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「敬う、という文化が結果として国の力となる……国力に結びついていく……という理解でいいのかしら」


「はい。難しい話ではないです」


「難しいわ。人々の意識が集中、集合するとそこに何かが発生するって話でしょ。知識としてそういう現象があるんだというのは知ってるし理解できるんだけど体験できないからほんとの理解は難しい」


「伝統文化に価値を置くってことです。その正体が敬う、という文化ですよ」


「……じゃあ突きつめて言うと権威でなくてもいいってこと?」


「はい。だから個人的には、明日からガッキーが女性天皇です、よろしくね、となっても俺としては全然敬えますね。敬うこと、なんです。俺にとっての天皇制は」


「ガッキーがよく分からないけど」


「女優さんです。例え話ですよ。とてつもない地震が起きたり、立てつづけにあらゆる自然災害に襲われて人口が半分になる……隕石が落ちてきて国土の半分を失う。もしそんな事態になっても敬いの対象である天皇の存在があればそれを土台として復興の礎とできる。大きな混乱なくスムーズに復興の段階へと進むことができる。闘争を避ける意味合いも含んでます。本質はそういうものです。そこにあります。でもクレームつけたり認めない人がいるんで客観性のある理屈を必要とするんですね」


「後付けってこと?」


「憲法も法律も後付けですよ」


「とするとこの国で仮にAIが統治するような時代になっても、天皇制は維持されるわけ?」


「ああ……うまいこと言いますね。その通りです」


「もしかして“統合の象徴”というのは幻想でなしに、幻想に対する支持でなしに、ほんとうに言葉通りのものなの?」


「そうだと思います。正確にはそうなってきたと言うべきでしょうね。こうやって語るようなことをタブーにしてきた時代が終わり、俺たちは違うステージに立ってる。過去の功罪にある罪は破壊とその正当化、そこを黙ってろという同調圧力でしたから、俺たちには組み立ての方をひとつひとつやるべき宿命のようなものがあるんでしょう。……これはいま思いついたんですけどね」


「……このやりとり、アニエスにそのまま報告していいかしら?」


「どうぞ。名誉国民を撤回されたりして、ハハ」


「ちょっと驚いてるわ。なんでアニエスはあなたのことを知ってるんだろう?」


「というと?」


「彼はクリプトが必要としてる人材だと。そう言ってたのよ。つまりシステムを補完する要員としてのリクルートでもあるってこと」


「へえ……怖いですね。会ったこともないのに」


「残念ながら私たちの統治には、“人間という生き物の統治”に対してまだ欠陥があるのよ。社会の統治はうまくいってても」


「ああ……。でしょうね」


「言わば心の制御というのを天皇制を介して行う、天然というか自然のシステムがここではすでに出来上がってる……と、そうアニエスは私に解説してて、彼ならもっとうまく説明してくれるはずだとも言ってたのよ」


「できたんですかね?」


「私には充分に。だからそこを壊そう、打ち消そうという勢力が本気になってるわけだ」


俺は返事はしなかった。


「不思議だったのよね。分からなかったの。ニホンジン自身によるニホンに対するレイシズムというものの背景が」


俺は黙っていた。


「今日のところはこれで帰ります。指示があればまた来るからその時はよろしく」


電子タバコ的な物をケースに仕舞い、素早くソファーから立ち上がったパウラは金髪をなびかせて居間を去っていく。俺は見送ろうかと思ったがもう玄関の戸を開く音がしたのでそれはやめた。


しばしテーブルについたままぼうっとし、ずっと黙ったままのマリも沈黙をつづけていて、部屋の中は長い静寂に包まれている。


俺には情報の整理が必要だった。地下空間にはふたつの国がある。敵の敵は味方というような単純な構図はそこになく、どちらも俺にはそれぞれ脅威に映る。そして同時にマリもまた、極論すれば彼女も脅威には違いない。では俺は?俺は誰なのか。いまの俺は。


メール着信を伝えるバイブ音が鳴ったのは二二時十六分のことだった。送り主はsakuraiとあるが知らない相手である。


サブタイトルに【マリへ】と表記されてあり、開くと内容は【連絡してこい。イヴォンより】とだけ。マリは当然すでに読んでいる。


「知り合い?」


「その人物の過去に関する資料はたっぷりとあります。でも直接の関わりはありません。私が誕生するずっと前にこちらへ移住した人ですよ。資料によればシュナイザー博士の元仲間で元科学者、仲たがいしてチームを抜けたあと移民となってますね……サイコパスの疑いが強いという記述もあります」


「へえ……そういう人もいるんだ」


「こちらでは世捨て人みたいな暮らしをしているようです。想像はつきます、結界をそちこちに張って警戒しながら隠遁者のような生活を送っているのでしょう」


口がわるいな、と俺は内心思った。その人物にまつわる情報がマリにとってネガなものが大半なのだろう。


「こちらでは桜井辰巳なんて名を使ってますね」


「言い方にとげがあるね」


「命令される覚えはありませんから。どうします? 私は無視してもよいかと」


「君宛てじゃないか」


「そうですけど気乗りしないんですよ」


「移住してきたってことはボールド政府に反発があるからじゃないの?」


「何もかもが嫌になったってそれだけじゃないですかね?」


なんだか辛辣である。


「まあ君が無視でいいってんならそれでいいよ。俺的にはこちらにプラスかマイナスか見てから付き合いをどうするか決めたらって思うけど、君が否定的ならそうなる理由があるんだろ」


「そのイヴォンならぬ桜井氏はAIに対する偏見があるんですよ。どこかの地点で人間を排除にかかる、とそう信じてる人物なんです」


「ああ……」


「話になりません」


突然、部屋の向こう、廊下の方から声が響いた。


「じゃあ共存共栄という姿勢をずっと維持できるのかね?」


突然現れた初老の男は俺と目が合うとぺこりと頭を下げ、申し訳なさそうな表情を浮かべている。顔がひげだらけなので一見するとホームレスに見えた。左腕にはめた丸型アナログG-SHOCKの存在感に負けないアクの強さがある。


「すまん。返事がないんで空間移動で来てしまった。勝手に家に入ってきたことはお詫びするよ」


これが桜井辰巳か。髪に白いものが多く目立つ、紺色のくたびれたジャージ姿の人物に俺は心のままを素直に述べた。


「いまは異常事態の連続なんであんまり気にはなりません」


マリが問いに返答する。


「共存はお互いにそれを望めば可能でしょう。どちらかが支配などという概念にとらわれなければ」


「いや、人間側の支配下、制御下でのAIの発展と進化熟成しか許されない。決してな」


その時どこかから、たぶん桜井氏の方からピピッと音が鳴り、警告音だなと俺が思った時にはズオッという聞いたことのない大きな音とともにこの家が沈んだ。家ごと沈んだような体感があった。俺の体は地震と判断したのだろう、考えることなくしゃがみ込んで床に手をついていた。

桜井氏は廊下の柱にしがみつく格好をとっている。


気がつくと俺は草むら……緑色や黄緑色に彩られる草原のなかにいた。恐る恐る立ち上がり、周囲を見回すと広大な草原で遠くに望む低い山以外は地平線がどこまでも広がっている。あとは雲ひとつない青空があるだけ。


離れた位置にふたりの男が立っており俺を見ていた。共に黒い軍服姿なので軍人なのだろう、雰囲気も堅く厳しいものが漂う。俺の右横にいる桜井氏が口を開いた。


「グレン大将……」と小さく驚きの声を発していた。






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