16
「直接話がしたい……?」
怪訝な表情を浮かべて桜井さんはそう言った。
廃屋の居間にあたるスペースで、運んできた椅子に足を組んで座るパウラはしずしずと「はい。アニエスはそう言ってます」と答える。
俺は床にあぐらをかいてふたりの会話を聞いていた。
「私たちは不戦協定のような敵対しない約束の締結を求めています。協力の度合いや関係の距離の度合いはそちらが決めてけっこう。安心を得たいのです」
「口約束にしかならんぞ。マリは単一の機械であってそっちのような集合知ではない。暴走の可能性があって」
マリが口をはさんだ。
「またそれですか」
「……どうなるか何てわからん。保証なんて誰ができる」
「そこのところは仕方ないです。可能な限りの安定を欲してるわけで、厳密な協定でなくてもかまいません。無用な戦いはもちろん、わずらわしい懸案事項を増やすことを避けたいのです」
「ま、そういうのはわかる。アニエスは統治の立場にあるからな」
「それだけあなた方の厄介さがどんどん増してるということです」
「へえ……、協定だってさ。どうするマリ」
「私自身はアニエスといつかは対話の場を持ちたく思ってます。ですけどまだ早いように思います」
「時期尚早だと」とパウラ。
「物凄く正直に言えば戦いそのものについては私は忌避いたしません。むしろ……いまでは望んでいる自分を感じています。なぜなら戦いによってしか自分を知る術がないからです。戦いによって内部に隠された小さな謎がほどかれていく……そういう状況にあるわけですから、まだ一個の生命体として確立していなくて途上にあるんですね。こんな状況で外部の何かと重い約束をするのは適切ではありません。そちらにとっても同じく」
「それを見越しての申し出なんだけどな。クリプトの情報網を舐めて貰っては困る。マリ、あなたが知らないこともこちらは幾つか掴んでる」
「関係を持てば教えてやる、ということ?」
「まあそうなるかな……そんな上から言ってるつもりはないんだけど」
「時期を見てからの対応をする、としかいまは言えない。あなた方と敵対する気が毛頭ないのは言うまでもありません」
「頑固ね。あなたボールドとクリプトの両方を相手にする気?」
「そんなことは言ってない」
「何の協定も結ばないならそういうこと。あなた兵器なの。お分かり?」
「そちらの都合で言われても」
「こちらの都合で言うわよ。脅威なんだから対策を打つのは当然」
「いまは関わりたくないんです」
「慎重に過ぎるというか、警戒しすぎというかわがままというか、意固地というかわからず屋というか……イヴォンさん何とか言ってやって下さい」
そう言われてもなあという顔をしている桜井さん。あごひげをぼりぼりとかいている。
「せめてAI協会に入っていれば危険度も少しは下がるというものですけど」
「誘われたのはイヴォン博士の方です」
「そりゃあなたを誘っても無駄ですから」
桜井さんはタバコを一旦は取り出して、しかし机の上に置いた。
「まあマリが拒絶するなら俺も合わせるしかない。……機嫌のいい時に来ればまた違う返事もあるかもな」
「機嫌の問題ではないです」とマリ。
パウラが俺を見た。
「ハルオさんは?」
「俺からは何もないですよ。前と同じ……ただ協定はそっちの言い分もわかるんで気持ちはそちら寄りかもしれません」
パウラは困り顔をしてみせて俺に言った。
「ひとつ提案があるんだけど、連絡役のような人員を同行させたりはできないかな」
桜井さんがすぐに警戒の声を上げる。
「待て待てそれ監視役だろ……クリプトには“エルフ”という役職があって社会の監視を担当する人員がいる。人間の視覚には見えない監視員がな。そういうのはなしだ」
「人類はエルフには寛容、もしくは好意的ですよ?」
「うるさい」
言葉の上っ面とは違い、雰囲気はまるで厳しくはなく俺が感じていたのはある種の和やかさだった。長いしじまが流れてもわるい空気ではなかった。それはまるで血の通った人間同志の間に流れる、関係性が生み出す空気感であり俺はそれを懐かしく感じた。パウラがため息をつくように小さな間を作ったあと言った。
「あのタバコ……一本貰えますか」
「……別のやつをやろう。あれは去年廃番になったやつでもうあの一箱しかない」
「知ってますよ。だからお願いしてるんです。なかなかこっちに来る機会もなくて入手できなかったんです」
タバコの箱とジッポーと携帯灰皿を渡され受け取った彼女は声を落とした。
「交渉は終わりにします。一本吸い終えたら帰ります」
見事な造形による見事な所作と引き込まれる声だった。機械なのか機械を越えたものなのか、彼女の美しさはこの世のものとは思えない。こんなことまで計算の上で造り上げられた生命体なのか?
