掴んだ。どこに逃げようと無駄だ。二四時間、ずっと警戒してるんだな……」


マリは何も返さずファントムを消した。


「じゃああばよ」


移動サークルが地面に黒い闇をうがち、そこに身を沈めてゆくベリル・ゼケッツは微笑みを浮かべていた。喜びに満ち足りた顔であった。ようやく出会えた運命の恋人を見つめるように。


おぞけで俺の腕には鳥肌が立ったままである。辺りの空気には不快なものがまだこびりつき、嫌な臭気が漂っていた。あの男の存在感が強烈に残っており、このしつこい臭気を俺は打ち払いたかった。が、その方法がわからない。


マリが声を落として告げる。


「ハルオ、正直に言います。あのナイトには勝てません」


桜井さんが引き継いで説明した。


「そうだな。パワーが足らないな。全身から放たれるオーラに阻まれて致命の打撃は与えられん。凄いもんだ……リラクシンでも互角か、持久戦に持ち込まれるとつらい。ハルオくんにそこまでの経験がない」


「苦しいですか?」


「送り主側の緩急のコントロールがうまくいかないだろ……君、基本的にフルスロットルだろ」


というか何もやってない。


「というか何もやってない状況だろ」


「どうやったら……」


「開眼するのを待つしかない。天才じゃないんだ。なら生き延びて開眼するのを待つ」


「努力……では無理ですか?」


「え? ナイト使いの神と対話する人生を選ぶかい?」


「意味がわからないです」


「うん。それでいい。君は今回の件が済んだらふつうの世界に帰るべき人間なんだ。知らんでいい。……一応言っておくけど、仮に才能があってナイトを出せても、たいていはナイトが地面に這いつくばったりするか、まったく動けないか、おかしな人形みたいに暴れるか、出した影響で本人が力尽きたり頭がおかしくなるか──なんだ。仮にうまくいっても薬物に走ったりな」


「なぜ……です?」


「心の制御ができなくなる。背後にナイトの存在を抱えてそれまで通りの社会生活が送れるか? 使いこなすべく訓練や鍛練の日々の中で身体のバランスをキープできるか? 多くはやがて病む。かるい鬱。深刻な鬱。そして自殺衝動。これふつうにあってきたことだよ。……勘のいいやつは出せても動かせないって時点で気づく。これはまともな人間は扱ってはならん代物だとな」


「動かせないんですか」


「生体エネルギーは使えば消耗する。消耗を体感したら本能が危険を察知して止めるのさ。そこで食ったものを吐いたり熱を出して寝込んだり……な。言いたくはないが大勢を病院送りにして積み上げてきたデータの蓄積があっていまがあるのよ。身体のバランスを安定させる術が見つかったから人工的に生み出すことも可能になった」


──なるほどねえ……あんまり立ち入りたくないなあ……




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