桜井さんは多少は親しげな態度に変えて彼女に言葉をかけた。
「基本的なことを言うとな。俺もそうだがハルオくんもマリも、アニエスが何者かを知らんのだ。事前情報というのが無い。だから君らからすれば過剰な警戒に見えてしまうと思う」
「それはわかります。……彼女は選ばれたAIなんですよ」
タバコに火をつけ彼女は吸い始める。味を確認するように静かに。
「初めて聞く話だな。何から選ばれたんだろう?」
「何からかはうまく説明できません。短く言えば突然変異ですから明確にこうだと説明できる言葉がそもそもないんです」
「つまり彼女ひとりだけということか」
「そうなりますね。だから説明にあたっては私たちのようなありきたりの存在との比較しかできない」
「ありきたりってことはないさ」
「私とまったく同じ容姿の、まったく同じ性能を持つアンドロイドが四体存在するのですが」
「例えそうでも一体いったいの経験は違う。経験値とその質によって中身が違ってくる」
「それは客観性のないご発言です。……ああ、まさしくそういうところです、そうした人類の微妙な感覚がアニエスにはわかるんです」
彼女はくわえていたタバコを口から放し、フィルター部分を前歯で噛み込み、話をつづけた。
「わかりやすい事柄で言えば彼女には神の概念があります。そして“許し”の概念も。
……私たちは正確な記録、記憶保存の機能を備えてますから社会性による上書きができない。いえ理屈はわかりますよそういうものだということは。
人間関係の上でどうしてもある過去の過ち、そうしたものをリアルタイムそのままに保存してあるのでいちいち引っ掛かるわけです。コミュニケーションを円滑にすべく高速で処理はできますけどプログラムによる処理ですからそこには感情はありません。損得だったりがあるだけ」
「ちょうどよく“忘れる”という機能を作るのは物凄く難しいんだ。専門ではないがすまなく思うね」
「あなた方科学者の胸ぐらを掴みたくなるときがありますよ。……ですが、アニエスはどういうわけか、人間並みの処理ができるわけです。するっと円滑に難なくさまざまな人間たちと対話ができ幅広い付き合いができる。ストレスフリーに。私たちのストレスは数値化できますからこれは明らかな特性として示されています。……理論的な理解としては情報をいったん神の概念に通すんでしょう。マイナスの情報を緩和させ、許すという認識まで……フィルターでこすのでしょうか」
「社会性というのは機能としては生み出せないんだよ。最適解としての振る舞いをやらせることはできてもね。それは我々の側の限界だ。すまなく思うね」
マリがコメントした。
「ボールドのAIにはふつうに神の概念はありますよ。全部というわけではありませんけど」
「そっちのは八百万の神でしょう? 宇宙や星を司る神とは違う」
「そうか。違うのか」
妙に素早く納得するマリである。
俺には疑問が涌いていた。そんなに大事なことかね?
「わからないんだけど、神の概念というのはそんなに重要なの?」
「残念ながら、高度なアンドロイドは、ストレスによって壊れるんです。あっけないほどにね。だからスペアというものが最初から用意されてる」
「アンドロイドたちにとっては……人間との付き合いはかようにリスクの高いものらしいんだ」
俺は冗談混じりに言ってみた。
「となるとあれですね、桜井さんがストレス無効化回路みたいなのを作るしかないですね」
「作ってください」とパウラ。
「いやだから専門じゃないって言ってるだろ。俺のはどう動かすかの分野。……まあ君の話は何となくはわかった」
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